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3年目の夏、闘病生活だけど遊んでいた。 (ひまわりと八ヶ岳)

2021年の夏
病院と自宅でオリンピックを観ていた。なんとも寂しい夏だった。
退院後、薬の影響から目眩がしたが、薬を替えてようやく落ち着いた。
リハビリは多少のコンディションの悪さに関係なく常に続けていた。これは40年近い日々のトライアスロン関係の練習のお陰だ。
会社が潰れようが取りあえず練習はする。そのメンタルは相当だと思う。
だから体調の悪さとは別に体力は戻ってきた。
そして2021年が終わった。

2022年2月
世界的な疫病に家族全員が感染してしまった。妻と娘2が子供に関する仕事をしていたため、あっという間だった。
自治体に報告して、10日間の監禁状態となる。俺と娘2は持病持ちだが、無事に乗り越えた。

2022年の夏
体力は相当戻ってきた。スイムも復帰した。夏場に現役アイアンマンのSさんとも少しバイク(自転車)でご一緒した。11月にはドゥービー・ブラザーズのライブにも一緒に行く。
「完全復活だ!」

しかし、落とし穴があった。私の偏食だ。
その年末、ギンナン(野性)の食い過ぎの影響か、体中に発疹がでる。これはかなり酷い状態だった。顔以外全てだ。
皮膚科へ行くと、「大学病院へ行っください」と紹介状を書かれた。
「投げ出すのが、ちょっと早い!」

大病院の検査地獄と待ち時間地獄を嫌って、行かずにそのまま2023年を迎える。
対処療法として、ビタミン剤、抗アレルギー剤を飲み。身体にはステロイド塗りまくって、我慢の日々が続く。
終息するのに半年以上かかり、2023年の春となった。
画像はひくと思うので無し。

2023年の夏
完全に復帰した。一応心臓関係の薬は毎日飲んでいる。なんかドーピングにかかる薬だ。さらに普通の健康診断で心電図を測定すると100%呼び出しを食らう。色々面倒はあるが、例年通りエアコンの無い生活を続けた。

そう「大丈夫」だ。

今年は糞暑かったが、夏らしい天気が続いていた。そう言えば台風も思いの外少なかった。
9月中旬にもなると、夏が過ぎ去る寂しさはある。もうセミの声も聞こえない。
夕刻から虫の鳴き声が聞こえてくる。日々大合唱となっていく。
秋祭りの音もする。ノスタルジックな気分となる。

セミファイナルを終えたミンミンゼミ

日本の四季は、海外、特に大陸と違い、暑い、寒いに微妙な違いがある。
だから季節の変わり目を感じる。

春、花粉症でなければ、空気に春の香りが混ざる。花粉と湿った土の匂いだ。気持ちが疼く日々となる。
そのまま新緑の季節が駆け抜け、生命が息吹きだし、夏のオゾンを含んだ風と雨が降りだすと、
「来るぞ、また来るぞ」と夏になる。
今年はNoteに書けるような夏を過ごした。
取りあえず良かったと思う。

夕焼け空が広がる

取りあえず夏の思い出。

2023年7月天草と島原半島の海峡


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