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【同人誌レビュー】『ゾンビハンター香里奈のゾンビ鉈』

『ゾンビハンター香里奈のゾンビ鉈』という作品について書いていこうと思う。

 文学フリマ東京36で手に入れた本作は、大滝のぐれさんという作家によって書かれた……ジャンルとして表すのはなかなかむずかしいのだが、彼の書いてきた小説との連続性を考えれば、やはり純文学的な要素の強く出つつスリップストリーム的な要素のある一作となっている。

 タイトルから分かるとおり、本作にはゾンビという存在が登場する。自我がなく、手当たり次第に人を喰らおうとする人の形をしたバケモノという、多くの人間が想像するそれととくに異なるところはない、あれだ。

 

 あらすじ(通販サイトより引用)


ゾンビと人間はわかりあえるってやつ。ばかだよね。無理に決まってるじゃん。
表の仕事をしつつゾンビハンターとしても働く香里奈は、ひょんなことから自身をストーカーしていたクソ男をバッサリとやってしまう。ゾンビと人間しか切ることのできない武器•ゾンビ鉈で、後者を殺すのは御法度。『処分』の対象だった。
窮地に追い込まれた香里奈。が、そこへゾンビ研究者、専業ゾンビハンターの友人ふたりが手を差し伸べてくる。死体を安全に、確実に隠蔽するため、三人は車でとある山奥に存在するという死体処理場へ向かうが……?
自分、他人、人間、ゾンビ、死霊術師。様々な存在が行き交うこの世で、結ばれねじれかじられ断ち切られていく、感情と関係性と視点、それにまつわる危うさやままならなさの話。

 以下、本作の魅力について書いていこうと思う。

1 世界観と人間性


 
 ぼくが本作品を読んだとき、非常にとっつきやすいと思った。というのも、ぼくはいわゆる世の中にあふれている「ゾンビもの」をほとんど読んだり観たりしたことがなかったから、本作品のタイトルからどこまでそれについていけるのだろうかと、やや不安ではあった。

 しかし、前から大滝さんの本はたくさん読ませていただいていたし、今回もきっと楽しませてくれるだろうと期待もおおいにあったのだが。

 さて、どうしてぼくがこの作品にとっつきやすさを覚えたのかというと、それはとても手早く、そして分かりやすく作品の世界観や登場人物たちの性格や役割などが、それとなく読者に説明されるからだった。

 この作品においてゾンビを倒すゾンビハンターが、どうやってゾンビと戦っているのかなども、ともすれば説明や見せ場を作るだけでもなかなかに紙幅を必要としそうなものだが、これが瞬く間に分かってしまう。

 人間性についてもそうだ。香里奈の死体遺棄を手伝うコニーとツバサ両名が順に登場してくるときも、それぞれの「研究室」(ゾンビハンターを管理する組織)においての役目の紹介が必然的にされるように、しかし主人公の心情を行動で表すことにより、それに対するリアクションなどでふたりの性格がしっかりと明示されていく。

 過度ではないがややキャラクターじみた会話劇なども、若干飛んでいる設定とマッチしている演出になっているし、個人的にも自分が書く小説にもちゃんと応用していかないとと、背筋が伸びる思いになった。


2 ゾンビと人

 
 ご存じのとおりこの作品にはゾンビが登場する。といっても、ネタバレにならないようにするのはむずかしいが、ゾンビの躍動がこの作品のメインプロットに関わるかというと、ぼくはそう思わなかった。

 もちろんゾンビが登場しなくても作品が成立するというわけではない。香里奈の素性にも非常に深いかかわりを持っているので、この作品においてゾンビはいなくてはならない。

 だがしかし、ぼくがこの作品でゾンビが担っている役割は、そういった設定レベルや物語レベルのところにはない。

 ゾンビというものがこの作品で象徴しているものは、「人の本性を暴く装置」だと思う。細かくいうと本当にネタバレになってしまうのだが、作品の後半には、ゾンビについて各キャラクターがどのように関係しているのか、過去も含めてどのように思ってきたのかという部分によって、それぞれの抱えている本性が暴かれていく。

 これは『白鯨』において怪物に挑むエイハブこそが、本質的には怪物であったという倒錯にも似ている。しかし本作がそれとは異なっている点があるとすれば、分かりやすく「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というネタに持っていくのではなく、それぞれの人物にとって、また違った見解や象徴がされているというところが新しいと思う。

 ゾンビを見るとき、ゾンビはこちらを見ているだけではなく、またべつのゾンビが近くにいるのかもしれないと、警戒しなくてはならない。

 というような言葉で、ここは直接的なネタバレを回避したいと思う。


3 人と人



 そして最後の魅力としてあげたいのは、やはり終わり方だろう。

 もうこればかりは説明自体がもう壊滅的なネタバレにをしていくしかないので、やや迂遠に行くしかないだろう。

 
 本作で最終的に提示されるものは、「他人の分からなさ」に集約される。

 とても当たり前の話だが、ぼくたちは他人のことがよく分からない。か、分かって気になっているだけでなにも分かっていない。

『ゾンビハンター香里奈のゾンビ鉈』においても、冒頭からストーカーが出てくるし、途中にゾンビの討伐や、今回あまり触れることができなかった「死霊術師」というゾンビハンターの敵など、主人公が共感できない人物は多く出てくる。

 他者というものは理不尽で、その理不尽に抵抗するためにはコミュニティ、つまりは仲間を連れ立っていくしかない。

 などという奇麗ごとで落とすようなことを、大滝のぐれは絶対にしない。

 友人、大切な人、というもの信頼したくて、自分の命運も彼ら彼女らによって好転していけばいいとだれだって思うが、もちろんそれらも他人であることには変わりない。

 土壇場になって明かされる真実に閉口していたら、またべつのやつが喋り出して場の収集がつかなくなる。もう勘弁してくれと頭を抱えてるしかない終盤は、まさしく圧巻の手腕だ。

 ラストシーンで、小説家大滝のぐれの真骨頂というものが表れるのが、やはり個人的に一番ゾクゾクしたところだ。

 ぼくにとって、当然香里奈だって他人なのだ。当たり前の話だが。




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 以上だ。こうやって好き勝手に語って良かったのだろうかと思わないでもないが、少しでも大滝のぐれさんの魅力について伝わっていたら嬉しい。

 こうやって同人誌について書いていくこともこれから増えていくと思うので、よければまた読んでほしい。読みたくないのならば、いい。

 それでは。みなさんお幸せに。

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