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エア・ジョーダンを買いたいだけのやつ

 エア・ジョーダンを買いたい。

 ナイキの作っているスニーカー、もともとバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンのために作られた靴であるところのエア・ジョーダンを買いたい。

 もう2足持っている。エア・ジョーダンを買いたい。

 靴というものは、ぼくにとって安い買い物ではない。そもそもぼくはファッションに無頓着なやつだ。今でも無印とユニクロにシーズンに1回も行かないくらいの頻度で、基本無地のTシャツに黒いチノパンといういで立ちで生きている。

 大学時代からずっと、履いている靴はほとんどコンバースオールスターだった。黒、赤、を好んで履いていた。今はもう、一足も残っていないが。

 いっしょに旅行にも行ったし、六泊七日の弾丸ツアーだって、ぼろぼろのコンバースを履いていた。旅が終わったら、捨てた。

 今のぼくは、ナイキのエア・ジョーダンに心を奪われている。きっかけがなんだったのかというと、それは未発表の小説に、我がサークルの表紙をたびたび手掛けてくださっているあきらどさん

がイラストをプレゼントしてくれて、そこに書かれている人物が履いていた靴が、エア・ジョーダンをモデルにしたものだったと教えてくれてからだった。

 カットの高く、やや丸みを帯びていながらスタイリッシュさも垣間見えるスタイルは、ぼくの心をやや奪った。そして、実物を横浜のナイキストアに見にいった結果、完全に奪われた。

 その時に購入する予定なんてなかったのに、そこまで悩むこともなく(もちろん多少は悩んだが)手に入れることになってしまった。1万5000円ほど。靴に出す値段としては妥当だろうが、コンバースの6000円と比べるとなかなかに思い切った買い物だった。

 

 そして、買ったあとに気が付いたこととがふたつある。
 
 ぼくが好きなのはエア・ジョーダンのなかでも最初にデザインされた、そしてもっとも有名な種類である、エア・ジョーダン1 というものだったこと(現在は30番台までバリエーションがある)。
 
 エア・ジョーダンのカットには大きく3種類、ハイ、ミッド、ローという分け方があること。

 素人目に見て、ミッドカットとローカットの差は分かりにくい。

 これがミッド
 

 これがハイ
 

 たしかにカットは違うが、それ以上に価格がおかしい。どうなってんだ。

 上記のサイトの価格は二次流通価格で、定価ではない。にしても違いすぎる。ハイが尋常ではない価格になっているではないか。

 結論だけを話すと、ハイカットはエア・ジョーダンが作られた当初の形をほぼそのまま保っているが、ミッドカットはそののちに作られた型で、マニアからは「ハイカットのまがい物」扱いをされているから、相場が別物になっているのだ。
 

 ぼくが手に取ったエア・ジョーダン1はミッドカットだ。あとからすれば、店頭に定価で置いてある時点で、ハイの可能性はかなり低いのだし、たいしたリサーチもしていないのなら、当然ミッドかローを選ばざるを得ない。

 と書いたが、ぼくはこのミッドカットを心から愛している。さっきは触れていなかったが、そのジョーダンは実は人から買ってもらったものなのだ。同時にぼくも、その人に靴を買ったので、贈り合ったというのが正しいが。

 ぼくはもともとスニーカーマニアでもなんでもない。最初に書いたようにファッションには無頓着な人間だ。

 もっといえば、ぼくはハイブランドなんかにもまったく興味がない。本当にまったくだ。

 個人的な感想では、たまに世の中で使われているとあるブランドものっぽい財布がとてもダサいと思っていたのだが、ルイ・ヴィトンのそれだと聞いてたまげたことがある。使っている人には申し訳ないが、実情を知ったあとでもこの感想は変わらない。

 しかし、ブランドにはデザインとはまったくべつに、敬意を払いたいとは思っている。ブランドとは、その人が社会のなかでどのような地位を持っているか、あるいはこだわりや熱意を持っているかを示すものだ。ブランドものなんて成金の自慢だ、と批判するつもりはまったくない。ゼロといっていい。

 権威とデザインは必ずしも両立しない。そこに好みという要素まで足されれば、ファッションの選択肢は無数になっていく。この歳でこんなことを考えるのもどうかと思うが、なかなかこの文化も侮れない。

 でも(逆説が続いて申し訳ない)やっぱり自分ではブランド(権威)を身に着けるのもどうかなと思う。だって興味ないもん。

 なので今買いたいなと思っているジョーダンも、ミッドカットだ。この使用感を演出したデザインが好きで、ずっと通販サイトのページを見ては、身体を揺らして悩み続けている。

(まあこれがダサいと思う人もいるだろうし、いてもいいと思う。自分でも、子供っぽい配色が好きだなと悲しくなるくらいだし)


 靴にだって物語は宿る。なにカットだろうと、二次流通でいくらだろうと、結局はそれを履いてなにをしたのか、どこに行ったのか。ぼくの靴の価値は、ぼくにしか分からない。

 そして、愛しのジョーダンがボロボロで履けなくなったときは、きっとリサイクルするなり捨てるなりして、靴としての役割を終えてもらうのだろう。

 形あるものはいずれ壊れる。その運命を踏みしめながら、ぼくは大切に靴を履こう。

 でもまあ、いろいろ言ったが、ハイカットを一生買わないという、極めて無駄な反骨心も持っていないので、憧れの一足というものも紹介して、とにかくは靴に対する欲望の吐露を終わろうと思う。

 えげつない値段だ。ぼくがベストセラー作家になったら、いい車よりも先にこっちを買おうと思う。なのでみなさん、よろしくお願いする(は?)。


 じゃあ、昼寝には遅いので夕寝をする。休日くらい、それでいいだろう。お幸せに。

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