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職業準備性ピラミッドに関する雑記


こんにちは。就労支援員のサイトウです。
障がいのある方が一般就労をする機会は、年々増加しています。私たち就労支援員も、その希望を叶えるために試行錯誤しながら毎日支援にあたっています。
支援の内容はそれぞれの機関や支援者により異なり、方法も多岐に渡りますが、今回はより多くの支援者が知っており、ツールや指標として利用しているであろう「職業準備性ピラミッド」について考えてみたいと思います。つらつら書き連ねたただの雑記ですので読みづらい部分も多いかと思いますが、是非お付き合いください。


はじめに、障がいのある方が就職するために必要とされる「職場準備性」という言葉と、それをわかりやすく図示した「職業準備性ピラミッド」について説明します。

①職業準備性とはなにか
②職業準備性ピラミッドの作成経緯
③職業準備性ピラミッドの誤解

まずはこの3点について整理します。そして最後に
④職業準備性ピラミッドをどう活用していけばよいか
という点について考察します。


最初にお断りしたいのは、「職業準備性は必要だ!」とか「そんなもの不要だ!」とか、そういった白か黒かの二分法的思考でお話しするつもりはないということです。例えば車の運転をするためには免許が必要で、免許を取るためには運転の練習をしなければなりません。そういう意味では、運転するための準備性は必要だといえます。一方で仕事に就くということは、その職務内容によって必要とされる技能が異なります。また技能だけでなく環境面、上司や同僚などの人間関係等、様々な要因が複雑に絡み合います。それを事前にどこまで予測して訓練できるのかということも考えてみたいと思います。




①職業準備性とはなにか


(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構が発行する『就業支援ハンドブック』によると、職業準備性とは「個人の側に職業生活をはじめる(再開も含む)ために必要な条件が用意されている状態」※1とされています。心理学の用語にレディネスという言葉があり、これとよく似ていると思います。レディネスとは学習をするうえで必要とされる準備状態のことで、ゲゼルという学者が成熟優位説に基づいて提唱した概念です。ゲゼルは、人はある程度準備状態ができていないと学習することはできないということを実験によって明らかにしました(3歳児にいきなり掛け算から教えることはできないですよね)。この準備状態のことをレディネスと呼びます。
職業準備性に話を戻すと、人はある程度年齢を重ねる中で、教育等の影響を受けて仕事をするための準備状態ができあがると考えられます。一方で適切な養育が行われなかったり、疾患や障がいによりそれらが阻害され、職業生活に必要な条件が用意されない場合があるかもしれません。そういった場合に準備状態を再度作り上げるため、訓練が行われます。訓練型のモデルは、成熟優位説に基づいて作られたものといえるでしょう。


②職業準備性ピラミッドの作成経緯


相澤(2022)※2によると、職業準備性ピラミッドは当事者を含めた話し合いの中で「就職し安定した職業生活を続けるためにはどんなことが必要か」を検討したことが作成の契機であるとされています。
はじめて職業準備性ピラミッドが世に出たのは相澤(2007)※3だとされています(図1)。

図1 相澤(2007)より

ちなみに相澤氏はこの図を「職業準備性ピラミッド」と名付けたことはなく、先ほどの『就業支援ハンドブック』で引用された際に名付けられたのではないかと推測しています。作成時に相澤は「職業準備性は、就職するためのハードルではなく、どのような配慮があれば働けるかという視点でとらえる必要が」あると述べています。※3 これは非常に大事な視点だと思います。個人にこれらの技能が十分に備わっていなくとも、環境による配慮によって仕事をすることは可能であるということです。


③職業準備性ピラミッドの誤解


こうして出来上がった職業準備性ピラミッドですが、現場で広まっていくうちにいくつかの問題が生じました。それは以下の2つです。
1.ピラミッドの内容が簡素化されてしまったこと
2.作成者の思いと異なる使われ方をされてしまったこと

例えば知的障がい分野の教育について書かれた市川(2021)らの論文では土台となる働きたい意欲の部分が削除されています(図2)。※4

図2 市川ら(2021)より

確かに、教育の現場でこれらを身に付けさせることは、よりよい社会生活を営む上で大切であるということは否定しません。しかしながら「働きたい」という意欲(動機づけ)の部分を削除して技能を身に付けさせようとするには限界があるのではないでしょうか。

また、別府重度障害者センター(2021)の在宅生活ハンドブック※5においても職業準備性ピラミッドが取り上げられています。ここでは「この図は、仮に適性のある職業に就いたとしても、どんなに作業能力が高くても、ピラミッドの底辺から順にしっかりと備わっていないと働き続けることは難しいということを表しています」との記載があり、明らかに相澤氏の作成意図とは異なる記述がなされていることがわかります。また、ここで取り上げられている職業準備性ピラミッドの図も図2と同様「働きたい意欲」の部分が削除され、配慮についての記述も無くなっています。(ちなみに、参考文献の松為信雄先生の名前も間違えています)

余談ですが、図が製作者の意図とは異なる形で使われるケースは他にもあります。看護や保育現場でも有名な「マズローの欲求階層説」についての図がまさにそうです(マズローの三角形などとも呼ばれます)。廣瀨ら(2009)※6によると、マズローと三角形の作成者で弟子のゴーブルは「より低次の欲求は,次の(高次の)欲求が現れる前に 100%満たされなければならないと考えるのは誤っている」と述べていたようです。しかし、専門的教育の現場では「低次の欲求が(完全に)満たされてから、より高次の欲求が発生する」と教えられることが多いのではないでしょうか。図3に論文の概要を示しました。

図3 廣瀨ら(2009)より

こうした「作成者の意図と異なる解釈」は伝言ゲームのように広がっていきます。そして伝言ゲームは、広がるにつれて簡素化されていきます。認知バイアスに詳しい経営学者のノードグレンは「簡単かつ効率的なほうを目指す動きは、本来の意味を犠牲にしてでも起こる」※7と述べています。職業準備性ピラミッドが就職するためのハードルであると捉えられてしまうのは相澤氏の本意ではないでしょう。そして、そうした使われ方によって「働きたい」という思いのある方々がその実現に待ったをかけられてしまうのは、非常に悲しいことではないでしょうか。


④職業準備性ピラミッドをどう活用していけばよいか


それでは、職業準備性ピラミッドをどのように活用すればよいのでしょうか。まず相澤氏は最新の職業準備性ピラミッドを作成しています(図4)。2007年作成時と比べると「求職活動の技能」の段階が削除されています。また、当時の図にも支援・配慮の必要性については言及されていましたが、改めてその重要性について指摘されています。そしてやはり、土台には「働きたい意欲」が明示されています。

図4 相澤(2023)※2より

「求職活動の技能」が削除された理由は不明ですが、おそらく2007年の作成時に比べ、就労移行支援事業所や就業・生活支援センター、ハローワークの障がい者窓口など求職支援の間口が広がり、より支援が手厚くなったことから、個人の技能としてそれほど重視されなくなったのではないかと推測されます。
相澤氏はここでも「個人の側に不安点や課題点がある場合は、個人が今後改善すべき項目としてのみとらえるのではなく、どのような支援や配慮が必要かという視点で検討することが求められる」※2と述べ、個人側の要因だけでなく環境側の要因も重視する必要があると改めて言及しています。

環境の重要性は近年、心理学の分野等でさかんに取り上げられています。たとえば心理学者ヴィゴツキーの提唱した「発達の最近接領域」という概念があります。これはいわゆる伸びしろのことで、彼は個人の能力に関して、今できること(現下の発達水準)だけを考慮するのではなく、これからできることや、助けがあってできること(未来の発達水準)も考慮する必要があると述べました。そしてその水準間を「発達の最近接領域」と呼び、協同学習や模倣によって、できないことができるようになっていくと考えました。彼は著書で「発達を先回りし、自分の後ろに発達を従える教育のみが正しい」※8と述べています。職場はまさに協同学習と模倣の場であり、個人的な能力が不完全であったとしても、「就職してから訓練」することでその可能性を伸ばすことができると考えられます。
また、徒弟制の事例を集めて考察し「正統的周辺参加」という概念を生み出したレイヴとウェンガーは「熟練者とみなされた実践者に受け入れられること、また彼らと交流することが、学習を正統的なものにしており、徒弟の視点からみて価値あるものにしている」※9と述べます。新しい職場では誰もが新人です。熟練者は新人の能力に応じて、さまざまな配慮をしながら育てていくことでしょう。環境の中に参入し、交流することを通してはじめて、人は育っていくのではないでしょうか。これらの考え方は、前述した成熟優位説とは異なっているといえます。

ほとんどの就労支援施設は、職業準備性を高めるために様々な就業前訓練を行なっています。もちろんそれは大切なことですし、準備性が整っていれば、安定して働く見通しも立ちやすいでしょう。しかしながら、前述したように職場環境では様々な要因が複雑に絡み合います。それを事前に予測することは困難であり、職場環境に入り込むことによって初めて評価が可能になるのではないでしょうか。
また「準備性が整っていなければ働けない」という考えについては、相澤氏も明確に否定しています。

そもそも障がいの有無に関わらず、全ての人は職業準備性ピラミッドの全ての項目をクリアして就職しているでしょうか(少なくとも私は生活リズムの時点で怪しいです)。

私は、職業レディネスというのは、ピラミッドの各段階を満たすことではなく、ピラミッドの土台にある「働きたい意欲」のことを指すのだと思います。

どんな支援者でも、クライアントには満足いく人生を送ってほしいと願っていると思います。仕事に就くことは、自らの人生の価値に向かって進むための過程であり手段です。自分の人生をより良くするためにこのツールを必要とするかどうかの選択は、クライアントに委ねられているのではないでしょうか。支援者側は、クライアントが困っているとき、目標達成のために身につけたい能力があるときに初めて職業準備性ピラミッドを活用するとよいのではないかと思います。そしてたとえそれが備わっていなくとも、働くとどうなるかなど誰にも予測はできません。土台である「働きたい意欲」がクライアントにあることを確認したのならば、まずはチャレンジすることを応援してほしいと切に願います。


最後までお読みいただきありがとうございました。



-引用-
※1 独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構(2018)『就業支援ハンドブック』独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合支援センター職業リハビリテーション部,p27.
※2 芳賀大輔・金川善衛・稲富宏之編集(2023)『ゼロから始める就労支援ガイドブック』相澤欽一「4 職業準備性ピラミッドについて」メジカルビュー,pp19-23. https://amzn.to/3w4Py39
※3 相澤欽一(2007)『現場で使える 精神障害者雇用支援ハンドブック』金剛出版,p.107,p198. https://amzn.to/3Uv2ysH
※4 市川 夢太・村松 舞子・仲嶺 春平・高橋 美佐紀・香野 毅(2021)「知的障害教育における 主体的な進路選択のための自己理解支援について -職業準備性ピラミッドの活用-」『静岡大学教育実践総合センター紀要』 31 10-19,p12.
※5 別府重度障害者センター(2021)「就労に向けて求められるもの」『在宅生活ハンドブック』No.21,p1. (rehab.go.jp/beppu/book/pdf/livinghome_no21.pdf)
※6 廣瀨 清人・菱沼 典子・印東 桂子(2009)「マズローの基本的欲求の階層図への原典からの新解釈」『聖路加看護大学紀要』No.35 2009.3,9921-36.
※7 L.ノードグレン・D.ションタル著・船木謙一監訳・川﨑千歳訳(2023)『「変化を嫌う人」を動かす 魅力的な提案が受け入れられない4つの理由』草思社,pp110-111. https://amzn.to/3SN2IdJ
※8 ヴィゴツキー著・柴田義松訳(2001)『新訳版 思考と言語』新読書社,p302. https://amzn.to/3HP02Gl
※9 J.レイヴ・E.ウェンガー著・佐伯胖訳・福島真人解説(1993)『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』産業図書,pp95-96. https://amzn.to/3OxMGC8

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