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聴くことのちから

こんにちは。サイトウです。

話を聴くことについて少し書いてみたいと思います。
カウンセリングやソーシャルワークをしている方をはじめ、対人職は仕事として相手の話を聴くことが多いと思います。

仕事に限らず、友人同士や、買い物でも話を聴くというコミュニケーションは一般的です。

聴くこと、聴かれることによってどのような変化があるのか、それについて最近考えています。

今回はかなり自分のために書いた文章なので、読みにくい部分も多いかもしれません。ある種試論です。あれこれと話は飛ぶかもしれませんが、よろしければ最後までお読みください。


ロジャーズのいう「聞く」

カウンセリングという言葉を世に広め、クライアント中心療法の創始者であるカール・ロジャーズという人がいます。
彼は晩年の回顧録である『人間尊重の心理学』という本で「聴くこと」について以下のように述べています。

人は自分が真に聞いてもらえたと感じる時、彼の目がうるみます。-中略-そんな時、私は次のような空想をします。地下牢に閉じこめられたまま、「聞こえる人はいませんか?」「誰かそこにいませんか?」とモールス信号を打ちつづけていて、ある日ついに「はい」というかすかな応答を聞いたという空想です。

カール・ロジャーズ(1984)『人間尊重の心理学』創元社,p9. ※1

ロジャーズは聞くということにおいて、非言語の部分を重視します。言葉で言っていることとは反対の気持ちを持っているかもしれないと。

彼は経験と意識、コミュニケーションが一致していることを自己一致と言いました。

                                同書p13をもとに筆者作成

これはセラピストが備えなければならない条件として知られていますが、クライアント自身が、この一致した状態でカウンセラーに語れたとき、はじめて「わたしのことをわかってもらえた」という嬉しい気持ちになるのだろうと思います。聞くことにはこの、非言語的な部分をいかに引き出すかということが大切になってくるのではないでしょうか。

ロジャーズのクライアント中心療法は非指示的療法とも呼ばれます。クライアントには力があることを認め、内在する力が十分に発揮できるよう支援します。この、ある意味「何もしない」ということは非常に難しいことではないでしょうか。

この難しさを理論化することに情熱を注いだものの、ロジャーズは弟子を取ったり、ノウハウを伝えることを嫌っていたようです。

ロジャーズは晩年東洋哲学に関心を示していたそうですが、インドから中国にわたり禅の思想を広めたとされる達磨大師(あのダルマ人形のモデルです)も、弟子を取ることを嫌がったそうです。
達磨大師も、言葉を捨てることを大切にしました。ありのままを言葉を介することでありのままではなくしてしまうと考えたのでしょう。

余談ですが、達磨大師の弟子になるために片腕を切り落とした慧可という方がいたそうで、さすがの達磨大師も腕まで切り落とされちゃあとしぶしぶ弟子にしたという逸話があります。 ※2

鷲田清一のいう「聴く」

哲学者の鷲田清一は、じっと聴くこと、それが「他者の自己理解の場を劈(ひら)く」 ※3と述べます。ロジャーズに比べ、鷲田のいう「聴く」の定義はもっと幅広いものである気がします。

ことばから<意味>というものが脱落したとき、そのときにはじめてわたしたちは<声>を聴く。純粋に<声>に触れる。

鷲田清一(2015)『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』ちくま学芸文庫,p193. ※3

ケアという概念があります。世話をすることや介護、何かを相手にしてあげる際に用いられる言葉ですが、鷲田は「条件なしに、あなたがいるからという、ただそれだけの理由で享ける世話、それがケアなのではないだろうか」(p.195)と話しています。誰誰のためにとか、何かのためにという損得的な思考抜きに、ただそばにいるという無目的な状態で聴くことが、相手の心を開くのかもしれません。ただ「何もしない」ことの難しさが、少しわかってきた気がします。


東畑開人のいう「聞く」

臨床心理学者で実践者の東畑は、あえて「聞く」という漢字を用いています。河合早雄をはじめ多くの臨床心理学者や、先ほどの鷲田のような鉄府学者は「聴く」という文字を好みました。「聴く」という字はその人の心の奥底に触れるという印象ですが「聞く」はありのままに受け取ることです。
ロジャーズ、鷲田もありのままに受け取ることを「きく」としました。東畑は「心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることをそのまま受けとるほうがずっと難しい」※4 と述べ、聞く技術の方が難しいと話します。言葉遊びのようですが、先ほどのロジャーズの著書も中身の漢字はすべて「聞く」となっており、ありのまま話を受け止めるという意味で「聞く」という行為の方が大変そうです。

東畑は「聞く」ことをするには「聞いてもらう」技術が必要だと述べます。どういうことでしょうか。
聞くの効用の多くは、痛みを和らげることです。難しい用語でカタルシスなんていいますが、とにかくしっかりと聞いてもらう時、人は楽になります。
しかし聞く側は孤立しています。相手が敵意を持っているかもしれないし、そもそも自分のことを嫌いになるかもしれないという不安感を持ちながら聞きます。

そのため東畑は「支援者自身が、支援してもらう必要がある。聞く仕事をしている人には、大量に聞いてもらう時間が必要」※4 と述べます。

この「つながりの連鎖」を作るために聞いてもらうことが大切であるというのです。
この話は、わたしがクライアントと向き合えない時、だいたい職場で孤立感を味わっていることが多いため納得できます(決して職場が悪いわけではなく、私の認知の問題です)。

東畑はまた「時間を共有すること」が大切だと話します。時間のちからは絶大で、その際にそばにいて聞き続けること。それが相手の安心と繋がりの回復につながるのではないでしょうか。「みんなが心配している-中略-これが心の回復の核心です」※4 と東畑はまとめています。


サイトウの「聴く」

「聞く」になったり「聴く」になったりすみません。サイトウはずっと聴くを使ってきたので、この漢字をあてます。

最後にわたしが考えている聴くこと。それは「相手にじゅうぶんな居場所(スペース)を確保する行為」ということです。
相手が自由に語り、表現できる場所を提供することが聴くことなんだろうと思います。

ただ、そのためにはまず相手に「会う」ことが大切になってきます。場所だけ構えて、いつでもおいでの状態では相手はそこが居場所となり得るのかわからず、不信感から行かないことが多いのではないでしょうか。

そのため「聴く」前に「行く」という行動こそが、関係を作るきっかけになります。
ほとんどの方は、相手の本音を知りたいとか、相手を理解したいとか思っているからこそ話を聴きたいと考えているのではないかと思います。

その関係性を作るのが難しいんだ!とお叱りを受けるかもしれませんが、これは自分という資源を最大限活用して、相手に受け入れてもらうこと。まさに「行動して、まず自分について聞いてもらうこと」が大切なのかもしれません。これには時間がかかりますが、東畑の言うように、時間をかけて何度も会い続けるしかないのだと思います。

今回の試論は、わたしのこれからの支援にも役立ちそうな気がしています。



最後までお読みいただきありがとうございました。


参考文献

1.カール・ロジャーズ著・畠瀬直子監訳(1984)『人間尊重の心理学』創元社. https://amzn.to/4c2uyJv
2.しんめいP著・鎌田東二監修(2024)『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』サンクチュアリ出版. https://amzn.to/4fgd5jB
3.鷲田清一(2015)『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』ちくま学芸文庫. https://amzn.to/4bYNYif
4.東畑開人(2022)『聞く技術 聞いてもらう技術』ちくま新書. https://amzn.to/3SmuVYp

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