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中島敦が描いたサモアのR.L.スティーヴンスン

こんな読み方をしました。No. 2 中島敦作「光と風と夢」
                                                      昭和17年(1942年)発表

中島敦作「光と風と夢」は、イギリスの作家である、R. L. スティーヴンスンの、1884年5月から、サモアで亡くなった1894年12月までを描いた作品です。彼のことを知らぬまま読んだ感想は、「予習をしておけばよかった」、でした。

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そんな気持ちになったのは、物語の終わり、スティーヴンスンが埋葬される場面です。彼が生前希望した埋葬地は、道もない山の頂上でした。道を切り開く作業のために、二百人の島の人々が自発的に参加してくれました。そして、六十人のサモア人と十九人のヨーロッパ人により埋葬が行われた。その山頂での様子が、次のように描かれていました。

 海抜千三百呎(フィート)、シトロンやたこの木に取り囲まれた山頂の空き地である。
 故人が、生前、家族や召使達のために作った祈祷の一つが、そのまま、唱えられた。噎(む)せる程強いシトロンの香りの立ち込める熱い空気の中で、会衆は静かに頭を垂れた。墓前を埋め尽くした真っ白な百合の花弁の上に、天鵞絨(びろーど)の艶を帯びた大黒揚羽蝶が、翅(はね)を休めて、息づいておった。・・・・・・・・
 老酋長の一人が、赤銅色の皺だらけの顔に涙の筋を見せながら、―――生の歓びに酔いしれる南国人の、それ故にこそ、死に対して抱く絶望的な哀傷を以て―――低く呟いた。
「トファ(眠れ)!ツシタラ。」

「ツシタラ」とは、ストーリーテラーという意味のサモアの言葉で、スティーヴンスンは、そう呼ばれていました。「彼が、島の人々に、いかに愛されていたか」が感じられるとともに、それを描いた中島敦の気持ちが迫ってくる気がしました。そのとき、「もっとステーヴンスンのことを予習しておけばよかった」と、悔やまれてきました。

中島敦には、「遺跡や古文書といった古い断片的な情報を丁寧に集め、そこに秘術を施し、命を復活させる」、というイメージがあります。そして、「古典がわかれば、もっと面白いのだろうな」、という思いとともに、横着から、読み放しにしてきました。

しかし、今回は、十九世紀後半のイギリス人作家です。二回目の「光と風と夢」に向け、
・電子辞書によるR. L. スティーヴンスンの情報収集
・R. L. スティーヴンスンの作品「宝島」「ジキルとハイド」を読む
こととしました。

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この作業の後の、「光と風と夢」の読後感想は、改めてお知らせしたいと思います。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

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