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あなたの人生を、何度も読み返しています。

ほんの感想です。 No.44 芥川龍之介作「或阿呆の一生」
                                       昭和2年(1927年)発表

芥川龍之介の「或阿呆の一生」には、遺書を読むような緊張感がありました。しかし、読み返すうちに、「もしかしたら、こんな意図があったのでは」と空想に誘われてしまった不思議な自叙伝でした。

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この作品は、芥川龍之介が昭和2年7月に亡くなった後、同年10月に発表されました。その冒頭、昭和2年6月20日付け久米正雄宛の文章が記されています。次に、その後半を掲げました。

 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている。しかし不思議にも後悔していない。ただ僕のごとき悪夫、悪子、悪親を持った者たちをいかにも気の毒に感じている。ではさようなら。僕はこの原稿の中では少なくとも意識的には自己弁護をしなかったつもりだ。

 最後に僕のこの原稿を特に君に託するのは君の恐らくは誰よりも僕を知っていると思うからだ。(都会人と云う僕の皮を剝ぎさえすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれたまえ。

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芥川龍之介が、その人生を振り返っている点で「或阿呆の一生」は、自叙伝と言えるものと思われます。しかし、その振り返り方は、おおまかな時間軸で、51の事項を取り上げ、印象を掬い取ったような描き方をしており、独特だと感じられました。

そのため、
・その事柄を直接知る人には、よくわかる。
・その事柄を間接的に知る人、あるいは興味がある人には、察せられる。
・知らない人や興味がない人には、わからない。
という文章になっているように思われます。

また、51の事項をグルーピングすると、
・家族(母、養父母、伯母ほか及び妻と子) 10事項
・妻以外の女性 10事項
・師や友 6事項
・芸術の志向10事項
・心身の不安 6事項
・その他(判断ができなかったものを含む) 9事項
という区分ができました。これらの内、家族と妻以外の女性に関することが、いずれも10事項ずつあり、その数がやや多い気がしました。

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そう思ったとたん、「なぜ、このような書き方をしたのか?」について、妄想が始まりました。それは、自死を考え始めた芥川龍之介が、残される妻や子のために、「世の中の人が特に関心を持つと思われるトピック」について、「本人の言葉として、一言残しておこう」と考えた、というものです。

そのトピックとは、母の精神病、養父母や伯母との確執、義兄のトラブルといった家族に関するもの、そして芥川龍之介と関係があったとみられる複数の女性たちのことです

あらためて、「或阿呆の一生」の冒頭、久米正雄に宛てた文章を読むと、家族や妻子を守るための作品を書き上げた後の、淋し気な安堵感が想像されてなりません。

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岡本かの子は、「鶴は病みき」で、芥川龍之介の自死について次のように記しました。

 その年七月、麻川氏は自殺した。葉子は世人と一緒に驚愕した。世人は死の自殺に対して、病苦、家庭苦、芸術苦、恋愛苦或いはもっと漠然とした透徹した氏の人生観、一つ一つ別の理由をあて嵌めた。葉子もまた・・・・・だが、葉子には或いはその全てが氏の自殺の原因であるようにも思えた。

果たして、芥川龍之介の死に驚愕した人々は、「或阿呆の一生」をどう受け止めたのでしょうか・・・・。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

*岡本かの子「鶴は病みき」に関する過去の投稿です。



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