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弟の内で生き続ける安寿。 - 姉さん、任務完了 from 厨子王-

再読の部屋。 No.9 森鷗外作「山椒大夫」大正4年(1915年)発表

森鷗外の「山椒大夫」について投稿したのは、2021年5月9日。そのとき、鷗外の「山椒大夫」は、姉安寿の冷徹な戦略の下、弟厨子王が、「父の行方を知り、佐渡の母を助ける」というミッションを遂行した物語と記しました。

読み返してみると、事を成し遂げようとする安寿の凄さを改めて感じます。幼い弟を確実に脱出させるため、緻密な企てをする頭脳の持ち主。計画上必要とあれば自分の命を投げ出し、計画遂行する冷徹さが際立っている。

そして姉の策に従い、小さな弟は勇気をもって、たった一人で山椒大夫の館を脱出し、ミッションの遂行に挑んだ。

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広辞苑によれば、山椒大夫は、丹後国由良に住んでいた強欲非道の富者で、その物語は、
・陸奥太守が、無実の罪で筑紫に配流された。
・その子の安寿姫と厨子王は、母と共に父を尋ね旅に出る。
・旅の途中、彼らは人買い山岡太夫の手に渡り、母は佐渡へ、二子は山椒大夫に売られる。
・姉は弟を逃がして死んだが、厨子王は京都に上り、山椒大夫・山岡太夫を誅して、仇を報いた。
・中世以来、小説・演劇の題材となり、森鷗外にも作品がある。

しかし、森鷗外の「山椒大夫」は、次の設定や描写により強欲非道さが和らいでいるように感じました。

・山椒大夫は、自ら、逃亡を企てた奴に烙印をする人物。しかし、三人の息子のうち太郎は、奴に烙印をする父を見て家を出てしまい、二郎も、奴婢を傷めつけることはしない。

・奴婢を束ねる奴頭は、山椒大夫一家の指示があれば、奴婢に苛酷なこともするが、実は、人が苦しむ姿は嫌いで、可能な限り穏便にやり過ごしたいと思っている。

・丹後の国守となった厨子王は、丹後一国での人の売り買いを禁じた。

・山椒大夫は奴婢を解放して、使用する人に給料を払うことにした結果、一時的に損失はあったものの、農作も工芸も以前よりも盛んになって、一族はいよいよ富栄えた。

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このように設定された山椒大夫の物語の中で、安寿は、残る彼女を案じる弟に、ひとりで京へ逃げるよう命じるのです。そのとき彼女が厨子王に放ったのは次の言葉。

それは、いじめるかもしれないがね、わたしは我慢してみます。金で買った婢(はしため)をあの人達は殺しはしません。多分お前がいなくなったら、わたしを二人前働かせようとするでしょう。

森鷗外「山椒大夫」

冷静に状況を判断し、可能性を分析していると思えませんか?

しかし、安寿が賭けた可能性とは、
・ 京都まで逃げれば、善き人に出逢える可能性がある
・ 善き人に出逢えることができれば、運が開けることもある
・ 運が開ければ、父の行方を知り、母を助けることができるかもしれない
というもの。

ゼロではないけれど、とてもとても小さな可能性。そこに自分の命まで賭ける点に、強い意思と胆の太さを感じずにはいられません。

森鷗外の「山椒大夫」に、安寿と厨子王の「父の行方を探り、母を助ける」というミッション遂行の物語を重ねたとき、入水して果てた安寿は、小さな弟厨子王の心の内で復活しなければならない、そう思わずにはいられません。そして、常に彼と共にあり、彼の問いに答える賢者として生きてきた。

だからこそ「安寿と厨子王」の物語と言える、そんなことを考えています。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

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