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彼女の行く道に標はなく、他の道を教えてくれる人もなかった。


ほんの感想です。 No.10 有島武郎作「或る女」 大正8年(1919年)刊行

「或る女」は、前編と後編からなる長編小説です。前編で、輝いていた主人公葉子が、後編では、愛を失うことを恐れ、病に苦しみながら、来し方を悔やみます。

病以外は自業自得とも思えるような半生です。しかし、「生きることは、死ぬまで試行錯誤をする、一回限りの挑戦」と考えたとき、葉子は、葉子にしか生きられない世界を生きている、と感じられ、「これでいいのだ」と納得した作品です。

あらすじ

前編で描かれるのは、
・美貌と才気で男を魅了する女王葉子
・愛した男性と結婚したものの、すぐに興味を失い結婚生活を終わらせる葉子
・奔放な行動を非難する親族や世間に怯まない葉子
・経済的理由で結婚を承諾。婚約者がいる米国に向かう船上で、運命の男倉地と出会う葉子

また、後編では、
・倉地との不倫生活を世間から激しくバッシングされる葉子
・病の悪化に苦しむ葉子
・倉地の愛を繋ぐことにもがき、力尽きていく葉子
が描かれます。

ここがおもしろかった

1 「心のままに生きる」こと
自身を「女王」と自負し、それに相応な贅沢を自ずと欲する葉子にとって、自由に使える財産がないことは、大きな問題です。家制度の下、「親、夫、あるいは子」を持たない葉子が、経済的な保証を得るためには、裕福な男性との結婚が最速の方法です。その意味で、興味のない男との結婚を承諾した葉子は、生きるための妥協ができたのです。

ところが、婚約者が待つ米国への船上で、未知の魅力を持つ倉地を知ると、後先を考えずに、彼に走ってしまうのです。それは、彼女の心が、欲したことでした。

葉子は、生きるために必要な打算や計算ができる女性です。しかし、彼女の心は、そうした打算や計算を吹っ飛ばし、葉子を振り回します。そして、女性の権利が制限されていた時代にあって、葉子の喜びと苦しみの振れ幅は、どんどん大きくなります。

もし、自分の心が望むものがわかっていれば、より生きやすいのかもしれません。「それができたら、苦労はしないよ・・・」。そうかもしれませんね。

2「或る女」のラスト
葉子の人となりを、作者は次のように記しています。

葉子は他人を笑いながら、そして自分をさげすみながら、真っ暗な大きな力に引きずられて、不思議な道に自覚なく迷い入って、仕舞にはまっしぐらに走り出した。誰も葉子の行く道のしるべをする人もなく、他の正しい道を教えてくれる人もなかった。

作者が、「道標もなく、他の道を教えてくれる人もなかった」と描く葉子は、時に打算的にもなり、時に後悔の涙も流しながら、彼女が置かれた世界を、彼女の心に導かれて生きたと思います。

作者が、葉子に重い病を与えたことに、当初、「なぜ、彼女をそこまで打ちのめすのか」という疑問を持ちました。しかし、葉子が元気なままであれば、二十六という年齢や、倉地に苦しんだ経験から、新たな男性を見出し、生活の保証を得て落ち着いていたようにも思えます。

有島武郎は、そのような葉子を見たくはなかったのかもしれない。そして「病に苦しむ悲劇的な終え方が、女王を自負した葉子には、相応しい」と考えたのかもしれないなどと空想しました。

最後に

ニッポニカ山田俊治解説によれば、「或る女」は、有島武郎が国木田独歩の前妻佐々城信子をモデルに主人公早月(さつき)葉子を仮構して作者の「人生の可能」(広告文)を追求した作品、ということです。どこからがモデルを超えた「人生の可能」なのか気になりました。そのヒントは、倉地にはモデルがいないということにあるように思います。


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