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「ドルジェル伯の舞踏会」を読み、また「武蔵野夫人」を読みたくなりました。

大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んだ後、レイモン・ラディゲ作「ドルジェル伯の舞踏会」を読むことを、宿題のように感じていました。

ラディゲについて凄いと思うのは、日本での人気の息の長さです。現在も、新潮文庫で「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」が発刊されており、今回購入した「ドルジェル伯の舞踏会」は、平成29年8月の56刷版となっていました。

「二十歳で亡くなった天才作家」「コクトーに愛され、惜しまれた才能」「三島由紀夫を始め多くの作家が絶賛」「世紀の美男子ジェラール・フィリップの映画もよかった」など、様々な要素が相乗してラディゲの人気を高めたように思えます。その中でも、大岡昇平が「武蔵野夫人」を書いたという点に、ラディゲの心理描写のインパクトの強大さを感じてしまいます。

「ドルジェル伯の舞踏会」は1920年頃のフランス貴族やその友人たちの社交生活を舞台に、人妻と素朴な青年が魅かれ合い、それぞれ苦悩する心の様を描いています。人間の感情生活を、「貞節を堅守する」というルールで縛り、そこで生じる苦悩を結晶化させ、最も純度の高いものを選んで描いたような、人工的な美しさを感じました。

特に、「貞節であるがゆえに、青年に傾く心に苦悩する」、という人妻の造形と、そのための設定は、とても面白いと思いました。その設定とは、ドルジェル伯を含む社交界の人々に対し、ドルジェル伯夫人が、真剣に「貞節」を守ろうとするのは、彼女が「古風」であるからだ、というのです。そして、彼女がそうある背景について、その生家が、かつて、フランス本土を離れ、西インド諸島のある島に移住した名門貴族である、ということをしっかりと描いているのです。

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「ドルジェル伯の舞踏会」を読了してから、「武蔵野夫人」について考えてみました。

「武蔵野夫人」では、「貞節」と「不倫」が対比され、その結果、二つの物語が生まれています。ひとつは、「貞節の堅守」に従う、主人公道子とその従弟勉の物語。今ひとつは、道子の夫秋山と富子の不倫の物語です。実は、秋山と富子の物語は、かなり迫力を感じていて、「武蔵野夫人」の途中からは、そちらを、もっと読みたいと思ったことを思い出しました。

それで納得したのは、「武蔵野夫人」での財産問題の意味です。最初に読んだ時、ラストに向けた無理な舵の切り方のようで、奇異な印象を受けました。しかし、秋山と富子の物語に対抗し、かつ、「武蔵野夫人」を、道子の物語として完結させるためには、必要な筋立てと思われてきたのです。

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「ドルジェル伯の舞踏会」と「武蔵野夫人」は、似ているようで全く違う、でも、やはりどこか似ている。そんな二作品を読んだことで、それぞれの作品を何度も思い返しています。

ここまで、お読みくださり、ありがとうございました。

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