見出し画像

#19 たった一つの巣箱から始まった養蜂一家の70年。受け継ぐ3代目がこだわるのはアカシア蜜の「透き通る白」

石筵いしむしろ養蜂園
後藤佑亮ゆうすけさん

今日の養蜂技術が日本で定着したのは明治時代中期のこと。明治後期から大正、昭和初期にかけて全国に拡大し、戦時中には砂糖に代わる甘味品として、また巣に溜まったろうを精製した蜜蝋みつろうが軍需用品として珍重されました。戦後の食糧難においてもその需要は高く、養蜂業を志す人が全国で急増したと言われています。

そんな戦後の影がまだ郡山にも残る1952年、わずか15歳にして、たった一つの巣箱から養蜂を始めた少年がいました。営林署に勤務しながら兼業で養蜂を続け少しずつ巣箱を増やし、息子の代で養蜂専業に転換。今や巣箱は150余りに増え、年間6トンもの蜂蜜を生産する養蜂農家へと成長しました。

そして今、82歳になったその初代のもとで、3代目となる孫が次の時代を担う養蜂家として新しい歩みを始めています。今回は、その若き3代目、石筵養蜂園の後藤佑亮さんに、ご自身のこれまでの歩みや、ミツバチと向き合う日々の想いをお話しいただきました。

何事にも妥協しないじいちゃん。その存在がありがたい。

画像1

「自分もこの仕事をやるんだろうと子供の頃から思っていました。」

そう話すほど、生まれた時から養蜂が身近にあった佑亮さん。祖父・克己こっきさん、父・譲さん(2019年ご逝去)の働く背中を見ながら、郡山市熱海町石筵の地で育ちました。

「 “うちは代々養蜂です”って言うと、たいていの人は驚きますよね。でも、驚かれることに驚くぐらい自分にとっては普通のことだったんです。

でも、じいちゃんはかなり苦労したみたいですね。米をやりたかったけれど土地がなくて、たまたま出会った業者にミツバチを売ってもらったものの、お金がなくて巣箱一箱分しか買えなかったそうです。

また、蜜を集める場所を探すのも一苦労だったようです。今はちゃんと養蜂業の協会があって、採蜜をする場所もきちんと住み分けができていますが、昔はそういう体制も整っていなかったので、縄張り争いでケンカになることもあったと聞いています。」

ゼロから養蜂の道を切り拓いた経験に加え、営林署勤務だったことからミツバチが蜜を集めるアカシア(ニセアカシア)の生態にも豊かな見識を持つ克己さん。現在使用している150個の巣箱も、その一つひとつを克己さんが手作りしたそうです。

「若い頃に苦労したからか、何事にも妥協しないじいちゃんですね。生き字引のような存在です。作業をしていると寄ってきて、ここはこうだと一つひとつ教えてくれます。聞いてもいないところまで(笑)。」

正直言うと、最初はミツバチが怖かったんです。

画像2

ぎっしりと蜜が詰まった巣枠を遠心分離機に入れて蜂蜜を取り出す作業など、高校時代にはすでに少しずつ手伝いを始めていた佑亮さん。大学在学中や卒業後には、若者の異文化交流を目的に海外就労を認める制度「ワーキングホリデー」を利用し養蜂が盛んなニュージーランドで生活するなど、海外での日々を経験。3年前に本格的に養蜂に関わり始めました。

「正直に言うと、最初はミツバチが怖かったです(笑)。もちろん純粋に刺されて痛いのもありますけど、最初の頃は刺されたところが異常に腫れたり、じんましんが出たりしました。父もそうだったんですが、いろいろ聞いてみると、養蜂家の2代目、3代目はハチアレルギーを持っている場合が多いらしいんです。徐々に抗体ができて今では腫れなくなりましたけど、肉体労働にプラスしてミツバチへの恐怖という試練がありました。」

画像3

5月中旬から6月中旬にかけての約1ヶ月で、アカシア、ヤマザクラ、そしてさまざまな花の蜜を集める百花蜜と、1年分のすべての蜂蜜を製造する石筵養蜂園。採蜜は、花の咲く場所やそのタイミングによって巣箱を移動させながら行います。仕事に関わるようになって、佑亮さんの生活リズムもミツバチの習性に合わせて大きく変わったそうです。

「完全にミツバチ中心の生活になりました。巣箱の移動はミツバチがすべて箱に入っている時にやるんですが、彼らが巣箱に入るのは朝早くか夜遅くなので、場合によっては真夜中に移動の作業をすることもあります。まわりに電気の明かりがまったくない、今にもクマが出てきそうな山の中に巣箱を置きに行くこともあるので、今ではハチよりそっちのほうが怖いです(笑)。体力的にはもちろんですけど、精神的にもずいぶん鍛えられてきました。」

自分で育てたミツバチは愛着も感動も違う

画像4

石筵養蜂園では、採蜜のシーズンが終わるとミツバチを分けて飼育し、一部はリンゴ農家やイチゴ農家に交配用に貸し出して、残りは千葉で越冬させます。そうして70年近くにわたって繋いできたミツバチの命を、今年からは佑亮さんが本格的に受け継いでいます。

「自分がメインとなってミツバチを見る最初の年なので、今年はとにかく習ってきたことに忠実にやろうと思っています。実際に自分で見るようになると初めて気づくことがたくさんありますね。でも、同じミツバチでも自分で育てたミツバチはやっぱり愛着が違いますし、そのミツバチたちが蜜を集めてくることに対しては、今までに味わったことのない感動があります。」

画像5

昨年結婚したばかりの佑亮さん。現在は奥様に加えて妹さんやその婚約者の手も借りながら、家族経営で養蜂に取り組んでいます。今後は新しい試みとして郡山市内に直売所をオープンする予定です。

「わざわざ市内から石筵まで買いに来ていただいたのに作業に出かけていて留守にしてしまっているようなこともあるので、以前から直売所は欲しいと思っていました。じいちゃんも昔からやりたいと思っていたそうですし、自分自身も、養蜂をやっている者としてはやはり買っていただけるのが一番の喜びですから。蜂蜜はもちろん、母が作った雑貨を置いたり、その場で蜂蜜の味を感じていただけるようなカフェスペースも作る予定です。」

100%自家採取で加熱処理なし、すべて手作業で精製される蜂蜜は、しっかりとしたトロみと混じり気のない色味が特徴。とりわけその色には、佑亮さんがどうしても受け継ぎたい石筵養蜂園の誇りがあるようです。

「蜜は巣箱に置いておけば置いておくほど濁っていくので、きれいな透明を保つのはけっこう手間のかかる作業なんです。でも、だからこそこだわって、このきれいな色を守っていきたい。特にアカシア蜜の透き通った白は、父の一番のこだわりだったんです。」

克己さんは、「まさか孫の代まで続くとは思わなかった」と口にしますが、その表情にはやはり安堵や喜びの想いが滲んでいるように見えました。一つの巣箱から始まった家族の歴史は今、新しい世代の力とアイディアを柔軟に迎え入れながら、確実に次の時代へと受け継がれ始めています。

画像6

_____

石筵養蜂園
福島県郡山市熱海町石筵的場8
Tel / Fax 024-984-2171
https://peraichi.com/landing_pages/view/ishimushiro-honey

_____

<石筵養蜂園の蜂蜜が買える場所>

画像7

■石筵養蜂園
福島県郡山市熱海町石筵字的場8
Tel / Fax 024-984-2171
※お越しの際はお電話にてお問い合わせください。

■郡山市磐梯熱海観光物産館
福島県郡山市熱海町熱海2-15-1(熱海多目的交流施設「ほっとあたみ」内)
Tel 024-953-5408
http://www.bandaiatami.or.jp/enjoy/kanko/kanko-bussankan.html

■日本橋ふくしま館 MIDETTEミデッテ
東京都中央区日本橋室町4-3-16 柳屋太洋ビル1階
Tel 03-6262-3977
https://midette.com/

_____

取材日 2020.6.4
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!