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ちょっと立ち止まって、自分のペースで

デジタル時代となり生活のテンポが以前に比べて上がっているような気がします。

ネット通販なら場所によってはその日のうちに、とか数時間以内に配送まで住んでしまうところもあるようですね。

つい先日、小理屈野郎は子供の通学定期の継続購入に行きました。
私が中高生の頃は両親にお金を貰って、最寄りの少し大きな駅まで行って定期券売り場で申込用紙に記入して、少し並んでやっと購入、という感じでした。現在は子供の定期をもって、クレジットカードを握って駅の券売機の前に立てば、表示の言われるままに手続きすることによってものの数分で購入出来てしまいます。

時代が進むにつれて待ち時間が短くなったり、最終的な結果を得られるまでにかかる時間が劇的に減ったりしているようです。

ただしすべての物事のテンポが上がるわけではないと思います。

たとえば、教育

小学校から高校までに習うことはGIGAスクール構想が現実化しつつある今も、昔もそれほど習う内容や量についてはそれほど変化が無いのではないでしょうか?
それに12年間で習うことをたとえば3年間で修了出来る訳ではないですよね…(ちょっとでも早く修了して大学受験に備えようという層もあると思いますがその層でも高校2年生まで、という感じでやっているのは今も昔も変わりは無いようです)。

自分の成長

これについても一緒ですよね。自分を一番分かっているのは自分と考えれば、欠点も長所も分かっているので簡単に結果が出るカリキュラムを組めたり結果に向かって走ることが出来ると思いますが、自分の能力以上のことは出来ませんので凡庸な結果に終わることが多いです。


今の世の中の風潮は「結果や成果に向かって一目散」と感じるようになりました。

よく言えば無駄がない、脇目も触れずに追求する、と言うことでしょうが、見方によってはかなり窮屈でもあります。

これって、時間に追われているからでしょうか?もしそうならそのプレッシャーがもたらすのは焦燥感ではないかと思います。

世の中全体の焦燥感が強いから遊びのない組織になってしまうのではないか?

こういう目で自分の生活習慣を見てみます。

待てない

元々待てない性分ですが、世の中、待つことが減ってきているのでますますますことに嫌悪感を感じる場合が多くなっています。ただし最近は待ち時間でもKindleで読書でもしていれば良いわ、という感じで少し待てるようになりました(笑)。他人を待たさないために焦るのはまだまだ習性としては残っていますが、待つことについては少々待つことが出来るようになりました。

思ったような結果が出ないと結構イライラする

ある結果を得るためにどうすべきか、と言うことは考えていきます。その青写真にうまく乗らないときはいらいらすることが多いです。けど、これも結果や成果重視だからだと思うんですよね。

自分がコントロール出来ることと出来ないことがある。それを忘れてしまっていることが多々あるようです。コントロールできることでもあえてスピードを追求するよりも立ち止まって考えた方が結局いい結果が出る(=結果的に早くその高みに到達できる)こともあるような気が最近しています。

急がば回れ、と言うか歩きながら道ばたに咲いている花を見ましょうというか。

やはり私も時間に追われており、それによるプレッシャー(=焦燥感)に強く影響されて生きているのだと感じます

疾走すべき時はあると思いますが、一呼吸置いて、立ち止まって、周りを見て、自分のペースに戻す(=結局焦燥感からの脱出と言うことでしょう)ことも大事ではないか、とこの頃思っています。

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