見出し画像

読書ノートについて考える 「最速でゲット」「必ず残る」知識はあるのか?

まだまだ読書ノートは以前の記事のようにどの本についてもつけている小理屈野郎です。

今も変わらず読書ノートを作成しています

以前にも書いたことがあるかも知れませんが、1冊の著書の読書ノートの原稿をポメラでをつくるのには、短くても30分程度、そして長ければ1時間半ぐらい かかります。
その後、ポメラでつくったメモと、Kindleのハイライトした部分を結合させてEvernoteのノートに仕上げるのです。
特に質問形式にしてその質問をブラッシュアップした最新版の読書ノートのフォーマットを使うようになってから、著書の内容が結構頭に残る ようになっています。
けれども、ちょっとでも時間の節約や、効率が上がる方法 をどうしても考えてしまいます。

そんな中で前回、時間を効率的に使う方法とは?という疑問に答えた著書を読み書評をnote記事としてアップしました。

そこで、上記著書を読んだ後にふと、表題のように「最速でゲット」「必ず残る」知識はあるのか? ということについて思索してみました。

知識を身につける≠知識のデータベースをつくる

「最速でゲット」「必ず残る」知識を身につける、という話を展開している論調では、自分なりの知識のデータベースをつくるということにフォーカスしている と思います。
知識のもとになるようなものをデータベースに入れて、それを活用していこう、ということなのです。
確かに話としては非常に良くできていると思いますが、一つ、忘れている大事な問題がある のではないか、とはたと気付きました。
それは、データベースをつくることはデジタル技術を使うと以前に比べて簡単にできるようになったかも知れません。(個人的にはデジタル読書をするようになってそれはひしひしと感じるところです)しかしその内容(データベース)を検索するときに、その問題は発生する のです。

その問題とは、

どのようなキーワードで検索するか

ということだと思うのです。

データベースをつくる=頭の中にフラグを立てる

データベースをつくるときに、最近は検索能力が非常に強力になってきているので非常に大まかで良い と思うのですが、どこにどのようなデータがあるか(これはある程度検索で回避できますが)、どのような内容のデータベースか、そしてどのような言葉がキーワードたり得るか、ということがある程度自身の頭の中にフラグとして立っていないと、結局検索すらできないのではないか と考えるのです。
要するに「○○」みたいなことを読んだことがあるな、じゃあ読書ノートを検索しよう、となる動機みたいなもの です。

頭の中に知識のフラグを立てるということ

そういう意味では、現在実施している質問形式での読書ノートの作成は非常にうまくいっていると思います。
ハイライトした部分の中で、特に重要と思う部分について、自分の考えたことや著者の考えをまとめています
これをしているときに新たな発想を得ることもできます。
これらのことが頭の中に知識のフラグを立てる のではないかと考えるのです。
だからこそ、1冊あたり30分から1時間半かかるのですが、これはかけるべき時間ではないかな 、と思います。

さらにそのフラグを立てる能力を規定するものとして、小理屈野郎を含めた人の能力 についても考えてみることにしました。

人の能力について思索する

人間は1馬力

「最速でゲット」「必ず残る」知識をつける、という論調の神髄は、知識をつけるための周辺の煩雑なことを超高速化することですが、人間の馬力(能力)は1馬力(1頭力www) です。
自分の能力以上のことはできないのです。ここで、自分の能力を発揮すべきところは、自分の頭の中にキーワードの知識のフラグを立てること です。そこを高速化するということはフラグ立てのプロセスを高速で回すことにもなるので、知識のフラグは自ずから本数が減り、良いものが立たないのではないか 、と考えます。
事実、質問形式での読書ノートをつけていないそれについては、結局ハイライトを読み直す(軽く再読するということに近いものです)ことになり、煩雑なこと極まりない状態、そして却って非効率です。ひょっとしたら小理屈野郎の能力の問題かも知れませんが。

人の能力の差はそれほど大きくないのではないか

しかし、小理屈野郎の1馬力(1頭力)のパフォーマンスを別にしても一般的に、人の能力というのはそれほど差があるものではないと考えます。もちろんずば抜けた人はいるでしょうが、それはむしろ少数派であり、多数派の能力というのはどんぐりの背比べだと思います。

知識を身につけるには

知識を身につける、自分のものにするということは自分の頭の中に知識のフラグを立てるということでありやはり地道な作業ではないか と考えます。
技術の進歩によりかなり手間は省けるところが増えましたが、自分の頭の中に知識のフラグを立てる、ということは一番重要であり、そこにはそれなりの時間がかかる しその時間は非常に大事なものと考えます。
自分の読書ノートを豊かにしていく過程で実感したのは、これはと思ったところを自分で著書の内容を打ち込みそれに対して思索し、それをメモとして残すなど何らかのアクションを起こさないと自分の頭の中に知識のフラグは立たない 、ということでした。

その過程の中でデジタルの利点である検索、1次資料としての高い流動性を自分の味方につけるぐらいの効率化しかできないし、すべきではないのではないか 、と考えます。

そんなこんなを思索しながらふと思い出した言葉は以下のようなものです

「学問に王道なし」

無粋な結論に戻ってしまいました(苦笑)

まとめ

「最速でゲット」「必ず残る」知識はあるのか?ということについて少し掘り下げて思索してみました。
知識を自分のものにするには、ある程度デジタル化することによって便利に、そして最終的なアウトプットに対してアドバンテージになることがたくさんあることが分かりました。
しかしどうしても省けない営為として、自分の頭の中に知識のフラグを立てる、ということがあり、それをものにするにはそれなりの時間や思索が必要と考えました。
また、その思索や選択がその人やその人の知性を形作るものであり、その人の知識の豊かさや独自性につながるものだと考えました。
現在の小理屈野郎の読書ノートシステムについては、それなりにうまく機能しているのではないかと考えました。
ついつい甘言にふらふらとしてしまうことが多いですが、負けずに着実にコツコツと読書ノートを作成していこうと思いました。


このような思索をできるようになったのはデジタル読書による没入感ある読書と、その後にポメラという書くことしか出来ないデバイスを使った思索があるからではないかと思っています。
それぞれは単機能であまり世の中では評価されないものではあるのですが、その組み合わせの中に真実があるような気がしてなりません。

よろしければサポートお願いいたします。 頂いたサポートは、書籍購入や電子書籍端末、タブレットやポメラなどの購入に充当させていただきます。