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ネタの断片の効果

以前に思索ネタについての記事で、「ネタの断片」というファイルをポメラの中に作って、そこには、ネタの断片を思いついたときに書き出し、ある程度育ったところでそれをとりだし、新しいファイルに貼り付けて、思索を行っているお話をしました。


ネタの断片を書き出すと言うことは思索の小さな引っかかりを出すこと

ネタの断片を書き出し、それを育て、思索を行うことで、色々なことを思いついたり、それから新しいストーリーを思い付いたりするようになりました。
というか、今まではそれを拾えていなかったんだと思います。
ふっと思いついたことをそのまま流す、という風にしていたんだろうと思います。

これだけ色々なことが起こる毎日ですからいちいち小さなことに惑わされていると精神的に持たない、というのも一理ありますが、すべてを流していると、その中にはひょっとしたら重要なことが混じっているのではないかと思うのです。
そういうことが、小理屈野郎の場合は小さな引っかかりとして「ネタの断片」ファイルに書き出すことになっているのではないかと思います。
大抵キーワードを思いつくときは通勤(特に退勤時)車を運転して家に向かっているときです。
一日の仕事も終了したし、精神的にはリラックスしているんでしょうね。
ふと思いついた言葉(キーワード)を復唱して「ネタの断片」ファイルに載せる。
載せるまでは少し不安定ですが、載せてしまえば忘れても大丈夫です。
また、「ネタの断片」ファイルを見ればいいのですから。
その後、それらにゆっくり向き合い、思索を重ねることで、思わぬことを思いついたり、思わぬ考え方を見つけたりできて、結構面白いし、小理屈野郎的には、これがいい気分転換になったり、ストレス解消になっているようにも思います。

つまり自分の内面の小さなつぶやきに焦点を当てると言うこと

結局、「ネタの断片」ファイルで何をしているか、というと、表層的にはnote記事のネタを探していることになるのでしょうが、深層的には、自分の内面の小さなつぶやき、小さな訴えに対して自分なりに丁寧に焦点を当てて、それに答えている、ということではないかと思うのです。

最初はnote記事を書くと言うことを読書に対するアウトプットと言うことで始めました。また、定期的にアップする(毎週月・水・金曜日)と言うことに自分の中でルール付けしています。

もちろん読書のペースは今までと変わりませんが、週3回、毎回書評ばっかりをアップしているほどの読書量はありません
そうなると、定期的にアップするには身の回りで起きたことについてとか、スキーのこととかを書くことになります

その中でネタを探すと言うことで「ネタの断片」ファイルを作り出したのですが、大局的には自分の内面の小さなつぶやきに焦点を当てているのではないかと思いつきました。
そういう意味でもnoteで執筆しだして非常に良かったなと思います。

これは結局自分の内面を大事にすると言うこととそれを拡張していくということにつながるのではないか?

「ネタの断片」のキーワードをしっかりと保存し、それについて丁寧に思索すると言うことは、結局自分の内面の小さな不具合にきちんと向き合って対応していると言うことになるのかも知れません。
そして、それにより少しだけ内面が正常化および清浄化することになる(デトックス)ので、拡張する(=成長する)ことができていくのかも知れないなあと思っています。

なんだか瓢箪から駒の結論だったんですが、これからも「ネタの断片」の収集を続けていきたいと思います。

未だにネタを思い付いたとき瞬時に保存できる方法が編み出せないです。
これについて、色々と関連ありそうな書籍は読んでいるのですが、決定打はなさそうです。もう少し真剣に他人の方法をまねするのではなく自分なりの方法を思索してみた方がいいのかも知れません。

まとめ

・「ネタの断片」ファイルについて考えてみました。
・小理屈野郎にとって「ネタの断片」ファイルは単にネタを収集するために機能しているのではなく、自分の内面に向き合うための大事な窓口になっていることに気づきました。
・これからもネタの断片を足がかりに自分自身の思索の広さと深さを追求していきたいと思います。
・ネタを思いついたときの瞬時の保存方法についてはまだ考慮の余地があり、それについても継続的に思索していくこととしました。


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