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天職と転職と希望と現実

天職という言葉がある。

ググると
>天職とは、自分の性質に合った職業のことです。 「天から授かった仕事」 を表すときに用いられます。 具体的には、給与や待遇、周りの意見などに関わらず、心から充実感が得られ、生涯続けたいと思える仕事のことです。
とのことだ。

私の最初の仕事は飲食業であった。飲食業で2社を経験し、1社は15年、2社目は5年間お世話になった。
接客は好きだった。毎日来るお客様を迎えるのは楽しく、よくこの仕事が向いていると言われたのを覚えているが、最初の会社が15年、辞めなかったのは辞める理由がなかったことと、家庭から辞める自由を奪われていたからで、向いてはいたと思うが好きな仕事ではなかったと思う。
そんな飲食で務めた20年、私はマネージャー業務に従事した時間が長く、採用と退職に立ち会う機会が多かった。
入社理由は人それぞれだと思うが、辞める理由の半分以上は「人」の問題であって、仕事が向いている向いていないではなかった。もっと言うとその仕事が向いているか向いていないかさえ、短期間であれば「人」の問題である程度解決できてしまう。そんなものだった。
人によっては本当に向いていても辞めざるを得ない人も多くいれば、逆に全く向いていないと思うのにずっと辞めずに続ける人も多くいた。

なれば「天職」とは何なのだろうかと思う。
少なくとも私の常識のなかでは「心から充実感が得られ、生涯続けたいと思える仕事」は天職とは言わない。そんなものは暫時の幻だ。
人には希望がある。やってみたい仕事、なりたい職業、地位、名誉、収入、人間関係。意識高い系の人は「すべて自分次第」とおっしゃるのだろうが、世間でそんな人間離れした芸当ができるのは一部の自己肯定感が天よりも高く、対人感受性がかけらもない方達だけで、多くの一般人は希望と現実の狭間で自分の価値を見出すことで精いっぱいだと思う。
そんな小市民の私が今まで会ってきた人達を見ると
・やりたい仕事
・向いている仕事
・好きな仕事
・自分に合っている仕事
・活躍できる仕事
・長く続けられる仕事
全て重なることはないと思っている。
好きだから続くわけではないし、嫌いだから続けられないわけではない。
向いているからって活躍できるわけではないし、長く続けていても活躍しているかは全く別である。
ただ、脳死した中年のおじさま方にしたら、辞めるとか向いているではなく、「この仕事しかできない」という選択肢の元、ただ継続されている方も多いことだろう。この方たちは労働基準法を制定してくれている日本には絶対に足を向けて寝ないでいただきたいものである。
だからこそ好きな仕事を続けられている人は本当に運がいいと思う。

話しを戻すと、私は天職など存在しないと思っている。
いや、強引に定義づけをするならば、今やっている仕事が天職である。
だって「天から授かった仕事」だから。
これは納得できる。出会いと同じだ。
自分が選び、選択肢、ご縁があって初めて授かれる仕事。
だから今の仕事が天職だ。なんてラッキーなんだろう。私は今天職に巡り合うことができている。
頑張る理由なんてそんなものだけで十分だ。

だって辞める時はどうせ「人」なんだから。


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