ママ×助産師|この仕事を続ける意味 vol.2

富山県内を中心に「ジブンらしく生きる」ことを大切にしている女性にお話を聞き、それを記事にして多くの方に見ていただくことで、「ジブンらしく生きるヒント」を多くの女性へ発信したり、誰かの「やりたい」気持ちを後押しできたら…という願いから、『この仕事を続ける意味』という記事をシリーズ化。

第2回目は、看護師・保健師としても活躍されていて、現在まで1,000人以上の母子と関わってこられた実績を持つ、「かねこ助産院」の金子花苗さんにお話を伺いました。

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【プロフィール】
金子 花苗(かねこ かなえ)
職業:助産師
家族構成:夫・子ども2人


○何故その職業に就こうと思ったのか

子どもの頃から『保健係』などをよくやっていて、なんとなく人を助けることが好きでした。私自身、3人兄弟の一番上だったので、人のお世話をしてあげなきゃという気持ちが自然と身についていたんだと思います。
高校の時から看護に進むことは考えていました。看護師の資格を持ち、好きな場所で働ける。仕事に困らないのではという思いもありました。
そして希望通り、大学の看護科に進学し学んでいた時に、友人が妊娠してその相談に乗っていたことがきっかけで、看護の中でも母性看護学に興味を持ちました。


○助産師の勉強をされた後は、どのような過程を経て、開業されたのですか?

まずは、市立病院の産婦人科病棟で4年間、主に入院される妊婦さんや婦人科疾患の患者様の看護、分娩介助を学びました。
その中で、産後母乳育児に悩まれるママさんに出会い、助産師として力不足を感じ、母乳育児支援を学びたいと、東京の早稲田にある桶谷式乳房管理法研修センターに1年間研修生として学びました。その頃から母乳育児支援を仕事にしたいと思うようになりました。
その後、夫と結婚し、夫の転勤のため勤務助産師を退職。転勤先でも仕事をしたくて求人を探すと、パートの保健師の募集があり、市の保健センターで勤務することに。(保健師免許も取得していました)
そして妊娠・出産・子育てをして、子どもを保育園に入れるためには就労証明が必要だったので、求人情報を見たけど、助産師の求人はあるけれど、業務は分娩介助などが主になり、なかなか母乳支援ができない…自分がやりたいこと・得意なことを活かすには開業するしかないと思い、訪問専門で開業することにしました。
もちろん開業しながらも、クリニックでのパートや新生児訪問もやっていましたよ。身近なところに、同年代の開業助産師の先輩がいたのも心強かったです。良いお手本でもありました。


○子育てと仕事の両立で「大変だ」と感じる事と、その乗り越え方について

私自身家事がそんなに得意ではないのと、仕事を詰め込みすぎるというのが、大きな2つの課題です。
子どもの送迎はほぼ私なので、子どもの予定の把握をするために、スケジュールは手帳に必ず書いて忘れないようにしています。私の中で、子育てと仕事の両立をする上で、手帳の活用はかなり重要です!
訪問だと移動時間もあるので、それも計算できるように書き込んでいます。
また、買い物や料理などは、予め3日分くらい書いておいて、毎日考えなくていいようにしています。


○今もその仕事を続けている理由やこれからの夢について

困っているママやその家族に直接感謝していただけたり、分からないことが分かるようになっていただけたり、一緒に赤ちゃんの成長を感じたりできるのが喜びです。ママ達の伴走者という感じですかね。
これからの夢は、助産院として施設を持つこと。困った時に気軽に相談できる窓口となれば良いなと思っています。
富山市にも産後ケアの施設があるのですが、まだ各市町村にあるわけではないので。
どこで産まれた方でも、里帰り中の方でも、ママと赤ちゃんが利用できる産後ケア施設ができて、家族のサポートのある方もそうでない方も、笑顔で子育てできる環境が整うことが夢です。


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