歳をとるのは切ないと思いたくない

死んだ友人がいる。大学が同じだった。
社会人になったら、よく行くラーメン屋が同じで、奇遇にも何回かあった程度の友人ではある。でも比較的身近で同じ年齢の知人が亡くなるのはとても切ない。

歳をとると、こんな感じで深くもなく薄い訳でもない間柄の知り合いが、ぽつりぽつりといなくなる。
これは結構寂しい。

かつての上司が残ろうと思えば残れる勤務先を介護離職した。

かつての職場には、50歳を越えるのに管理職になれないで堪え忍んでいる人がいる。

かつての職場の同僚から久しぶりに連絡がきたと思ったら、「俺も辞めた」という連絡。

親が認知症になった、介護が必要になった、

自分自身がノイローゼになった、病気になった。

物覚えが悪くなった。集中力がなくなった。

老眼になった、白髪になった、髪の毛が薄くなった。離婚した。

などなど、、、、。

歳をとると、大なり小なり切ないお知らせを聞くことが多くなるように思う。

だけれども、歳をとるのは切ないと思いたくない。

思いたくないけど、、そう思わなくてもよくなるすべが見つからない。

ふと、みんな毎日を何をどのように考えて生きているんだろうか、歳をとっていくのだろうかと思う。

こんなふわふわとしたことを話せる場所が身の回りにない。

そんな場所がほしい。

みんな、こんなことを考える余裕がないのか。それとも考える私が暇なのか。

そんな場所とは、海外だったら協会?、昔の日本だったらお寺?

もしかしたら、そんな場所が、今はインターネットになっているのだろうか。

なんか、もしそうだったら寂しいよね。

だってwebサイトは刻々と変わっていくので、記憶に残るようなランドマークが無い。

webサイト上の出会いは所詮は個人的で刹那的なものだし、集団的で永続的な帰属意識を満たしてくれる場所でもない。

そんな場所になりえる図書館のような、コワーキングスペースのようなところができれば、これから流行るかもしれない。

よろしければサポートお願いいたします。 サポート費用をこれからの執筆に使わせて頂きます