ホンネの言葉が人を動かすと、無意識に教えてくれたひと。
小学生のわたしは、優等生だった。
「よくできる」が並ぶ通知表を持ち帰り、
宿題の提出を忘れたことはなく。
作文や図工の授業まで、自分の作品が選ばれることを待っている。
ある種「不自由」な子どもだった。
道徳の授業だって、選ばれる作品づくりに抜かりなかった。
特に得意だったのは感想文。
「私たちはもっと〇〇しなければならないと感じました。」なんて
耳ざわりのいい言葉を、用紙の裏まで並べてのける。
花丸がついて、教室の後ろに貼り出されるのが誇らしかった。
中学生になった。
英語担当に、数学担当に。お世話になる先生が増えた。
「先生に気に入られるのは、必ずしも自分ではないのだな」と悟ったのは、
この時かもしれない。
先生1人がかかりきりの小学校の学級では、
優等生の「手間のかからなさ」が魅力になりやすい。
でも、浅い付き合いになる科目担当の先生方は
それぞれに相性のいい生徒がいるようだった。
優等生の仮面が、万能ではないことを知った。
社会の先生は、味のある人だった。
朴訥としたトーンで、ごりごりに生徒をいじる。笑
決して聖人には見えなかった。
クラス全体に語りかける時も、大袈裟な言葉は使わない。
だが熱血ではないように見えて、生徒をよく見ていた。
「君のピンと伸びた背筋を見ると、胸がスッとします。」
初めて褒めてくれたのも、この先生だったっけ。
授業の一環で、ドキュメンタリー番組を見た。
フリーターの若者たちが勤める工場。
精神的な未熟さ故に、トラブルを起こしてしまう男の子がフィーチャーされている。
誰が良いとも悪いとも、明言せずに終わる番組。
「私たちはもっと、主人公のような人が
本当にやりたいお仕事を探しやすい環境を用意すべきだと思います」
「働くことの大変さを感じました」
そもそも、番組が誘導したい意見の方向が分からない。
模範解答が掴めず、いつもの優等生構文が捗らなかった。
用紙が埋まらない。
思ったことをそのまま書いてしまえ。
「最初に映った、バスに乗って通勤する
若者たちの表情がとても暗く見えました」
「本当はアパレルのお仕事がやりたいと言っていたけど、
工場の人と仲良くやれていないので難しいと思います」
「でも、一度どこかで間違えただけなのに
大変な思いをし続けて、戻れなくなっているだけかもしれません」
感じたこと、目に映ったものをそのまま書いた。
何が言いたいのか、自分でも分からないものも。
今日はうまくこなせなかったなあ。
そう思いながら、プリントを出して帰った。
1週間後、感想文に印がついて返ってきた。
一瞥して、気づいた。
波線が引かれ、評価されたのは。
私の拙い、本音の文章だった。
仮面と本音をふるいにかけたように。
私の心がこもった文にだけ、線が引かれて返ってきたのだ。
それ以来、私の言葉選びは変わっていった。
「お手本のCDの歌声は、水を含んだハケみたいな感じ。
私たちの歌声は、バラバラの古いほうきみたいな感じ。」
「泣きたいのに、苦しすぎて涙が出ませんでした。
泣けてよかった。話を聞いてくださってありがとうございます」
「誰にでも好かれようとは思わない。
私のことを嫌いな人への一番の親切は、近寄らないことでしょ?」
今では知っている。
心からの言葉こそ、人の心を動かすことを。
感性を無防備に晒してこそ、人と交われることを。
結局先生は、優等生の文章を見抜いていたのだろうか。
いずれにせよ、私の仮面を剥がそうだなんて
考えてはいなかったに違いない。
掴み所のない立ち振る舞い。お話しすることも多くなかったけれど。
あの先生こそ、私の恩師なのかもしれない。
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