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平等じゃない?いのちのはなしpart.2

命は平等だろうか。

こんにちはエンピツです。

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普段はブログを書いていますが、時折思ったことなどをこうしてnoteに書いています。
Noteにはブラックエンピツの部分が出てくることもありますが自分の思考を言葉にする。
そしてそれを見てもらうことができる。


共感してくれる人(スキをもらえる)がいる。

とても嬉しいことだし、自分自身をふりかえることができるいい機会です。
今回は

「命について考える」というテーマで
「命は平等だろうか」ということを考えてみました。



結論「命は平等?!」

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エンピツの中の結論は
「平等なものだと思いながら、感じている価値は平等ではない。」です。

少し意味がわかりにくいかもしれません。

これからそれを深く掘っていきたいと思います。



「命は平等」はどこからきたの?

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日本国憲法に定められているのは「全ての国民は法の下で平等」という言葉があります。
その言葉の解釈の一つであると言えるのかなと思います。
その文章は「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
と続きます。
それが全ての国民の命は平等であって、だれであっても、どんな状態でも、同じくらい大切なのだ。


そういうことなのでしょうか?エンピツはそうとらえました。


本当に平等だと感じている?
ここがエンピツが考えているところです。
確かにどんな人も差別をしない。平等であるという考え方には賛成だし、理想はそうなるべきだと思います。
ですが、実際の所、本当にそう感じている人がどれぐらいいるのでしょうか?
命は平等だという思いと、みんなの心の中の命の価値とは、違いますよね?
これはエンピツだけなのかな?どうですか?


エンピツの中の「命」に対する思い

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エンピツの家族や友達…、身近にいる人たちの「命」と
遠い土地に住む知らない人の「命」、
そして悪いことをしている犯罪者の「命」…
これはエンピツの中で感じている「命の価値」は違います。
やっぱりエンピツにとって身近いにいる人や家族・友達の命の価値は、エンピツの中では高いし、犯罪者の方の命の価値は、家族や友達よりも低くなります。

もしもどちらかしか助けられなかったら、迷うことなく家族・友達の命を救うだろうし、どちらも亡くなったとすれば、断然、家族・友達の命がなくなったことに心を痛めます。

どちらも1つしかない命であり、かえのきかない命であることは頭では理解しています。「命は平等」だという考えもわかります。

だけど、一人ひとりの感じている「命の価値」は、人によって違う…、そういう考えはよくないのでしょうか?

人以外の命は?

よく学校で、生き物の命も人の命も同じだけ大切にしよう。とか、人も動物も同じだけ大切な命。とかを教えますよね?

それも…どう思いますか?

例えば、自分が飼っている犬がいたとします。その犬の命と、知らない人の命は、飼い主にとって「平等」でしょうか?
う~~ん…難しいですよね。

その辺りにいる虫の命…も同じ平等の命なの?

蚊は?ゴキブリは?

普段食べている豚・鶏・牛・羊などの命は?

もっと広く考えると植物は?

「全ての生き物の命は平等」というと…かなり難しさがアップしますよね。
ましてや感じている「命の価値」なんて…全く同じではないように感じます。


まとめ

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「命は平等なのか」について考えてみて、
こうして記事にすることで文字にしましたが
書きながら思ったことがあります。

「命は平等にしようとしなければならない。だけど人それぞれで感じている命の価値は違う」ということ。
そしてやっぱり
「すべての生物の命を大切にする」という気持ちはいつも持つこと。

です。
やっぱり、虫であっても、食べさせてもらっている牛などの生き物も、人の命も大切にはしていかないといけませんね。

むやみやたらに虫を殺さない。
せめても、残さずに食べる。
(こうすることが命を大切にしていることだという思いが、すでに人間のエゴですが…。)
どんな人の命も、自分から奪ってはいけない。奪わないようにする。
事故なども起きないようにする。

こうするしかないのかな…。
でも、
ゴキブリや蚊…その辺りは…どうしましょう?
また考えでみないといけないなぁと思います。

もし、あなたの考えを教えていただけたら嬉しいです。

いのちの平等さを…あなたはどう思いますか?

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