「優しい」のではなく「優しくしかできない」のだということ

先日、川崎市ゆめパークを舞台にした映画「ゆめパのじかん」という映画を見てきた。映画の感想についてはなんとも表現しがたいのだけれども、「あぁいいなぁ」という気持ちと「大丈夫かな」という気持ちさらに言えば「この先を見たい」と思い映画が終わった。とてもいい映画だったと思う。

この「大丈夫かな」というのが今回のポイントである。
改めてなんとも表現しづらいのだけれども、安心ができる世界、優しい世界には「不安」が付きまとうと思っている。それはその世界の外が優しくなかったり、理不尽なことが多かったりするからで、いつかは優しい世界を抜け出す必要がある。別に外が厳しい世界だとは思っていない。ただ僕のような優しい世界で生きてきた、生きていたい人間からすると世界は厳しい。これは絶対的なもとというより相対的な気がする。

これから話す内容について、先にゆめパの名前が出たのでゆめパがそうなのかと思われるかもしれないが。ゆめパの話じゃないということだけは明言しておく。僕はゆめパを映画の中でしか知らないからゆめパの事はわからない。なのでここからは僕が福祉の世界やフリースクールに行くたびに感じることを書いていきたい。

まず初めに僕は優しくして優しくされたい。厳しさを持てない弱い人間だという自負がある。そんな僕が福祉の世界に身を置いていると「甘い」と言われることが多々あった。わかる。僕も甘いと思うから。でも社会の厳しさから避難してきた人に社会の厳しさを教えることが正しいのか僕にはわからなかった。そして自身の弱さも相まって、厳しくできない自分がいる。あとよく言われたのが「舐められますよ」という言葉。実際に僕は舐められていたと思う。子供たちに舐められると話が通らなくなったりするからよくないという理論。わからなくない。でもできなかった。舐められててもいいから柔らかくありたいとすら思っていた。これでいいと思っていたから舐められてはいけない、社会の厳しさを教えなくてはいけない福祉の現場に居られなかったのだと思う。

福祉の世界を離れた今、僕は優しく甘く生きてれていると思う。ただ「これでいいのかな」と思うことも増えた。福祉の現場にいれば僕の代わりに厳しい人がいるから僕が「あなたはあなたのままでいいよ」「生きてるだけでいいよ」という言葉を全力で伝えても、誰かが社会の厳しさを伝えてくれるのでバランスが取れていたのだと思う。今はそれがない。バランスが取れない。優しさしか伝えられないと「本当にこれでいいのか」という自問がはいる。
それは僕自身が社会に対して「厳しい場所」という認知をしているからで、僕の甘さで優しく育った部分がその厳しさに傷つけられることを確定事項としてとらえていることに他ならない。

優しいだけでいいのか、厳しさは必要なのか、甘くていいのか、弱いが弱いのままでいいのか、弱いは強いに変えていくべきなのではないか、本当に社会は厳しいものなのか、優しい世界は自身で作っていくことじゃないのか…。これらの自問自答は福祉業界をやめてからずっと頭の中でぐるぐるしている。

そしてこれまでと違う形で優しい世界にいる子どもたちと関わるたびに思う。「あぁ弱さを弱さとして持ち続けられているここはとてもいい所だなぁ」と。反面「この子たちはいつまで弱いままでいられるだろうか」とお節介に思う。そして僕は相変わらず優しくしかできない。

それらの事を「ゆめパの時間」上映後にひらかれた元所長の西野さんへ質問してみた。質問と回答がずれてしまい、思った回答は返ってこなかった。でもなんだか心に残ったものがあってそれから3日ばかりぐるぐると考えて一つ出た答えがあった。

それは”覚悟”だった。

西野さんにあって自分にはないものそれは覚悟だと思った。これは答え合わせをしていないので西野さんがどう思っているかは知らないが、僕がもやもやし続けている自問自答の答えは自分に”覚悟がない”ゆえに発生しているのだと思う。

優しくした先に発生する事象を自分事として一緒に内包する覚悟
相手のありのままを認めた先でありのままで生きる人一緒に共存する覚悟
それがない。結局は他人事なのだ。

いやもっと考えてみると相手に対してだけではない
自分がありのままでいる覚悟
優しい人間であり続けた先で生じる問題を抱える覚悟
自分自身への”覚悟”も抜け落ちているのだと思う。

覚悟が足りない。
それは弱さゆえか。
また弱さを弱さに逃げてしまっている気もする。

それならばと
ひとりぽっちで生きていく覚悟もない。
そして他人に対して厳しくする強さも持ち合わせていなかった。
いやこれも、厳しくした先で発生する責任を受け取る覚悟を持ち合わせていないからなのだろうか。

”覚悟”がないというのは根本を揺るがす。
なんだか行きつくのはここまでのような気がするので、尻切れトンボだが、ここで終わりとする。

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