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適当に考える「通俗心理学の問題」について

まえがき:通俗心理学の問題

 通俗心理学。耳慣れない言葉かと思います。「心理学は知っているけど通俗心理学って何ぞや?」という人のために簡単に通俗心理学を説明しておくと、(学術的には/厳密には)心理学ではないが、大衆の間では心理学であると見なされているもののことを通俗心理学と呼びます。

 この通俗心理学の中には、性格診断(血液型占い含め)、HSPなどがあるでしょう。こうした通俗心理学は一種のスピリチュアルであると宗教学者の岡本亮輔は指摘しています。また、スピリチュアルは自己啓発に含まれると社会学者の牧野智和は指摘しています。つまり、通俗心理学はスピリチュアルであり、自己啓発であるという訳です。

 以前、こうした自己啓発やスピリチュアルが何故人々に広く受け入れられているのか、その問題点は何かということについて記事を書き公開しました。

 本稿では、その続きとして通俗心理学(主にHSP)について、何故広く受け入れられているのか。その問題点は何かといったことを考えていこうと思います。


①HSPは通俗心理学である

 通俗心理学の中でも人気があるのは性格診断でしょう。本稿では性格診断の問題点をHSPを中心に考えていこうと思います。

 ところで、HSPとはそもそも何なのでしょうか。HSP(Highly Sensitive Person)とは、人よりも感受性が強く繊細な人のことであり、病気ではなく、あくまでもそういった性格(気質)の人を指す言葉だそうです。HSPは5人に1人しかいないとも言われています。

 環境感受性理論の発達心理学的研究を行っている飯村周平によると、HSPは、『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』という自己啓発本がメディアに取り上げられてからブームになっていったのだと言います。

 この分野の研究者である筆者は、その数年前から日本でHSPが広まる経緯を眺めていた。どうやら『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』(武田友紀著・飛鳥新社)という自己啓発本がマスメディアに取り上げられたことが大きな転機のようだった。主要なテレビ番組や新聞、雑誌が次々に取り上げ、著名な芸能人も自らをHSPと名乗った。TwitterやInstagramなどのSNSでもプロフィールにHSPと記載するアカウントが増えた。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 しかし、HSPは病気ではなく、性格(気質)であることから医療機関での診断は出来ないはずです。にもかかわらず、「私はHSPです」と名乗るのは一体どういうことなのでしょうか。少なくとも、このことからわかるのは今現在「私はHSPです」と名乗っている人は自称HSPであるということです(自称していない例外もありますが、その例外については後述します)。

 では、何故、何の医学的な裏付けもないのにHSPだと自称するのでしょうか。精神科医の片田珠美はその理由について次のように述べています。

「心理状態や性格傾向に名前がつけられると、『自分もそうではないか』と思う人が増える傾向にあります。特にHSPはメディアで取り上げられて認知度が上がったことで、急増しているフシがあります。5人に1人がその気質を持っているとされますが、自称している人の全員が本当にそんなに繊細なのか疑問です。

 ではなぜそう言いたがるのか。それは、現代の世の中を生きづらいと感じ、その理由をどこかに求めたいから。例えば会社や学校、家庭でうまくいかないとき、自分に能力や努力が足りないせいと考えれば、自己愛が傷ついてしまう。だから、それより、『自分が繊細すぎるからだ』と考えた方が納得しやすいのです」
(『敏感すぎる「HSP」増加 生きづらさの理由求め自称する例も』)

 「生きづらさ」の原因を「HSP」で説明することで自己愛を守ろうとしているのがHSPを自称することの一つの理由であると考えられます。

 飯村もHSPが広く受け入れられた背景に「生きづらさ」を説明する物語性がHSPにあるからだと指摘しています。

 なぜHSPは人々に受け入れられ「HSP現象」をつくるまでに至ったのだろうか?  大きな理由の一つに、HSPがもつ「物語性」があると思われる。

 HSPには「生きづらさと恩恵」という2つの側面がある。繊細で人よりも傷つきやすいけれども、繊細であるがゆえに人よりも物事の良い側面に気づき、感動したり共感したりすることができる、という「物語性」だ。伝統的に「弱さ」とみなされていた性格が「強さ」も併せもつ性格としてリフレーミングされた。こうしたHSPの「物語性」が、生きづらさを抱える人々を勇気づけたのだろう。

 また「生きづらさ」に名前が付くことの意味も大きかったのかもしれない。「HSPを知って、これまでの生きづらさの理由が分かり、腑に落ちた」。SNSでHSPを名乗る人の発信にしばしばみられる言葉だ。はっきりとした理由が分からず、言語化できない「生きづらさ」に対して、HSPという言葉はその答えや意味、価値を与えた。「生きづらいのは、本人の努力不足ではなく、性格・気質のせいです」「HSPは一部の人に与えられたギフトです」。そのような発信もよくみかける。これが何らかの「障害」を表すラベルであったら、HSPを自身のアイデンティティにし、第三者に公表する人はもっと少なかっただろう。「HSP現象」も起きなかったのではないか思う。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 「私が辛いのはHSPだから」「HSPだから生きづらい」とすることで自己愛を守る。そのような背景があるように思えます。しかし、飯村は「HSP=生きづらさ」と言う認識は間違っていると言います。

HSPブームによって、HSPへの認知が広がった一方、悪い面も目立ってきました。それが、今の日本では「生きづらさ」や「生きづらい経験」などに対して、過度に「HSP」とラベル付けする傾向があることです。例えば、「電話が苦手だったらHSP」「人の握ったおにぎりが食べられないからHSP」と何でもHSPに結びつけて考えがちです。しかし、学術的に見れば必ずしも「HSP=生きづらさ」ではありません。
(『HSPとは?「HSPと生きづらさ」にまつわる誤解と正しい理解/HSP研究者 飯村周平先生インタビュー』)

 「あなたが生きづらいのはHSPだからなんです」といった自己啓発書はいくつか知っていますが、そのような記述は学術的には間違っています。この間違いの問題点については後述するとして、次章ではHSPを自称するもう一つの理由を探っていこうと思います。


②美しい苦悩とは何だろう?

 通俗心理学として語られるHSPは「生きづらい人」というネガティブなものばかりではありません。中には5人に1人しかいない選ばれし人。繊細で感受性も豊かで芸術肌な人(天才な人)。他人の気持ちにすぐ気が付ける優しい人、などポジティブな意味合いで語られることもしばしばあります。

 HSP関連の自己啓発書を読んでみると「繊細で悩ましいHSPというその特性をむしろ強みに変えることで夢が実現できる」「HSPは弱みではなく強みだ」といったものも多く存在します。つまり、HSPにはネガティブな意味だけでなくポジティブな意味もあるわけです。ここからわかるのは、HSPを自称することで「私は5人に1人しかいない選ばれし人間なんだ」「私は感性が豊かな天才なんだ」と自意識を満足させることが出来るということです。

 つまり、直接的(露骨)に「私は天才です」とは言えなくても、天才と言うニュアンスを含んだ別の言葉として「私はHSP」と言うことで、「私は天才なんだ」と自意識を満足させていると考えられます。

 このような傾向は「ファッションメンヘラ」と共通しているように思えます。「メンヘラ」という病んでいる人が一部の層からモテることから、病んでいるふりをしてモテようとする人達を、ファッションとしてメンヘラを装うことから総称して、「ファッションメンヘラ」と呼びます。つまり、自称HSPも自分を天才(あるいは選ばれし人間)に見せるためのファッションとして、オシャレとして「HSP」という肩書を使っているということです。

 オシャレ風に精神疾患を描写することを、精神疾患の専門家アディティ・ヴァーマは「美しい苦悩(ビューティフル・サファリング)」と呼んでいます。

 例えば、ADHDやASDなどの発達障害にも「美しい苦悩」があるように思えます。近年メディアで「発達障害=天才」という報道の影響により、「私は天才だ」と露骨には言えない代わりに、天才というイメージのあるADHDやASDを自称する人達がSNSで現れ始めました。

 そして、こうした流れは、HSPにも現れ始めています。直接、「私は天才だ」「私は芸術肌な人」と言えない代わりに、似たニュアンスの言葉で「私はHSP」と言い、遠回しに「自分は優れている」と見栄を張っている方を多くお見受けします。他にも「5人に1人しかいない希少な私」ということを、やたらと強調する人も多くいますね。まるで、HSPであることをひとつのオシャレとして楽しんでいるかのように。

 実際、Google検索のサジェストでも、HSPについて検索すれば、サジェストで 「HSP 天才」と出てきます。多くの自称HSPの人が自分を天才と思い込むために「HSP 天才」と検索したのでしょう(みっともない姿が想像できますね...)。

 では、こうした美しい苦悩にはどのような問題があるのでしょうか。ひとつは、これが差別につながる可能性が高いということです。イケてる疾患と見なされない疾患、つまりイケてない疾患を持っている人が差別されるリスクがあると言います。

〈美しい苦悩〉のトレンドは、精神疾患をイケてるか否か、という基準で分け、イケてない疾患をタブー扱いし、周縁へと追いやる傾向を生んでしまう。
(中略)
この考えかたは、〈イケてる〉疾患を抱えること=そのひとの知性、個性、オシャレ感が演出される、という認識につながる。つまり逆にいえば、〈イケてない〉疾患を抱えているひとたちは、そのコミュニティから疎外されるだけじゃなく、普通とは違う〈ヤバいひと〉というステレオタイプにさいなまれるのだ。
(『SNSにおける鬱や“病み”の〈オシャレ化〉はなぜ止めるべきか?』)

 こうした傾向はHSPにも見られます。つまり「5人に1人の選ばれし私から見れば、他の5人に4人の選ばれなかった人間が哀れに見える」というような選民思想のようなものが見えるということです。

 またオシャレのために精神疾患を装う人が増えることで、精神疾患の正しい情報が埋もれてしまうリスクをヴァ―マは指摘しています。

さらにこの考えかたにより、精神疾患を抱えたひとたちが、自分の体験の正当性を感じられなくなってしまう危険もある。「今や、本来なら専門家に求める知識を、みんなインターネットで検索しています」とヴァーマは指摘する。

「メンタルヘルスについての誤った情報によって、自らが抱える苦しみの正確な認識が阻害されてしまう可能性もあるんです」
(『SNSにおける鬱や“病み”の〈オシャレ化〉はなぜ止めるべきか?』)

 こうした問題もHSPには共通しているように思えます。HSPを自称する人がいることによって、HSPに関する誤った情報が流れていることを飯村も指摘しています(この問題について詳しくは後述します)。

 さて、ここまでの話をまとめると、HSPを自称する理由は「生きづらさ」というネガティブな理由からくるものと、「程よく天才を装える」というポジティブな理由からだと考えられます。次章では、ここまで説明してこなかったHSPを自称していないパターンについて考えていこうと思います。


③HSPはリテラシーが低い人たち

 HSPを自称していないパターンとして「性格診断を受けた結果、HSPと診断されたから私はHSPだ」という人もいると思います。また、友達や家族など他人から「あなたは繊細だからHSPなんじゃない?」と言われて「私ってHSPだったのか」となった人もいると思います。本章では、そのような人たちは自らHSPと名乗り出していないことから、「自称していないHSP」として考えていこうと思います。

 とりあえず、性格診断の結果、HSPと診断されたから「私はHSP」と名乗っている人のパターンについて考えていきましょう。現在、ネット上では「HSP診断」なるものがウェブ上に数多く存在していますが、このような診断によって、HSPかどうかなど分かるのでしょうか。

 結論から言えば、わかりません。まず、そもそもですが、誰がつくったかもわからないウェブ上で受けられる性格診断テストなんてものは、全く信用できるものではありません。

 しかも、最近ですと、本当に医学的に権威のありそうな見た目を装ったタチの悪い性格診断テストのサイトもあるので油断できたものではありません。よくHSPと名乗られている方々が利用している性格診断テストで「MBTI」というものがありますが、MBTIはアメリカ心理学会が発行している『APA心理学大事典』で「心理学研究者の間ではほとんど信頼性がない」と記されているほど、信憑性に乏しい性格診断テストです(APA dictionary of psychology)。「繰り返し診断をするごとに診断結果が変わる」や「客観的な尺度がない」等、信憑性の低さが多く指摘されています。

 「でも私は当てはまってた」という人もいらっしゃるかもしれません。しかし、そうした考えも既にバイアスがかかっているのかもしれないことを覚えておいた方が良いです。

 性格診断にはある程度、バイアスの問題があります。一見、誰でも当てはまりそうな記述(「あなたは優しい」「あなたは真面目な一面もある」等)でも、自分にだけ当てはまっていると感じてしまうバーナム効果という心理現象があります。「あなたは繊細な一面がある」等の曖昧で、一見、誰でも当てはまりそうな記述の場合は、特に注意深く判断し、もしかしたら、誰でも当てはまっているものを「自分だけ」と勘違いしていないか疑うことが重要でしょう。飯村もネット上のHSP診断には「バーナム効果」がある事を指摘しています。

SNSなどで出回るチェックリストのなかには、誰にでも当てはまるような記述をすることで、自分の性格が言い当てられたかのように思い込ませる「バーナム効果」を狙ったものがあるからです。
(『HSPとは?「HSPと生きづらさ」にまつわる誤解と正しい理解/HSP研究者 飯村周平先生インタビュー』)

 私は血液型占いや性格診断(HSP診断)をまったく信じていませんが、全面的には否定しません。会話のネタとして、性格診断をしたりすることは日常的にある事でしょうし、それ自体は否定しませんが、血液型占いや性格診断(HSP診断)は、気休め程度、お遊び程度、雑談ネタ程度として捉えているくらいがちょうど良いでしょう。

 誰が作ったかもわからない性格診断の結果を鵜呑みにしてHSPを名乗っている人は情報リテラシーが低すぎるのでもう少し情報に対するリテラシーを高めましょう。皮肉なことを言えば、性格診断の結果を鵜呑みにしてHSPと名乗っている人は、情報に対する感度(感受性)が低すぎるのでHSPではないでしょう。

 さて、もう一つ自称していないHSPとして家族や友人など他人から「あなたHSPなんじゃない?」と言われたパターンもあるかと思います。しかし、これもあまり当てになりません。というのも、何をもってHSPと判断できるのか専門知のない一般人が判断できるとは考えられないからです。次章ではこの問題点について考えていきましょう。


④野良カウンセラーの問題

 HSPはそもそも、どの程度繊細ならHSPと呼べるのかといった曖昧さを含んだ概念でした。こうした曖昧な概念が広がると当然悪用する人も出てきます。その一つとして、「HSP医療ビジネス」があるのだと飯村は指摘しています。

 例えば、その一つが「HSP医療ビジネス」である。上述のように、HSPはうつ病や不安障害のような疾患名ではなく、自己判断に基づくラベルである。そのため、医師がHSPであるか診断・検査をしたり、治療したりはできない。しかし、昨今の「HSP現象」によって、HSPかどうかを自己判断ではなく、医師に認めてもらいたいというニーズがあるようだ。そこに目を付けた一部の精神科クリニックは、自由診療のもとでエビデンスのない脳波によるHSP診断検査や経頭蓋磁気刺激法による治療を推奨している。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 「あなたはHSPかもしれないから治療しよう」といった口車に乗せられ、金銭を要求すると言った悪質なビジネスがあると考えられます。また、ネット上には「HSPカウンセラー」を自称する人も現れてきていますが、こうした現象にも問題があります。

 「HSPカウンセラー資格ビジネス」というのもある。「HSP限定」や「HSPはカウンセラーに向いている」とうたい、数日間の講座で「HSPカウンセラー」の資格を付与する。追加料金で、さらに上級の資格も取得できる。残念ながら、筆者のような研究者からみると、資格講座は、内容の質もそうだが、内容それ自体が適切でない場合が多い。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 厳密には公的な資格ではない「HSPカウンセラー資格」を売り出すことで儲けようとする悪質なビジネスがあるということです。こうした資格を取得した人が自分は「公的な資格を持ったHSPカウンセラーなんだ」と勘違いすることには問題があります。というのも、厳密には公的な資格を持っていない人(いわばアマチュア)が、精神の弱っている人のカウンセリングを勝手にしてしまうからです。

 心理学者の原田隆之は、こういった公的な資格(国家資格)を持っていないアマチュアが勝手にカウンセリングをしていることを「野良カウンセラー」と表現しています。

メンタルヘルス(心の健康状態)を扱う「心理カウンセラー」は、ネット上では無法状態になっている――。そう聞くと驚く人も多いのではないだろうか。そもそもメンタルヘルスに関わる資格としては、公的資格に準ずる臨床心理士や、国家資格の公認心理師があり、そのハードルは高い。それにもかかわらず、無資格のいわば「野良カウンセラー」が跋扈(ばっこ)するのは、法律上、「業務独占」ができないからだという。
(『なぜネット上に「野良カウンセラー」が跋扈するのか――自称可能な肩書が生む、メンタルヘルスの危険性』)

 では、野良カウンセラーの問題とは何なのでしょうか。原田はその一つの問題として、専門知を持っていない人のカウンセリングによって精神疾患が悪化する可能性があることを挙げています。

「メンタルヘルスに関して、話を聞いてもらってすっきりする人もいますが、重大な問題を抱えて自殺のリスクが高かったり、精神疾患をもう発症したりしている人もいるかもしれません。それなのに専門知識がない人がお金を受け取り、『相談に来たから話を聞けばいいんだろう』で済ませて、病気が悪化したり、最悪の場合、自殺をしたりするかもしれないことが問題ですね。また、弱っている相手に性的な接触をして倫理的な問題を起こすこともあり、いろいろな害が発生する可能性があることが一番大きな問題だと思っています」
(『なぜネット上に「野良カウンセラー」が跋扈するのか――自称可能な肩書が生む、メンタルヘルスの危険性』)

 世界には「HSPカウンセラー」なる資格など存在しませんが、現在「HSPカウンセラー」を自称する野良カウンセラーは多く存在しています。こうした野良カウンセラーの問題は何の専門知にも基づかないアマチュアカウンセリングによって、精神疾患を患っている人の症状が悪化することにあると言えるかもしれません。

 しかも、悪化するかもしれない、効果があるかもわからないカウンセリングにもかかわらず、お金を要求されるといった事例もあるのだと言います。

「メンタルヘルスが悪化しないとしても、効果のないことをダラダラ続けて、しかも法外な費用がかかるのも害になりえます。今これだけメンタルヘルスが社会的に大きな問題になっているなかで、精神疾患が疑われる場合に専門医につなぐこともなく、そのまま放置しておいていいんだろうかということは非常に懸念しています」
(『なぜネット上に「野良カウンセラー」が跋扈するのか――自称可能な肩書が生む、メンタルヘルスの危険性』)

 他にも、カウンセリングと称して売春が行われているなどの問題があります。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52924?imp=0

 また、野良カウンセラーの問題はそれだけではないと私には思えます。野良カウンセラーの危険性は、プライバシーの問題にもあるように思えます。つまり、ネット上で個人情報を渡し、野良カウンセラーに相談をした後で、野良カウンセラーがその個人情報を悪用したり、流出される危険性があるということです。

 ネット上には(公的な)資格を持っているのか怪しい自称カウンセラー(野良カウンセラー)が多く存在していますが、こういう人達のカウンセリングはお勧めしません。このような人たちのカウンセリング結果は全く信用できるものではありません。

 もちろん、野良カウンセラーの中にも、弱っている人を救いたいという善意からのカウンセラーもいるのでしょうが、それでも専門知のない人のカウンセリングは症状を悪化させたり、正しい精神状態の分析の妨げになったりするリスクがあるのでお勧めできません。

 今現在、HSPをネット上の自称カウンセラーから診断されたという人はその結果を鵜呑みにしない方が良いでしょう。

 自己啓発本(通俗心理学本)に影響されて、自分にもカウンセリングができると勘違いした野良カウンセラーもいそうですが、そういった野良カウンセラーに引っ掛からないためにもある程度のリテラシーが必要でしょう。


まとめ:通俗心理学の罠にハマらないために

 HSPを中心に通俗心理学の問題をいくつか見てきました。ざっとまとめると以下のようになるでしょうか。

・通俗心理学は学術的な裏付けのないもの(スピリチュアルや自己啓発の一部)
・HSPも科学的な根拠のない自己啓発的なもの
・HSPを自称する背景には「生きづらさ」の説明を求めていることや、「特殊な私」に酔いしれたいといったことがあると考えられる(共通しているのは自己愛/アイデンティティー)
・誰が作ったかわからないウェブ上の性格診断は信憑性なし
・性格診断が当たった感じがするのは「バーナム効果」が原因
・性格診断や血液型占い(もっと言えば、占い全般)はお遊び程度で受け止めておくべき(科学的/学術的なものとしては受け止めるべきではない)
・HSPを名乗っている人はリテラシーが低い
・HSPカウンセラーなどカウンセラーを自称する人もいるが、国家資格をもたない野良カウンセラーは危険

 さて、かなりざっくりしたまとめですが、そもそもHSPがブームになったきっかげが自己啓発書であることから、HSPそのものが通俗心理学になってしまうのも無理はないのかもしれません。飯村もHSPは通俗心理学だと指摘しています。

 2019年以来の「HSP現象」によって、私たちはネットや書籍でHSP情報を簡単に得られるようになった。しかし、そこで得た情報との付き合い方には注意したい。上述のように、日本で広まったHSPは、自己啓発本をルーツにしている。そのせいもあり、SNSなどで発信されるHSP情報は、学術的なエビデンスにもとづかないものが多い(表2)。いわゆる、「HSP現象」で語られるHSPは、自己啓発や経験談としての側面が強いポピュラー心理学(通俗心理学)に相当するものといえる。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 HSPは「学術的なエビデンスにもとづかないものが多い」です。実際、その例として、「○○型HSP」といったHSPの細分化がありますが、こういったものには何の裏付けもないのだと言います。

 Twitterでは「○○型HSP」などの言葉をよく見かけます。例えば「HSS型HSP」は刺激希求性が高いHSP、「内向型HSP」は内向的なHSPを表すようです。実は、このようなタイプ分けの研究は全く行われていません。こうしたタイプ分けの妥当性も不明です。血液型診断のようにわかりやすいため、流行るのは納得できますが、研究にもとづくものではない点は留意すべきかもしれません。

 ほかにもHSPは「遅刻しにくい」「職場でうつになりやすい」「学校が苦手」「0か100の両極端に考える」「頼まれると断れない」「両親に愛された記憶がないとよく言う」などの情報がありますが、いずれもエビデンスはありません。
(『HSPブームの今を問う(飯村周平:東京大学・日本学術振興会PD)』)

 また、冒頭で「HSPは5人に1人しかいない”と言われている”」といった説明の仕方をしましたが、「HSPは5人に1人しかいない」というのも正確には間違っています。

 また、メディアでは「HSPは5人に1人の少数派で、世の中の多数派は非HSPである」というように「HSPか非HSPか」の二値的に説明されるが、これにも誤解がある。環境感受性は、低い人から高い人までグラデーションがある連続的な特性であり、それは正規分布で特徴づけられる。そのため、世の中で多いのは感受性が平均付近の人たちである。HSPには「感受性があり」、非HSPには「感受性がない」というのも誤解だ。研究上は、HSPとそれ以外を切り分ける絶対的な基準もない。
(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)

 こうしたことからわかるのは現在HSPを自称している人、他人や性格診断から「あなたはHSPだね」と言われて鵜呑みにしている人、どちらのパターンのHSPも科学リテラシーが低いということです。

 まず誰が作ったかもわからない性格診断を鵜呑みにするのも情報リテラシーが低いとしか言えませんし、「○○型HSP」といったものを鵜呑みにするのも科学リテラシーが低いとしか言えません。つまり、現在、自分はHSPだと言っている人は、科学リテラシーも情報リテラシーも低すぎるということです。皮肉なものです。繊細で感性が豊かなHSPだと自称する人が、実際は科学にも情報にも疎く、鈍感なのですから。

 こういった胡散臭い情報(通俗心理学)に引っかからないためにも情報リテラシーと科学リテラシーが必要なように思えます。


あとがき:HSPの胡散臭さ

 以前にも「(自称)HSP」を題材とした記事を書いた。「オシャレ化するHSP」という記事だが、タイトルだけ見れば、一見、「HSPはオシャレ」と誉めているように見えなくもないタイトルである。

 しかし、内容を確認してもらえればすぐにわかるのだが、この記事は「HSP」を誉める内容の記事ではない。むしろ、批判している記事である。

 この記事の中でも「HSP」がファッションメンヘラと同じように、"装うもの"として利用されている問題点を指摘しているのだが、この記事の公開後に驚くことがあったのでついでにここに書き記しておきたい。

 「オシャレ化するHSP」は、自称HSPを批判している記事にもかかわらず、自称HSPから「スキ」が押されたのだ。自称HSPを批判する記事に自称HSPから「スキ」を押された時点で不信感もあったので、相手(自称HSP)のスキ欄を確認したら、読まずに「HSP」関連の記事に手当たり次第スキを押しまくっていることを確認した。つまり、記事を読まずにスキを押していたのだ。おそらく、タイトルだけ見て「HSPはオシャレ」と誉めている記事だと勘違いしたのだろう。

 だが、このようなリアクションが自称HSPから来たことに私は驚いた。というのも、自ら「私は繊細だ」と名乗っている人間が、実際は記事の内容すら確認しないような、繊細の対局にあるがさつな反応をしていたからである。

 よく情報に対してこんながさつな対応しかできない人間が自分を繊細だと言えるなと正直呆れたが、実際、自称HSPなどこの程度のものなのだろう。

 自称HSPの人たちが語る繊細エピソードは正直、ほとんどの人が経験したことのあるようなことばかりであることが多いように思える。

 「人と会話していると疲れる(一人の時間が落ち着く)」「映画を観てよく感動する」など、「そんなのほとんどの人に当てはまることだろ」としか思えないエピソードを自分に固有のエピソードとして語っていることにそもそも疑問しかない。

 また、自称HSPは自分は感性が豊かだという割に、趣味はアニメやゲーム、漫画など没個性的なマスカルチャーばかりで、難解なハイカルチャー(現代アートや古典文学など)を趣味にしている人もほとんどいないように思える。たいして芸術などに造詣が深いわけでもないのに、感性が豊かとはいったいどういうことなのだろうか…。

 今回の記事でも度々指摘してきたが、そもそも自称HSPは情報に対する感度(あるいはリテラシー)も、科学に対する感度(あるいはリテラシー)も低いことが多く、とても繊細とは呼べない人間が多い。自己啓発に影響され、単にブームに流されたリテラシーの低い人たちが現在HSPを名乗っている人の正体だろう。


付録:スピリチュアルと学問は違う

 このタイトルを見て、「何を当たり前な…」と思った人は、おそらく正常な人だろう。

 しかし、時々、スピリチュアルを信じている人の中には、それを学問と思い込んでいる人が紛れ込んでいたりする。

 「占いは心理学(科学)なんだ」とか「占いは宗教学なんだ」といったようにだ。

 しかしだ。はっきり言わせてもらおう。占いなどのスピリチュアルは学問ではない。例えば、自然科学的な裏付けのない超自然的なこと(タロットカードで未来が予測できるなど)を信じるのは科学に反することである。

 また、占いなどスピリチュアルを実践することを宗教学などと勘違いしている輩もいるが、宗教学は宗教(スピリチュアル)を実践する学問ではない。宗教をメタな視点で観察するのが宗教学である。宗教学者の中村圭志は「宗教学」と「宗教」の違いについて次のように述べている。

 宗教学は宗教ではありませんし、宗教の極意を伝授する秘儀でもありません。私は、初対面の方に五秒で要点を理解していただくために、次のように言うことにしています。「宗教は信じるもの。宗教学はその宗教を観察し、比較するもの」(中略)このように言い添えれば、まずまずの理解が得られるでしょう。
(中村圭志 『面白くて眠れなくなる宗教学』)

 つまりだ。スピリチュアルという宗教を実践することは宗教学という学問には含まれないわけである。

 他にも占いなどのスピリチュアルを「統計学」「数学」「哲学」「社会学」などという輩もいるが、同様に占いはそれらの学問ではない。もし占いなどのスピリチュアルを学問と思い込んでいたのであれば、それは学問ではなく「お遊び」や「気休め」程度で受け止めておくべきだろう。

 こんなことは当たり前すぎることで指摘するのも馬鹿馬鹿しいくらいだが、人によっては、自分達のしていること(スピリチュアル)を「学問」と偽って他人を騙そうとする連中もいる。

 それこそHSP(というスピリチュアル)を心理学と偽っている野良カウンセラーのようにだ。このような馬鹿げた話に騙されないためにもある程度の教養が必要なのだろう。

 最後に興味深い実験があるので紹介しておきたい。占星術(スピリチュアル)を学問(科学)と信じている人ほどIQが低いという研究である。

占星術を妄信している人々はナルシストでIQが低い傾向があることが判明します。

そのような人々は「星々さえ私の素晴らしさを讃えている」と考え「占星術に科学的な根拠がある」と答える率が高くなっていました。

占いには当然「いい結果」と「悪い結果」が存在するはずですが、ナルシストにとって占星術は自己満足を与えてくれる「燃料」に過ぎないようです。

またIQが低い人ほど疑似科学や超常現象を信じる度合いが高いことから、必然的に占星術を信じる割合が高くなったようです。
(『占星術を妄信する人はナルシストでIQが低い傾向があるという研究結果』)

 前回の記事でもスピリチュアルを信じることがいかに馬鹿げているのかを指摘したが、この事には科学的なエビデンスがあったわけだ。

 以前の記事に対して、記事を読まずにスキを押してきたスピリチュアルオタク(?)、あるいはサルの記事もいくつか読んでみたが、上記の研究で示されていることが正しいことを私自身、肌で感じるような記事であった。やはり、スピリチュアルと教養(学問)とは対極なのだろう。



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※記事へコメントされる方は必ずプロフィールを読んで、プロフに書いてあるルールを守れる方だけにしてください。脊髄反射的なコメントはお控えください。

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参考文献

・岡本 亮輔(著) 『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで』 中央公論新社 2021年4月19日

・牧野 智和 (著) 『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ』勁草書房  2015年4月9日

・『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』(https://www.todaishimbun.org/hsp_20220119/)

・『敏感すぎる「HSP」増加 生きづらさの理由求め自称する例も』 (https://www.news-postseven.com/archives/20201117_1613252.html?DETAIL)

・『HSPとは?「HSPと生きづらさ」にまつわる誤解と正しい理解/HSP研究者 飯村周平先生インタビュー』 (https://neuromind.jp/iimurashunpei_hsp/)

・『SNSにおける鬱や“病み”の〈オシャレ化〉はなぜ止めるべきか?』 (https://www.vice.com/ja/article/8849w3/we-need-to-stop-making-mental-illness-look-cool-on-social-media)

・『なぜネット上に「野良カウンセラー」が跋扈するのか――自称可能な肩書が生む、メンタルヘルスの危険性』(https://news.yahoo.co.jp/articles/26b73dca246f3c628bc2f4af54e496d1f184814e)

・『HSPブームの今を問う(飯村周平:東京大学・日本学術振興会PD)』 (https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n60ba14db91ff#vmQb7)

・中村圭志(著) 『面白くて眠れなくなる宗教学』 PHP研究所 2018年1月26日

・『占星術を妄信する人はナルシストでIQが低い傾向があるという研究結果』 (https://nazology.net/archives/100845)


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