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世界一底辺な僕を、今日も愛してる。

生まれてきたことが、失敗。

「僕」そのものが、世界が生んだ失敗作だと、そう思っていた。

勉強できない。
仕事もできない。
スポーツは全般苦手。

恋愛だって、ろくにできない。


もっと詳しく話せば、

高校受験も、大学受験も、第一志望に落ちた。どれだけ勉強をがんばっても、学校のテストの結果は平均点以下でいつもまわりからバカにされてた。

社会人一年目ではアパレル販売の仕事を始めたけど、お客様に話しかけることすらまともにできなくて、毎日のように先輩・上司に怒られて家に帰ってきてきた。

中学のときのテニス部では、試合で後輩に負けた。ピアノの習い事だって、先生の教え方が厳しいのが嫌で長続きしなかった。


恋愛も、いつからか同性の人に意識を向けるようになった。


ここまでくると、もはや人間界のがらくたなんじゃないかって。心の底から思ってた。「何のために生まれてきたんだろう」とか「何のために生きているんだろう」とか。

考えても、考えても、わからなかった。自分の取り柄って一体なんなのか。見つからなかった。

生きている価値なんてないんじゃないかとか。社会から必要ない人間なんじゃないかとか。ネガティブな思考が駆け巡るばかりで、しばらくニート生活を送っていたこともあった。


だが一年ほど家に引きこもる生活をしていたなかで、ふと自分のなかで「あきらめ」を覚えた瞬間があった。

「自分自身にいつまでも絶望していても、現状はなにも変わらない」

と。


過去を引きずっていても、現実はなにも変わらない。もし過去に戻るタイムマシンがあったとしても、他の誰かに成れるわけじゃないなら、たぶんきっとそんなことを考えても意味がない。

僕は結局、僕自身でしかないからだ。

それに気付けたときが、絶望を通り越した瞬間だったなって。今振り返れば思う。自分のなかで、もうどうにもならないということに気付いて、ようやく諦めがついた瞬間だった。

「生きる」ことをあきらめたわけじゃない。「死にたい」と思ったこともたしかにたくさんあるけど、現に僕は生きている。むしろ、今は未来をあきらめたくないって思ってる。過去は変えられないけど、未来を変えていける希望はまだちゃんと残されてるはずだから。

いくらがんばってダメだったとしても、それでも前に進んで生きていくしかない。ダメだって気づいたなら、また次を考えればいい。そうやって進歩して人は成長していくものだ。

そうして「やらない後悔よりやった悔いの方が断然良い」という考えにシフトできるまでに気持ちに余裕がつくれた。


それからのこと、家から少し離れたカフェレストランのオープニングの仕事を始めた。もともと飲食店の仕事をしていたから、「慣れたらきっと出来る」と最初は思っていた。

しかし、注文を受けたコーヒーをテーブルに運ぼうとすると、緊張のあまりティーカップが”カタカタカタカタッ…”と震えた。心配そうにこちらを見ているお客様の視線にまた冷や汗をかき、顔が真っ赤になる。それから、ほかのテーブルに注文を間違えて持っていってしまうこともあった・・・。

店長からは「よくがんばってくれてるから、シフトをもうちょっと増やそうと思ってるよ!」とわざわざ電話をかけてくれたことがあった。僕は「ありがとうございます!がんばります!!」とがんばっていれば見てくれている人がいるもんなのだと、うれしくて笑みがこぼれた。


だが、がんばることはできても、出来の悪さは一向によくならなかった。いまどこのテーブルが空いているのか把握できなくて、いつになってもご案内もうまくできず、挙げ句のはてに慌ててお冷用のガラスコップを木っ端微塵に割ってしまったこともあった。「え、そんなに強く握った!?」と一瞬自分でもビックリしたが、ちょっと角をぶつけただけで当たりどころが悪かったのだと思う。

そのとき、今まで見たことがないぐらい形相を変えて店長に「なにやってんだ!!」とため息をつかれたときは、頭が真っ白になった。人間というのは、やっぱり怖いと思った。それよりも、僕の手の心配をまずしてほしかったな。無傷だったけど。


シフトは、一週間に一回しか入れてもらえなくなった。しかも、入っていてもたったの数時間。

直接告げられることはなかったが、シフト表を見ただけで「お前はやっぱり必要ない」と疎外されているのがわかった。

そして僕は、自ら「辞める」と告げることなく、たった一ヶ月半で辞めた。というより、一週間に一回のシフトすら最終的に入れてもらえなくなった。最終日の帰り際に40代過ぎの女性マネージャーに引き止められて、「仕事、たのしくなかったでしょ」と冷たい表情で言われたときは、「誰もお前を必要としてないよ」とトドメを食らわれたような気分だった。


昔から人と接することが苦手だった。友達をつくるどころか、高校ではいじめられて不登校になった。新しい高校に進学してから大学を卒業するまで飲食店で接客のアルバイトをしてた僕だが、最初は本当は裏方希望だった。表に出たくないって思ってたほどコミュ障だったのだが、当時面接してくれたマネージャーに「カウンターができる子をいま探してる」とどうしてもとお願いされ、断る勇気が持てず仕方なくカウンター業を覚えた。その後から入ってきた新人さん達は、なぜかみんな裏方に回されてたけど。


もちろん接客を経験してきたからこそ、対人への耐性は多少なりともついたと思う。年を重ねてくにつれて、僕も大人になった。

ただその裏では、滑舌もかなり悪かったし、「ハッキリした口調で話さなきゃ」といつも苦労してた。「ハァ?なに言ってるかわかんねぇよ」とマジギレされたことも数知れず。

高校生のころから長年接客の仕事を経験してきたというのに。オーダーひとつ取れない。コーヒーひとつまともに持ち運べない。

僕は、どんどん自分に自信が持てなくなっていって、どんどん「出来ない」人間になっていった。

それから「自分には接客業は向いてない」とあきらめて、夜勤がある工場での仕事を始めた。もくもくと車の部品となるパーツを溶接して、ただただ目視をして流動する作業をしていた。扱うものは鉄だったし、毎日残業が当たり前だったから、一年ほど腱鞘炎で手がパンパンに腫れ上がっていた。

だけど僕はなんにも知識もスキルもないからこそ、ただ「頑張る」ことで生きていくしかなかった。どうせ社会は知識とスキルがある人間にしか興味がないと自分のことをあきらめていたから。死ぬ勇気がないなら、体力がゼロになってもいい覚悟でほとんど休みなしではたらいた。おかげさまで、あれから8年が過ぎた今では利き手に後遺症が残って、字を書くこともすこし苦労している。


そんなとき、一緒に仕事をしていた同い年の現場リーダーに、「そんなにがんばろうとしなくてもいいよ」と言われたことがあった。

ただそのあとに、「だけど俺、君のそういうとこ、好きだよ」とさらっと言われたときは、社会人になって初めて心の奥底からじんわりとあたたかいものを感じることができた瞬間だった。


僕は、大人として、社会人として、足りてなかった要素は十分にあったと思う。でも、環境に恵まれなかったというのも、あったとも思う。「社会人とはこうあるべきだ」という風潮が強かっただけに、社会人になったばかりの僕は大人になりきれず、まわりのペースに合わせることができなかった。

僕は僕で、自分に課せられた課題を、一つずつクリアしていこうとすることで毎日必死だったけれど、否定されつづける日々にメンタルは蝕んでいった。


僕の人生は、失敗だらけだった。だけど、失敗から学んだことはたくさんあった。自分自身にとことん絶望したからこそ、這い上がってまた少し強くなることができた。現実の厳しさと、自分の強みを知って、コミュ障だった僕が「美容カウンセラー」としてまた接客業に復帰した。

けっして最初からうまくいっていたわけじゃない。電話対応だって、最初は電話が鳴るだけ怖くて出られなかったし、ましてやカウンセリング業なんてもってのほか。

だけど、環境に恵まれてた。もちろん厳しさもあったけれど、僕のためを思って向き合ってくれる先輩がいたから「がんばらなきゃ」と思えた。僕の良いところも、ちゃんと評価してくれる人に出逢えた。

残念ながら美容カウンセラーの仕事は会社の都合で続けられなくなったが、社会人一年目で続けられなかったアパレル販売の仕事を、今はもう一度挑戦している。


僕の人生は、決して順風満帆ではない。「今」ここはまだ通過点に過ぎない。たしかに10年前に比べたら大きく成長したと自分でも思う。だが、未来に不安を感じているのは今も変わらない。

人生は失敗だらけだ。だが、それが「人生」なんだと思う。最初からうまくいく人なんていないし、何度も道につまづきながら人は成長していくものだから。

僕はそれを知ったから、もう失敗を恐れたくないなと思う。失敗は怖いし、恥ずかしいけれど、泥臭い生き方をするからこそ人間味があって人を感化させられると思うから。


僕は、今までの自分の人生を失敗だなんて思わない。

だから自分の生き方に誇りを持って、今日も、明日も生きていこうと思う。



#あの失敗があったから

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