見出し画像

29歳、遅めの反抗期。

友達などに反抗期について話を聞くと、様々な武勇伝を聞くことができる。親との壮絶な喧嘩や、感情むき出しの主張などだ。反抗期について調べてみると、下記の説明があった。ヒトは誰しも反抗期を通過するものらしい。

反抗期(はんこうき)は、精神発達の過程で、他人の指示に対して拒否、抵抗、反抗的な行動をとることの多い期間のことである。 子供から大人へと成長する過程で誰もが通るものとされている。 (ウィキペディア参照)

前回のテトラポッド記事と同様に、今回の記事も僕がいつか読み返すために書き残すものとする。前回に引き続き、僕の中での大発見である。

僕の反抗期はいつ?

誰しも反抗期を通過するもの、と書いたばかりだが、僕の学生時代を振り返ると壮絶な喧嘩も激しい主張もなく反抗期がなかったように思う。親に対しても自分の考え気持ちを、ありのままに吐き出すことはなかった。もともと心の中を言語化するのが得意ではないのかも。
他人に言わせればおとなしい良い子だったんだね。と言われるかもしれないが、今になってその必要性を感じ始めている。とりわけ親との関係性において。

僕は今29歳になり、6年半勤めた会社を辞め、やりたいことを仕事にすると決め転職した2社目も半年で辞めて(コロナも少しは影響しているけど)、自分のキャリア(というとかっこよく聞こえるけど)について盛大に悩んでいる、いわゆるニートである。
もちろん親は心配している。相談すると、大学で学んだことを少しでも還元できる職に、かつできるだけ早く就職することが筋だと言う。至極ごもっともだ。確かにその通りである。それはわかる、わかっている。


だけど、それで良いのか?

  
僕の人生における冒険チャレンジルートはもうここで終わるのか?
もう少し挑戦してみたい。そんな気持ちが確かにある。けどそれを親に強く伝えられずにいる。きっと親の「子に対する考え」に沿っていないだろうから。僕の親は「子に対する考えの振り幅が小さい」と思う。それゆえに理解してくれないのではないか。受け止めてくれないのではないか。 でも乗り越えたいとも思う。僕は今、遅ればせながら反抗期を迎えようとしている。
もちろん親の意見なんか気にせず、これは僕の人生だ! と言って進むことはできる。けど僕にとっての親は父と母しかいない。代わりなどいない。ちゃんと話して少しでも理解してもらいたい。

ではなぜ僕の親は、「子に対する考えの振り幅が小さい」のか。
僕はそこに反抗期の必要性を感じたのである。

反抗期の必要性

子は子で、自らの人生を自らが思うように生きたいと考える。
親は親で、自分の子に対して苦労のない人生を送ってもらいたいと願うだろうし、その責任すら感じているかもしれない。だからこそ、こうあるべきだと言う「子に対する考え」がある。かつ親は親の生き方で、社会を生き抜き、結婚し子どもを2人成人させたという、1つのサクセスストーリーを生きているから尚更だ。
しかし子も親も、子や親である以前にそれぞれヒトである。それぞれの考え方があるし、生きる時代もおよそ30年くらいは異なる。食い違うのは必至なのかもしれない。
子は自らの考え主張を反抗期に親にぶつける。小さい主張であることもあれば、壮絶な喧嘩に発展することもある。それにより親の「子に対する考え」の振り幅が少しずつ大きくなっていくのだ。そうして大きくなった振り幅は簡単には小さく戻ることはないだろう。そう、例えるなら肩甲骨を剥がすようなものだと思う(伝わるかな…笑)。
僕は、親は考えに振り幅がない! って親のせいにして嘆いていた。しかし親だって100人の子どもを育ててきたわけではない。子育てのプロではない。親の考えの幅を大きくする役目は子にあったのだ。反抗期という考えをぶつける認められた機会を存分に使う必要があったのだ。そうやって親子ともに成長するのだ。だから原因は僕にあったんだとハッとした。
(もちろん親には親で、子が反抗期を迎える時期にしっかり向かい合う努力をするべきだし、なかなか感情を表に出せない子であれば話を聞く機会や環境を意図的に作ってみるとかはできそうだけども)

29歳、遅めの反抗期。

そんなこんなで、親の考えの振り幅を大きくする、肩甲骨を剥がすような作業をしていく必要性を今さらながらひしひしと感じている。僕が僕の人生を堂々と歩いていくために。
さらにはこの剥がす作業を行うことによって、剥がす作業の過程でお互いの意見をぶつけることによって、いろんなことが話せる関係性になるんじゃないのかなとも思う。多くの人が思春期に迎えるそれはきっと深い人間関係を築く練習もさせてくれるものなのだろう。そんなことに今さらながらに気づいて、さらに今さらながらその作業を行おうとしている。ゆえに遅めの反抗期なのである。

家族や恋人、長く付き合っていきたい友達、大きな喧嘩が必須とは思わないけど、自分の考えも伝えて、相手の考えも聞いて、お互いに対する振り幅を大きくし、なんでも相談できるような、より深い関係を築いていけるようになりたい。

そしていつの日か、自分に子どもができて反抗期を迎えた時には、内心ニヤニヤしながら「肩甲骨剥がしに来たぞー!」って親として大いに振り幅を大きくされるために子と向かい合いたい。

この記事が参加している募集

なりたい自分

with ヒューマンホールディングス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?