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バカッター・バカスタグラムはバカだが、それをお仕置きしようとする正義が怖い


「バカッター」と呼ばれるものに続き、「バカスタグラム」が登場した。


「バイトテロ」などと大層な名前がついているが、簡潔に言うとアルバイト(主に学生)のコンプライアンス違反といったところである。

客に提供するものに丁寧に一手間加え、その写真・動画を撮り、皆に見てもらうというものである。

これについては、

1,インスタグラムのストーリー機能による他者に見られている意識の低下
2,他者ができないことをやってのけるという優越感(という錯覚)
3,RT、いいねの数が全てという感覚

などの要素から発生していると思うが、これについては言及しても仕方がないので、企業側の不利益をただただ憂うのみである。

本題だが、これらの問題行動に対する、やっていない側、つまり「正義」の立場の人が実は怖いのではないかと感じる。


・ワイドショーで連日、該当動画が再生される

ニュースで取り上げることは理解できるが、該当の動画、写真、さらには過去の事件まで取り上げている場面を何度と観た。

一見、「こんなことがありました!」「許せません!」「犯罪行為です!」という至極まっとうな立場からの発言であるが、動画を流すことの無意識の拡散性が気になった。

抑止力にしたいのであれば、動画を流し批判するのではなく、「この行為で企業は◯◯円の被害が出ました!」「器物損壊罪が課され、〇〇年以下の懲役、または〇〇円以下の罰金になります!」など、どのような実害がもたらされるのか伝えた方が効果的な気がする。


・SNSで加害者の実名、住所などの個人情報が晒される

これは個人的に不快なところではあるが、ツイッターなどで実際に突き止める人も出ている。

周りの仲間から「すごい!さすが!」「やめてやれw」などとチヤホヤされ、得意げになっているかもしれないが、これこそが「正義」の立場を生かした暴論であり、マジョリティの精神が働いているように見える。

そんなことをしなくとも、確実に罰せられるし、私生活で生活に支障が出ると思う。学校を退学になるかもしれない、内定を取り消されるかも知れない、恋人に振られるかも知れない・・・。

犯罪者を庇うのか。ということではなく、犯罪者を裁くのは「あなた」ではないということを理解して欲しい。正義の立場にいるから人を裁いて良い訳ではないことを理解できていないように感じる。


・これからの正義の話はしない

正しいと感じたことを曲げることは難しく、絶対的な立場として論じてしまうことは仕方のないことなのかも知れない。個人の価値基準、生きる上で大切にしていることは誰しもあると思う。

だが、少し配慮を持って考えてみると、更に選択肢は広がり、人間として思慮深く物事を柔軟に見ることができるのではないか。

同様に、僕もこれからの正義の在り方について話すつもりはない。それはマイケル・サンデル氏がやることであるから。


©ゴルゴ13/さいとう・たかを

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