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自分を幸せにする魔法のレッスン5~心をゆるめる~

「シャバット」という言葉を聞いたことがありますか?
日本語にすると「安息日(あんそくび、あんそくにち)」で、これはユダヤ教徒の生活において大切な日となります。

由来は、旧約聖書。
「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」
と書かれているとおり、神様はこの世界を6日間かけて創造し、7日目に休まれました。その日を聖なる日と定めたことから、安息日はユダヤ教のもっとも大切な日となったのです。
 
シャバットは一週間に一度訪れます。金曜日の日没から土曜日の日没までがそれに当たり、その間は神と同じく仕事をしてはいけないと定められています。
「仕事」とは、会社に行くことだけを指すのではなく、労働や作業すべてを指しているので、イスラエルではほぼすべてのお店が閉まり、公共交通機関もストップします。また、火を使ったり電気を使ったりすることも作業にあたり禁じられているので、料理もその時間までに済ませなければなりません。
現代では、この日はテレビのスイッチを点けることもできないし、インターネットやSNSもできない日でもあります。

安息日にすることは、神に祈りを捧げること。
家族や親戚と団欒の時間を過ごすこと。
そして、体と心を休めること。

ユダヤ教徒にとってシャバットは単なる休息の日ではなく、神とつながる聖なる一日なのです。

インターネットや日々の雑多から離れ、静かに祈り、家族との時間を過ごし、体と心を休めるとは、宗教や民族は関係なく、すべての人間にとって必要な時間のように感じます。
外界から離れて内観し、自分とつながる時間は、本当の自分に還るために必要な時間。
心の声をじっくり聞くことで自分を取り戻し、家族との時間を過ごすことで自分の原点に戻ることができます。 

ところで、私が初めてシャバットを知った時、「ないの日だ!」と驚きました。
「ないの日」とは私が勝手に作った「なにもしない日」のことで、その日は文字通り何もしなくて良い日。
旅行から帰ってきた翌日など疲れているだろう日を「ないの日」と定めて、正々堂々と自分をゆるめます。
料理は一切しないし、気が向かない限りは食事もしなくてもいい。ずっと寝転がっていても良いし、見たければずっとテレビを見ても良いし、一日じゅう寝ていても良い。だって「ないの日」だから。

「ないの日」によって私は自分の心を取り戻し、疲れた体を癒やします。
「祈り」の要素は足りないけれど、これはまさしく私にとってのシャバットです。
無意識のうちに手にしていたシャバットには驚きましたが、これは私にとってなくてはならない大切なゆるやか時間。

どうしても人間社会で生きていると、私は他人に合わせてしまいます。
人に流されているだけならまだ楽なのですが、厄介なことに自分の意思や思いはちゃんと持っているうえで周りに合わせています。そういう方法でしか協調性を持てない私だからこそ、大勢で過ごしていると葛藤やモヤモヤで疲れてしまいます。
他人の声ばかりを聞いていて自分の声を聞けていない私は、自分の声を聞いてあげる時間が必要だったのです。


世界において大きな財を成してきたと言われるユダヤ人ですが、その成功の影にはシャバットがありました。
 シャバットは、「ユダヤ人が安息日を守ってきたのではない、安息日がユダヤ人を守ってきた」という格言もあるくらい、シャバットがあることでユダヤ人は大きく発展することができました。
つまり、仕事や活動を精力的に進めるためには、体と心を整えて原点に戻る時間が大切だということ。
仕事のためにシャバットがあり、シャバットのために仕事を頑張る。
心身ともに癒されパワーチャージすることで仕事に精力的になり、料理を囲んで家族と共に過ごすシャバットを楽しみにして日々の仕事に取り組むという相乗効果によって、ユダヤ教徒たちは経済的発展を遂げてきたのです。

私の場合は不定期に定めている「ないの日」ですが、一週間に一度シャバットを強制的に持つことができると、疲れ果てる前に体も心も回復できそうです。
体も心もゆるゆるにして、緊張状態から解放されることでようやく自分の声が聞こえてきます。
シャバットもしくは「ないの日」は、神に祈りを捧げるとともに、内なる神である自分とつながる日だったのかもしれません。現代の私も、かつてのユダヤ教徒も。


それでは、皆さま、良い夢を。

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