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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #1 【鍛冶屋の娘と王子様】 2

 ウィガーリーの王都エアリッタの職人街にある鍛冶屋の応接室で、一人の魔術師が魔術を行使している。その様子を、店の一人娘であるアンバーは固唾を飲んで見守っていた。

「……」

 魔術師が無言のまま相対しているのは、この鍛冶屋の主、ロベルト・スミスの閉じ込められたクリスタルだ。

「……どうですか?」

 アンバーが背中から不安げに尋ねると、魔術師は振り向いて首を振った。

「……やはり、ダメですね。非常に強力な魔術で封印されています」

「そうですか……」

 アンバーは俯き加減に魔術師の隣へゆっくりと歩み出ると、自らの手でクリスタルに触れた。父と自分とを隔てるクリスタルは、どこまでも厚く、冷たく感じられた。

「ご期待に添えず、申し訳ございません」

 そのようすをみて頭を下げる宮廷魔術師に、アンバーは優しく微笑みかけた。

「そんな……謝らないでください、ジュリアンさん。手を貸してくださっただけでも嬉しいです」

「……そうおっしゃってもらえるとありがたいですが、私としては情けない限りで――」

「ええ、そのとおりですわ」

 ジュリアンが弁明を続けていると、突然辛辣な女性の声が聞こえてきた。腕組みをして立つ声の主はイキシア・グリュックス。マクスヤーデンの気高き王女だ。

「たかだかチンピラ一人がかけた魔術も解けないとは……ジュリアン殿、そんなことでは宮廷魔術師の名が泣きますわよ」

「イキシア……そんなこと言わないで」

 鋭い口調で詰め寄るイキシアを、アンバーは窘めた。だが渦中のジュリアンは、静かに声を上げて笑い出した。

「ジュリアンさん……?」

「これは失礼。イキシア王女の指摘があまりに的を射ていたので。確かに、宮廷魔術師がこの有様では赤面の至りです」

「……やけに素直ですわね」

 その腰の低い態度に、逆にイキシアのほうが拍子抜けしたようだった。ジュリアンはさらに言葉を続ける。

「しかし、僭越ながら一言申し上げさせていただきますと、この魔術はジェダイトの技ではありませんね」

「えっ? でも、あの時はジェダイトしかその場にいませんでしたよ?」

 ジュリアンの発言に、アンバーは目を丸くした。父が攫われた時、ジェダイトはまだ部下を集めていなかった。他にその場にいたのはアンバーとメノウだけで、二人が父を発見した時には、すでに父はクリスタルの中に閉じ込められていた。

「そのお話は伺っております。そしてこのクリスタルに残るバイタルの感覚から言っても、魔術を行使したのはジェダイトに違いありません」

「……要領を得ませんわね。一体何がおっしゃりたいのですか?」

 イキシアが苛立ちを隠さずに、怪訝な表情でジュリアンに聞き返した。彼女はジュリアンがこの鍛冶屋に来て以来、この態度を崩さずにいる。どうやら、ウィガーリーの宮廷魔術師に対して何か思うところがあるらしい。

「その口ぶりですと、ジェダイトの裏になんらかの黒幕がいるかのように聞こえますけども」

「黒幕……というほどの者かは分かりませんが、ジェダイトよりも高度な魔力を持つ人物が、彼女にこの魔術を伝授した。そう考えて間違いないでしょう」

「伝授……? ジェダイトの魔術の腕は確かなものかもしれませんが、さすがに自分の魔力を超えるような高度な魔術を使うことはできないのではなくて?」

「その点は問題ないでしょう。一つ説明させていただきますと……」

 ジュリアンはそこで一旦言葉を切り、手にしていた杖を一振りした。すると、空中に1~4の数字が出現し、横一列に並んだ。

「今回のような魔術は、エレメントにバイタルで干渉して放つ魔術とは違い、バイタルを一定のパターンに組み合わせて魔術そのものを構成することで生み出されるのです」

 ジュリアンはもう一度杖を振り、空中の数字を「1234」の並びに変化させた。

「バイタルの組み合わせは術者によっても変わりますが、このように異なる要素を並べるだけの単純なものがほとんどです。この程度ならば、私はどのような並びでも難なく解除できます」

「……そうでしょうとも」

 イキシアは静かに相槌を打ったが、ジュリアンの話が理解できているかは怪しかった。少なくとも、アンバーは理解できていなかった。ジュリアンはそのまま杖をもう一振りすると、空中の数字の数を倍にし、1~8の数字に変えてランダムに並べ直した。

「ですが、このようにバイタルの組み合わせが多様化しますと、それだけ魔術の構成も複雑になり、最早術者にしか解除は不可能となります」

「逆に言えば、組み合わせさえ知っていれば、自由自在に操れるという訳ですね」

「ええ。バイタルの絶対量は一朝一夕に増えたりはしませんが、魔術の構成パターンは比較的容易に習得が可能です」

 ジュリアンがまた杖を振ると、空中の数字がすべて消滅した。

「実際にはこれほど簡略化された図式ではございませんが、一般的に魔術とはこのように定義づけられています。そして魔術の強さは、バイタルの絶対量とその構成の緻密さの2つの要因で決定します。この封印を解くには、人並み外れたバイタルでもってこの魔術に込められたバイタルを粉砕するか、神懸かり的な洞察力でバイタルの構成を読み解くしかありません。現状では、そのどちらも私には不可能です」

「ということは……ジェダイトに魔術を教えた魔術師を見つけ出さない限り、封印を解くことはできないんですね?」

 アンバーはジュリアンの話から唯一理解できたことを口にした。

「ええ、残念ながら……」

 ジュリアンはそう答えると、アンバーに詫びるようにして首を横に振った。

「その他の方法としては、やはりプリンセス・クルセイドを勝ち抜くことでしょう。王家に伝わる魔術の杖の持つ魔力なら、この封印を力づくで解くことができます」

「……言うは易し、行うは難しですわね」

 イキシアの意見は冷静だった。確かに、ジェダイトを捕まえるだけでも大変な目に遭ったのに、それ以上の魔力の持ち主をどうにかするなど、並大抵のことではない。だが、だからと言ってプリンセス・クルセイドを勝ち抜くほうが簡単だとも言えない。これから闘いを続けていけば、いずれ強力な魔力を持つプリンセスとぶつかることになるだろう。目の前にいるイキシアも、当然その一人だ。

(イキシアとも……闘わないといけないんだ)

 そこまで思いいたって、アンバーは思わずイキシアを見つめた。ジェダイトとの闘いでは力を貸してくれたが、本来は彼女も王子と結婚するために闘いに挑んでいるライバルだ。そしてその王子への想いは、アンバーなどよりも格段に強い。

「……まあ、今はそんなに焦っても仕方のないことですけれども」

 視線に気付いたのか、イキシアがぽつりと独りごちた。アンバーはそれを彼女からのメッセージだと受け取り、一旦問題を脇に置いてジュリアンに向き直った。

「ジュリアンさん、本当にありがとうございました。よろしければ、お茶などいかかがですか?」

「いえ、どうぞお構いなく。それよりも、そろそろお返事をお聞かせ願えませんでしょうか」

「お返事……?」

 アンバーがきょとんとして首を傾げると、イキシアが詰め寄ってきた。

「アンバー、何を言っていますの? 先程の素敵なお話のことですわよ」

「素敵なお話……?」

「王子がアンバー様たちをお食事にご招待しているという話です」

 ジュリアンに苦笑交じりに教えられ、アンバーはようやく記憶を呼び戻した。

「ああ、そうでした! ジュリアンさんはそれでお迎えにいらっしゃってくれたんですよね。忘れてました……」

「アンバー、まだジュリアン殿がいらっしゃってから一時間と経っていませんわよ? まったく、しっかりしてくださいな……」

 イキシアがそう言って呆れながら、ジュリアンに向き直った。

「それで、わたくしはいつ親愛なる王子にお会いできますの?」

 それまでの冷淡な口調とは裏腹に、イキシアの声は明らかに弾んでいた。王子と会うのを心待ちにしているのは明白だ。その表情を見て、ジュリアンが苦笑した。

「イキシア王女……私にあのような態度を取っておきながら、よくそのように話を進められますな」

「わたくしの出席を決めるのは、貴方ではなく王子のはずです」

「……もっともです」

 なおも強気に出るイキシアに、ジュリアンはただ口を噤むしかなかった。アンバーはそこに横から口を挟んだ。

「ですが、ジュリアンさん。その……いきなりお食事だなんて言われても……」

「ご遠慮は無用です。これはジェダイトの確保にご協力いただいたお礼ですので」

「そんな、お礼だなんて。私は――」

「お待ちなさい!」

 アンバーが言い淀んでいると、階上から女性の叫び声が聞こえてきた。続いてドタドタと階段を駆け降りる音がしたかと思うと、アンバー達の目の前に、薄紫色の髪をした魅惑的な女性が現れた。

「アンバー様、話は耳触りの良いところだけ聞きました。何も言わずにお城に参りましょう」

「た、タンザナさん?」

「ご馳走をいただかないのは、用意していただいたご飯を食べないのと同じくらい失礼な行為です。お礼は受け取らなければ恩を返したことにならないのです!」

 タンザナは呆然とする周囲を一切気に留めず、豊かな胸を弾ませながら、息巻いてアンバーに捲し立てた。

「タンザナさん……ちょ、ちょっと落ち着いて下さい」

「そうですわよ。貴女、いきなり起きてくるなり――」

「問答無用です! アンバー様、プリンセス・クルセイドに参加するならば、やはりお食事……じゃなかった、王子のことを少しでも知っておいたほうがおいしい……よろしいと思うのです!」

「タンザナさん……」

 タンザナの発言は、イキシア以上に欲望丸出しだった。だが、反対しようにも適当な理由がない。そして奇妙にもタンザナの言うことにも一理ある――これからプリンセス・クルセイドを続けていくのなら、王子のことはできるだけ知っておくべきだ。

「分かりました、ジュリアンさん。皆楽しみにしているようですし、王子様さえよろしいのでしたら、お伺いいたします」

「ありがとうございます。それでは、早速ご準備のほうをよろしくお願いします」

「はい。父の件は、本当にありがとうございました」

 アンバーはもう一度ジュリアンにお礼を述べ、深々と頭を下げた。顔を上げると、宮廷魔術師の顔には微笑が浮かんでいた。それは穏やかで愛嬌すら感じられる笑みだったが、その瞳は笑っておらず、深淵を思わせるように暗く、冷たく光っていた。

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