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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #1 【鍛冶屋の娘と王子様】 5

 夜遅く、穏やかに寝静まる街を見下ろしながら、アンバーは自室のベランダから月を眺めていた。満月が近いのか、月はもうかなり丸くなっていた。だが今の彼女に、そのような詫び錆びを考える余裕はない。

(王子様か……)

 ベランダの手すりに寄りかかりながら静かに目を閉じ、城での食事やダンスのことを思い出す。特にあのダンスだ。優しく、しかし決然とした足取りでアンバーを導く王子の姿は、国を背負って立つ人間の何たるかを如実に語っているようだった。

「だけど……」

 アンバーは目を開き、口に出して呟いた――だけど、自分の夫となったらどうだろうか――考え始めるものの、すぐに違和感を覚えて頭を横に振る。あまりに現実味のない話だ。
 だが実際には、彼女の19年の人生において、これほどまでに王子との結婚に近づいたことはなかった。父をクリスタルの封印から解放するためにプリンセス・クルセイドを勝ち抜けば、それで王子と結ばれることになる。望むと望まざるとに関わらず、今はそれが彼女の現実だ。

「でも結婚なんて……私にはまだ早すぎるよ」

「――こういうことは、早さの問題じゃないだろう」

「そうでしょうか……」

 どこからともなく聞こえてくる答える声に、アンバーは無意識のうちに相槌を打った。

「えっ……?」

 違和感に気づいて周りを見回すと、ようやく衝撃の事実に気がついた。アンバーが寄りかかっている手すりのすぐ傍に、いつの間にか赤毛の女性がしなやかに腰掛けていたのだ。

「メノウさん!? どうして……」

 アンバーは驚きのあまり目を見開いた。一方のメノウは、赤毛を風に靡かせながら優しく微笑んでいる。

「たまたま下を通りがかったら、君がここにいるのが見えたんだ。それで、思い切って飛び込んでみた」

「思い切りすぎですよ……落ちたらどうするんですか」

「そんなヘマはしないさ……とは言ったものの、説得力はないな。君の前では、私はヘマばかりだから」

 メノウはそう答えて苦笑した。だが、その目は笑っておらず、背中越しに見える月に映えるエメラルド色の瞳が、憂いで曇っているように見えた。

「……メノウさん? どうしたんですか? なんだか……元気がないみたいですけど……」

「私が? いや、まさか……」

 強がるメノウの声は、暗く沈んでいた。彼女自身もそれに気づいたのか、一つ大きなため息をついた。

「……いや、嘘はよそう。実は、少し落ち込んでるんだ」

「落ち込んでる? どうしてですか?」

「それは……」

 アンバーが問い質すと、メノウは心情を吐露するように呟き始めた。

「私は……君の助けになりたいのに、実際は失敗してばかりだ。この前だって、結局は君をひどい目に遭わせてしまった……」

「メノウさん……」

 アンバーは戸惑っていた。メノウがこんなことを言うのは初めてだ。アンバーの知る中では、彼女は常に謎めいた雰囲気を湛え、強気で、冷静で、弱音を吐いたりはしない。だが今は、伏し目がちなまま、己の弱さをさらけ出す言葉を紡いでいる。アンバーは緊張し、その一言一句を逃すまいとした。

「もしかしたら、そもそも私は君の力になんてなれないのかもしれないな。初めて会ったときだって、君は私のせいでプリンセス・クルセイドに巻き込まれてしまったのだから――」

「それは……それは違います!」

 悲痛な心情を吐露していくメノウに、アンバーはついに黙っていられなくなった。

「……アンバー?」

「メノウさんは……メノウさんは、私が一番辛いときに傍にいてくれました。お父さんを連れていかれて、途方に暮れていた私の力になってくれて……」

 言葉に詰まりながらも、アンバーはメノウのエメラルド色の瞳を見てはっきりと答えた。

「本当に感謝してるんです。だから……そんなこと言わないでください」

「君は、私を……慰めてくれるのか?」

 メノウは声を震わせながらそう言うと、アンバーから視線を切り、月を見上げた。

「君は優しいんだな。イキシア王女が一緒にいる理由もわかる」

「そんな……私はただ、毎日必死なだけですよ」

 アンバーは自身も月を見上げながら、背を向けたままのメノウに話し続けた。少し肩が震えているようにも見えたが、気にしないことにした。

「本当に優しいのはメノウさんのほうですよ。この間だって、捕まった私を助けようと必死に頑張ってくれてたって、イキシアから聞きました」

「さっきも言ったが、あれは完全に私のせいだからな。何としても君を助け出さなければと思っていたんだ」

 メノウは幾分か落ち着いた様子で話していた。そんな彼女を見て、アンバーはかねてからの疑問を口にした。

「あの、メノウさん……メノウさんは、そうやっていつも助けてくれますけど、そもそもどうして私の味方をしてくれるんですか?」

「そ、それは……」

 答えるメノウの声が、急に小さくなっていった。アンバーは答えを聞き逃すまいと集中する。

「……好きだから」

「好き?」

 言い淀んだ末に出た答えをアンバーがおうむ返しに尋ねると、メノウは月から視線を外し、こちらに向き直った。

「私は……私は君のことが好きだから、君の力になりたい。そう言ったら、君は嫌がるかな?」

「えっ……?」

 突然、思いがけないことを告白され、アンバーは返答に詰まった。

「……やはり嫌か? だったら私は……」

「そんな……嫌がるなんて!」

 発言を撤回しようとするメノウを、アンバーは慌てて制止した。

「ただ、びっくりしただけです。私……メノウさんとは、まだお友達になれていないと思っていたので」

「……友達?」

「……違うんですか? 私はてっきり……」

「……いや、違わない。違わないさ」

 メノウはそう呟くと、手すりの上に静かに立ち上がった。再び月を背にした彼女の瞳からは、もう憂いが消えていた。

「アンバー、これからも闘いは続く。私はこれからも、君のサポートをしていくつもりだ。どういう形になるかは分からないが……当てにしておいてくれ」

 それだけ言い残すと、メノウは手すりを蹴り、ベランダから後ろ向きに飛び降りた。

「メノウさん!?」

「アンバー、また会おう!」

 アンバーが慌ててベランダから乗り出すと、メノウは仰向けのまま空中で自らの体に風を纏い、親指を立てながらそのままどこかへ消えていった。

「行っちゃった……?」

 アンバーは目を凝らして眼下の街を見渡したが、メノウの姿はどこにもなかった。アンバーは諦めて部屋に戻ろうとする直前、ふと月を見上げた。心なしか、その月はメノウが来る前よりも輝いて見えた。

「……私も、メノウさんのことが好きですよ。だから……頼りにしています」

 アンバーはそう独りごちると部屋の中に入り、静かに窓を閉めて眠りに就いた。


――エピローグ――

「それで……今着いたのかい?」

「そうです。思ったよりも長旅でした」

 王都エアリッタの街へと続く正門の脇にある、門を見張る騎士たちの詰所。その室内で、一人の男と少女とが机を挟んで向かい合い、椅子に座って会話を交わしていた。

「なるほど……よくここまで魔物にやられなかったな」

 男はそう話しながら、机の上に置かれた調書にペンを走らせた。彼の名前はパディーヤ。ウィガーリーの王立騎士団の隊長だ。

「そうならないようにしてから、旅を始めましたから」

 パディーヤの発言に対し、向かいに座る長い黒髪の少女はやや不可解な返答をした。

「……本当に家出じゃないんだね?」

「とんでもありません」

 少女は切れ長の目でまっすぐにパディーヤの目を見ながらそう答えた。どうやら、彼女の言葉に嘘はないようだ。見た目はパディーヤの娘と大差ないように見える少女だったが、どうやらこの王都に訪れる他の旅人と大差ない精神と実力の持ち主らしい。

「……分かったよ。わざわざ時間を取らせてすまなかったね。こちらも仕事なんだ」

「分かっています。では、これで」

「オイオイ、そういうわけにはいかないよ」

 少女が立ち去ろうとしたところを、パディーヤは慌てて引き留めた。

「……まだ何か?」

「近くの宿まで送っていくよ。夜の一人歩きは危険だからな。少し待っててくれ」

 訝る少女に答えながら、パディーヤは調査を仕上げて立ち上がり、身支度を始めた。

「その危険って……ヴァンパイア?」

「……君もしつこい子だな。さっきも言ったが、そんなものは出ないよ。ここは君にとって初めての土地だからね。あくまで用心のためだ」

 支度の間も、少女はこれまでに何度も繰り返してきた質問をし、パディーヤは同じように答えた。やがて出かける準備が終わり、改めて少女に向き直る。

「さて、じゃあ行こうか。ヴァンパイアハンターのカーネリアさん」

「はい、よろしくお願いします」

 少女は礼儀正しく返事をすると、パディーヤに連れられて街へと歩いていった。彼女の首からは、謎めいた十字架のアクセサリーのついたペンダントが下げられていた。

第2部 #1 【鍛冶屋の娘と王子様】 完

次回 第2部 #2 【ヴァンパイアハンター】

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