彷徨うおっさん61 執筆には熟成が必要(前編) 熟成を待たない合理主義だけでは破滅する
記事数160を超え、ストックを含めると半年継続は確実となった。朝の6時前後の公開も1日も欠かさずにうまく続いている。
40年生きてて色々とチャレンジしてきたが、どうやらやっぱり私ことおっさんにとって執筆は楽しいらしい。もっと前からやればよかったなとここに来て一瞬思う事もあるが、このタイミングこの年齢というのもまた、熟成という意味では自然であったように思う。
今日は一か月節目の振り返りに続いて、執筆と熟成について、少々捻くれたアプローチながらも、つらつらと述べたいと思う。
<熟成を待てない合理主義 その先鋭化がもたらす破滅性>
さて、執筆と熟成について述べるにあたって、熟成とは逆にあると思われる価値観と比較しながらとしたい。
時々、何事も思い立ったらすぐにというタイプの人がいて、ガンガン新しいビジネスなり活動を始めてしまう人がいる。そんな人は事業をいくつも立ち上げて、資金も人脈もついてくる。影響力があって、常にやりたいことをやっている(ようにも見える)。そしてその在り様こそが成功のための最良のメソッドだと豪語している。
その価値観からすれば、おっさんのnoteは随分と遅咲きで、とっくに書き尽くされたパターンや内容ばかりの、つまらないものかも知れない。だが、それでもおっさんが平気で続けられているのは、自分なりの納得感や楽しさをそこに感じているからに他ならない。
今回、熟成と称して語ろうとしているのは正にその納得や楽しさの部分で、これこそ、合理主義とは異なる、人間に必要不可欠な感覚であると思っている。
例えばこんな言葉がある。
「何事もやるやらないの違いでしかない。」
そう言われれば否定は難しいし、おっさんもその通りだとは思うのだが、こうした言葉一つとっても、多くの場合説明が足りていない。
真の理解にはもっと、語り手、言葉、読み手そのものの熟成を要すと常々思う所だ。
心理面や知識技能のベースにおいて、物事のスタートラインに立つことや、そもそもとしてやりたいことに気付くまでに必要なことは、実際は山程ある。
一見条件が揃っていたように見えても何かが足らずに躊躇することは、一般的に言って珍しくはない。
そして、足りない部分は人それぞれであるが、あえて分かりやすく一言で言うならば「熟成」ではないだろうか。
ところがその不足を「行動力」「情熱」「勇気」などと短絡して言い切る人が最近は多く、危うい気がしてならない。
新事業を始めるにあたって、足りないスキルや経験は、やりながら身につけていけば良いという話もある。簡単なことではないが、一応理屈としては正しいように思う。
しかし、その過程には選択と集中が発生するのが常である。
合理的に目的に向かって行動することを優先とすると、選択と集中によって不純物が徹底的に取り除かれてしまう。
それはそれで功を奏することももちろんあるが、一方でその先鋭化が仇を成すことだってある。
先鋭化は価値の一本化を加速させ、想いにせよ選択にせよ、不純である大量の脱落者を発生させる。
不純さを理由にその道で切り捨てられたもの達は、逆に切り捨てていったもの達に牙をむいて争いも発生する。切り捨てた当人も、切り捨てた痛みや出血によって一生苦しんだり、死に至る人も珍しくはない。
これらは良し悪しは別として、やはり万人にオススメできない特別な道に思う。
多くの成功者が語るような、純粋で先鋭化したメソッドは、同時にこうした破滅性を併せ持ってしまうのではないだろうか。
おっさんの「人は自分は、この時代をどう幸せに生きるか」という想いは今のところ1ミリもブレず執筆を続けているが、この想いからしても、こうした純粋で先鋭化された価値観はどうにも受け入れがたいのが正直なところだ。
勝ち負け、損得もうんざりだが、言うなれば想いが先走りすぎるやんちゃ坊主のチキンレース(所謂取り返しがつかないこと)に、皆が皆、参加せよと言わているような状況にも思う。人生そこまで追い詰められなくたって良いし、そのレースを楽しいものだと肯定するマインドとやらになる必要など、ない方が幸せかもしれない。
「行動力」「情熱」「勇気」は、ポジティブ(陽)の思考であり、その一面からも単純に疑われることなく支持されることが多いようにも思う。
一方で「熟成」は時間がかかり、鬱々と清濁併せ含んだ経験を重ねる行為であって、ネガティブ(陰)の印象をぬぐい切れず、避けられがちである。
また、熟成メソッドは語ると長くなりがちで、積み上げ研鑽してきた内容は、万人が簡単に理解できるものとも限らない。よって拒否されがちである。
そうした大筋の陰陽判断の中で、成功者の英雄譚や、その焼き直し、彼らの人生の枝葉だけを切り取ったようなお手軽メソッド、果てはスピリチュアルや、詐欺まがいの教えばかりが支持され、多くの人が夢を見るだけ見て、最後は不幸になっているようにも思う。
確かにおっさんの言うような物事の負の側面のクローズアップなり警鐘は、起業家的な人の勢いを削ぎ、チャンスを踏みにじる一面もある。だが一方で、成功とは、幸福とは、人生とはと、改めて深く考えることもせず、目に見える成果ばかり追求し、悩んだり考えたりしている相手に「バカになれ、上を目指せ」とばかり吹聴するのもまた、多くの凡人を不幸に叩き落とす教えであるとおっさんは思う。
次回に続く