彷徨うおっさん32_下半身スキャンダルのくだらなさ(後編) 有権者ならば低俗なスキャンダルで騒いで政治を止めるべからず
前回は最近のスキャンダルとそのコメントに対する炎上について紹介し、政治家は聖人君子である必要はない旨のおっさんの私見を述べた。
今回はその続きとまとめを述べる。
<前回の続き>
他者の下半身の緩さに個人が怒るとしたら、それは家族や恋人がそうであった場合までではないだろうか。
そこはやむを得ないとは思う。究極的には生き物であり、男であり、女である。肉体的にも精神的にも性に奔放なパートナーといるとヤキモキする。加えて子供が居れば、子供はナイーブだから余計そんなスキャンダルは勘弁して欲しい。当然のことだろう。
だが今回は、不倫や不誠実な恋愛といったものではなく、水商売の女と金銭的契約でサービスの提供を受けただけのこと。
しかも実際に事におよんだ分けでもあるまい(少なくとも現在の状況証拠においては)。それを遠い世界の、自分の声などなかなか届かない人物が、勝手にやっただけである。
そんな実感の伴わない事象にエネルギーを費やして批判したところで、第二第三のスケベニンゲン(男も女も)が今後も立候補、当選し続けるだけだ。本当にキリがない。
ならばそこは織り込み済みで考え、むしろ本質的な政治政策に取り組む時間とエネルギーを政治家に与えてはどうだろうか。
個人の性欲処理への批判よりも、国として解決すべきことはたくさんあるのに。。。
我々有権者は、もっと冷静に、政治家を欠点のある人間として捉え、その上で政治政党はどうあればよいか、政治家一人一人にどうして欲しいのかを語るべきではないだろうか。
真面目に経済や産業、福祉や地域開発、それらをひっくるめた人間の幸福を追求するための議論を交わした後、みんなで自分の給料で、ももいろの繁華街に繰り出して大豪遊したとしても構わん。お釣りが来るぐらいだ。
それを「けしからん」と大騒ぎする人は、部数が欲しい三流出版社の回し者か、政治を停滞させたい反政府勢力の者か、単に権力者を貶めて留飲を下げたいだけの小人物か。果てはそんなに清らかな人間なのか。いずれにしても政治活動の邪魔だ。
<まとめると>
先に上げた「許せない」「信じられない」「こんなことするべきじゃない」
と、怒りをぶちまけるだけの行為は、二つの点で意味がない。
① スキャンダルを煽れば煽るほど彼らが本来の仕事に集中できなくなる。すなわち政治機能を阻害し、国家に損害を与えている。
② 例えばクリーンを志す主義主張として、政治家は公人だ公人だと騒いでいるが、公人である以前に、逃れようもなく愚かでスケベな一個人でもある。
故に「政治家ならば聖人君子か神様のように清い存在であって欲しい」かのごとく主張は、永遠に届かない夢物語であり、追求するだけ時間の無駄である。
いずれにしても、目の前の政治課題に今いる政治家を全力で向き合わせることこそが、有権者の選択としては懸命のように思う。
我々は神によって統治されているのではなく、公人とは言え人によって統治される身である。これは逃れようがない。ならば民主主義の建前の中で粛々と投票を行い、決して完ぺきではないにしても、立候補した彼らに、素直に意思決定をゆだねるしかないではないか。
それが嫌なら自分で立候補するしかないが、その道は思った以上に険しい。だから、投票が精一杯の弱い一個人としては、同じ弱い一個人の政治家のスキャンダルを笑って流すことこそが最良で、十分な選択なのではないだろうか。
まあ好き嫌いで言ってどうしようもなく嫌なら、理屈抜きに献金も投票もしなきゃ良い。それもまた民主主義だろうから、屁理屈言って騒がす、黙って別の候補者に投票すればいい。冷静に考えれば、政治家の下半身が清いことなど優先順位はものすごく低いだろうけど。
<ちなみにちょっと昔話>
おっさんが小学校の頃、担任の先生(女性)の発案で、クラス全員が鉛筆を口に銜(くわ)えさせられたことがある。しかもなるべく短い鉛筆を選べというのだ。
何を始めるかと思いきや、端っこの児童に輪ゴムを渡して、鉛筆を銜えたまま、隣の子の鉛筆に順々に輪ゴムを受け渡せなどと言うのである。
当然女の子と男の子がペアで並んでいるのが当時の小学校である(今もかな?)
「現在こそスケベで外道で最低野郎と有名のおっさん」も、当時はとても純情だったので恥ずかしくて嫌だったのを覚えている。
結局その時は、手で取って次の子に渡したのだが。。。
先生「なんだ、コン! そうじゃなくて鉛筆で渡すんだよお~! ほうれ、もっとくっつけくっつけ~」
繰り返すがこの先生「女」である。
当時は本件以外でも、逆らって腕をひねられて泣かされたりもしたが、未だに名前と面を忘れていないのはこうした暗い記憶を植え付けた存在だからに違いないだろう。
今回の報道と、この時の記憶には重なるものがある。。。
だから擁護しているわけでは決してないが、大人には大人の、子供には子供にふさわしい行いなり遊びというものがあるとおっさんは言いたい。
ストレスいっぱいの政治家が、子供の遊びで気晴らしができるわけがない。
逆に子供が望まないなにかを、立場を利用して強要するような大人は好ましくない。
やや無理やりなまとめではあるが、政治家をもっと自由にさせてやれば、このような好ましくない大人が排除され、妙なトラウマを持つ子供も減らせるだろうと思う。
汚れ仕事は大人の領分である。その汚れを過度に嫌うから、かわりに子供が受け止めて汚れていく。大人が汚れにまみれていたからと言って、むやみに批判するのではなく、汚れても汚れても、もっと大事な何かを守る存在として働かせればいい。
それが大人のあるべき生きる道ではないだろうか。