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彷徨うおっさん53 分断する男女(3/7) 厳しい恋愛経験と その先にあった男達による自身の価値の棚卸し、達観

 前回は、2010年代の、男女関係(恋愛・結婚)について、おっさんの体験と思う所を語った。今回はその続きと、おっさんが結婚についてどういう考えに至ったか、その結末をお話ししたい。

<前回の続き>


 同時期、友人(もちろん男性)の中には、それでもその辺り(女性に理不尽に選り好みされる毎日)を割り切って、結婚まで進んだ人も何人かいたのだが、いきなり呼び捨てにするような女、会社ステータスを訊くのに「所属は?」などとグズグズと変なことを言う女、働いても居ないのに自己都合で夫に転職させる女など。。。
 申し訳ないがちょっとなぁ~と思ってしまう女性と一緒になっていた人も割といた。

 おっさんも頑張って同様に、色々な女性にアプローチしたり、時には付き合ってみもしたが、そこまで無理して結婚したいとは思わなくなって行った。

 また、最後まで駒が進みそうな女性は、教養や将来的ビジョンが軽薄で依存的な人ばかりだったため、結局自分はこの程度の相手としか無理なのだなと、うんざりした記憶がある。

 「お前に選ぶ権利などない」などとある女友達(今は不仲になってしまったが)に言われ、まあ、そんな出来た女は俺に振り向いてくれやしないよねと、現状を見ての高望みを止め、半ば妥協する気持ちに至り(30なったばかりの頃)、数回のデートだけという関係も含めて、諦めずに1年間何人かと交際してみたが。。。結局結婚は怖くてできなかった。

 例えばデート中に体調不良でちょとおならが出ただけで怒られたり、おっさんのちょっとした行動(ふざけて肩で扉を押しておちゃらけた程度)だけで、急に相手が冷めてしまうなど。。。随分と振り回され、幸福感が下がっていった。
 挙句、命にかかわるような事でも真面目に意見すると、逆にものすごく怒られる。女性に対して「そっちからも質問したり、話題を振ってよ」と言うと、「あーあなたも草食系なんだ~」といった極端な事を言って怒るなど。。。

 あまりにも感情が先走る「現代女性」という生き物に、理解が追い付かず、数々のトラウマばかり残ってしまった。

 32の時、結論として、選ぶ権利がどうとか以前に、選ばない方がマシであるという考えに至って、ここにおっさんの所謂婚活は永久封印とした。

<現在、多くの初老のおっさん達は、直近の10年で己の価値を棚卸しすることになったと思う そして>


 自分で言うのもアレだが、おっさんは、就職氷河期世代でも真面目に努力して、
頭のおかしい上の世代の言にも、時には逆らい、時には感情を殺して生存し続け、一生懸命良い収入と立場を模索してきた。

 その際に、問題解決のためにシリアスになったり、苦境の中誰かを助けたり、逆に助けてもらったり、世の中全体というと大げさだが、人との関わりの大事さと、考察は否応もなく高まったものである。

 にもかかわらず、おっさんが実際に交際もした当時の婚活女性たちは、振返ると、一体何がしたいのか分からない人達に思える。恋愛で必要とされる所作は、生きる為、仲間と分かち合う為のそれらとあまりにもかけ離れている。

 結婚して子供を持ちたいということを、婚活女性は口をそろえて言うのだが。。。やりたい仕事もなく、家族を真剣に養う気持ちもなく、悪いお金の使い方や危険行為にも鈍感で、自分の身も守れないような、自立していない人達ばかり。
 以前の記事でも何度も言及してきたが、「かわいい」の追及と、「共感」の強要による男性からの搾取に奔走し続けてばかりに思えた。

 そういう女性達と交際し、いざ結婚が見えてくると「主婦希望」を後出しでオープンにしたり、「愛情を試す」などと称して、わがまま放題に感情爆発させてくるケースもあり、男女関係以前に「人間として不誠実な人達」にも思えた。

一体こちらを何だと思っているんだろう。そしてこんな程度の人たちに対して、一体俺は何をやっているのだろう。


 そうしたうんざりした経験ばかり募っていった。

 また、感情をぶつけられる度に、こういう人を母親にしてはならないなと思い、その度に気持ちが冷めてしまったものだ。

 おっさんもそうだが、この時期に結婚できなかった同世代は、無理せず成り行きに任せるように切り替えて行ったと思う。(そして都合の良い出会いなどは少なく、結局、現在独身のままという人が多い。)

 おっさん自身がモテないということはハッキリと認めるにしても。。。いろいろな価値観が邪魔をし、30代前半の時期に既に、結婚は半ば断念するに至る他なかった。特に、考えるタイプの人であるほど、結局結婚や子育てのビジョンを、相手女性と上手く共有できず、生き遅れてしまったようにも思う。

 だが、考え続けたことを生かして、結局30を過ぎてからは、己のために生き、自身の価値を見極め、その分世界をより客観的に捉え、多くの人に役に立てる人間にもなれたように思う。
 そして、それで良しとも思うようになっていった。

 この現状を「負け犬の戯言」とおっさんを評価する人(特に女性)も時々居るが、そうした噛みつきすらも、婚活を封印して気にならなくなっていった。
 噛みつくような女性はこの時、わずかに残った若さにかまけて欲望を満たそうと選り好みしていたに違いない。おっさん達と違って達観どころか、自身の価値の棚卸しすらしていなのではと思う。
 おっさん達は、やれることはやったと「想いの成仏」を果たし、次のステップへと進んだ。その面でも、男女は距離が離れていったように思う。

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