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動物たちのボランティア

【動物たちのボランティア】 中川志郎


動物の「利他行動」

 動物たちの世界は弱肉強食でつねに強いものが支配する倫理なき世界と思われているところがありますが、彼らの生活を子細にみてみますと、私たち人間のボランティア活動に類するものがけっしてないわけではありません。

 自発性、無償性、公共性がボランティア活動の三原則といわれますが、動物学の分野では一般に「利他行動」とよばれるものがそれにあたります。自分のためよりも他の利益を優先させる行動と定義され、野生の世界でも数多くの報告例があります。とくに、両親以外の仲間による子育てと支援「ヘルパー行動」とよばれ、鳥類、哺乳類に幅広くみることができます。


動物にも「助産婦」

 極地のペンギンがひなの集団保育をし、両親が海に彩食に出かけている間、群れの他のペンギンが世話をする行動はよく知られています。また、カケスやウでも両親以外の仲間がひなに給餌する例は少なくありません。哺乳動物でも同様で、オオカミやリカオンなどの群れによる共同保育は普遍的ですし、さらにゾウやイルカでは出産のときに群れの中から「助産婦」が現れ母親と子どものケアをすることが観察されています。

 動物園などの飼育動物の場合でもこのような例は数多く報告されており、私自身の動物園生活四十年の間にも忘れがたいボランティア行動がいくつも記録されています。

ゴリラによる「幼女の救出」

 そのひとつは都立多摩動物公園でのゴリラによる幼女の救出です。

 これは、ゴリラ放飼場の中に落ちた三歳になる幼女をゴリラの雌が助け上げたというケースで1978年11月に発生しています。当時、私は上野動物園勤務でしたが、たまたま会議があって多摩動物公園に来ており一部始終を見ることになったのです。

 その日は好天で秋の行楽日和。ゴリラ放飼場に落ちた幼女・三歳のS子ちゃんは姉の幼稚園の遠足に母親とともに参加していました。昼食の休憩時間、S子ちゃんは遊んでいるうちにいつの間にかゴリラ放飼場の人止め柵をくぐり抜け、誤って放飼場の空堀(深さ3.8メートル、幅2.0メートル)の中に落ちてしまったのです。

 当然のことながら大騒ぎになりました。3.8メートルという高さから落ちたということだけでも大変なのに、放飼場にはゴリラが二頭、八歳になる雌のキキと八歳半になるサルタンがいたのです。当時まだゴリラのイメージは「どう猛な野獣」であって、多くの人には、出会えばたちまち危害を加えるのではないかという先入観がありました。

 あいにく担当の飼育係は昼食のために外出していて騒ぎは一段と大きくなりました。警察や消防もすぐ駆けつけてくれましたが、相手が動物では打つ手がありません。そうこうするうちに、キキが立ち上がって空堀の階段を下りはじめS子ちゃんのほうを見ながら近づく気配をみせたのです。その意図はだれにもわかりません。

 キキがS子ちゃんに手をかけようとしたとき見守っていたお母さんが卒倒し、時ならぬ状況になりました。

 戻ってきた担当の飼育係は「静かにしてください」と強い調子で皆を制しました。キキはおとなしい性格なので驚かさないかぎりS子ちゃんに危害を加えることはないだろうということ、むしろ雄のサルタンを興奮させないことが大切だということを、皆にむかって力説したのでした。

 たしかにその通りでした。S子ちゃんに近づいたキキは、なかば気を失っている状態のS子ちゃんをそっと抱き上げ、空堀の底から自分のいた放飼場の台場につれてきてそっと下におろしたのです。考えてみれば空堀の底には昨夜の雨で水がたまっており彼女がうつ伏せにでもなったら水を飲んでしまう危険性もあったわけで、キキの行動はそれを未然に防ぐことにもなったのでした。この様子をじっと見ていたサルタンのほうは関心は示したものの接近する気配はありませんでした。頃合いをみて放飼場に入った飼育係の手にS子ちゃんが抱えられたときほっとしたような感じさえみせたように思います。

 この救出例がゴリラのどのような心理のなかで行われたかは知る由もありませんが、同様の例がイギリスのジャージー動物園やアメリカのブルックフィールド動物園でも観察されていることからしますと、これは、ゴリラという動物に共通した利他行動といってよいのではないかと私は思っています。

象が計画的に仲間を支える

 もう一例は、これも多摩動物公園でのことですが、病気になったゾウを仲間の二頭のゾウが左右から支え、一ヵ月以上にわたって看護的な行動を続けたというケースです。

 これは私が多摩動物公園の飼育課長として赴任した年の出来事でした。雄のアヌーラと雌のタカ、ガチャの三頭のゾウのうちアヌーラが原因不明の高熱を出して元気を失ったのです。五月という季節はゾウの餌が乾草から青草へ変わる時期なので、それが原因になって消化器系の病気になったのかもしれません。ゾウに特徴的なことですが、病気を自覚すると横になって眠るという行動をいっさいしなくなります。あれだけ大型の動物になりますと起居に多大のエネルギーを要するため、再起立に対する不安が、横になって寝るという行動をセーブしてしまうのです。しかし、これは当のゾウにとっては眠らないことを意味しますから大変に過酷なことで体力の消耗も著しいものがあります。

 放飼場でよろよろするアヌーラを見て担当飼育係も獣医も大いに気をもんでいたところ、同居している二頭の雌が寄り添うようにして左右から支えるという行動を見せたのです。これは飼育係がまったく関与しない二頭の自発的な行動であり、しかも五月二十八日から六月十日まで二週間も連続して行われたのです。アヌーラの状況が徐々に良くなってきたことが私たちの目にも分かるようになったとき、もっと興味あることが起こりました。二頭の支え行動が一頭ずつの交代制に変わり、一日の間に何回か入れ代わる方法でさらに二週間(六月十日~二十五日)続いたのでした。この間アヌーラは二頭を頼りきって安心しているように見え、七月には完全に回復したことが確かめられたのです。

 このシスティマティックとも思える看護行動が担当飼育係などの関与のまったくない状況で行われたことから、まさに、ゾウに普遍的な利他行動と考えてよいものと私は思っています。

 これら以外にも、ライオン、キリン、ワシなどについても利他行動に類するものが観察されています。こうした行動が人間のボランティア行動に見られるような高尚な精神活動に由来するものではないにしても、その行動がつねに淡々として行われているだけに、よりピュアな感じさえするのです。そして、それは親から子へ、群れから群れへ、世代をつなぐ動物たちの「文化」として脈々と伝わっているような気がするのです。

「動物たちのリーダーシップ」


中川志郎さん の プロフィール



1930年茨城県生まれ。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大)獣医科卒。
1952年より上野動物園に獣医として勤務。ロンドン動物学協会研修留学の後、同動物園飼育課長。

1984年、東京都立多摩動物公園園長。その間、初来日のパンダ、コアラの受け入れチームのリーダーを務める。
1987年、上野動物園園長。東京動物園協会理事長。
1994年、茨城県自然博物館館長。
その後、茨城県自然博物館名誉館長、(財)日本博物館協会顧問、(財)全日本社会教育連合会理事、(財)世界自然保護基金ジャパン理事、(財)日本動物愛護協会理事長を歴任。
2012年7月16日死去



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