見出し画像

幸せになるんだぞ

キナリ杯、まさかまさかの結果だった。
shin5さん特別リスペクトの『ウルトラハッピーラブファミリー』賞(とにかく名前がいい)。

本当に、ありがとうございます。

そうそうたる応募者の中で選ばれたこと。
たくさんの方に読んでいただけたこと。
一夜明けた今になってもまだ嘘のようです。

夫も今回応募をしていたのですが、自分のことのようによろこんでくれました。キナリ杯を教えてくれたのも夫でした。
会社帰りに合流して、スシローで踊り食いました。たぶん、実際に踊っていたと思います。それです、その踊りとも言えないだっさいリズムを刻みながら寿司を食べていたのは私たちです。いつまで揺れてるんだと思いませんでしたか。目撃できたあなたはラッキーでしたね。今日は顔の良い部下から髪型を褒められるでしょう。



美味しかった軍艦三貫盛りを思い出して、つい楽しくなってしまった。今は創業祭です。皆さん行きましょう。

読んでいただけた方を思い浮かべながら書きます。
なによりも、自分のために書きます。
少しだけ、私が思うハッピー&ラブについて話させてください。


岸田さんにはきっと奥まで見透かされてるのだろう。もしかしたら、岸田さんもそうなのかもしれない。私は、事実を受け止めて、向き合っていかなければならなかった。

「もっと普通の家庭がよかった」
「もっと○○だったらよかった」

ひとりで泣きじゃくったことも何度もある。母にぶつかったことも、あたったこともあった。なんなら今でもある。楽しくない記憶も、思い出したくない記憶も、二度と経験したくない記憶も、たくさんあるんだ。


『お互いを想い合う気持ちがあればなんだってへっちゃらだね』なんて、小説みたいに美しいことはそうそうない。簡単に割り切れるほど強くはないし、それが強さなのかどうかも正直わからない。

もしかしたら、ついた傷は他の人より多いかもしれない。深いかもしれない。
じゃあ幸せなんかじゃないじゃないか、と言いたくなる人もたくさんいるだろう。



でも、幸せである。

父も、母も、弟も、夫も、家族みんなそうだ。
それぞれが色々なことに折り合いをつけながら、幸せを目指す。
みんなが同じ方向を見ることができれば万々歳だけれど、なかなか思うようにはならない。誰かに寄り添いすぎてしまえば、誰かがなにかを諦めることだってある。自分のことばかり考えすぎても、それではダメなこともある。縁を切る道が最良の可能性もある。歯を食いしばって、誰かのためにふんばらなきゃいけないときも、もちろんあるんだ。

でも、それは強制じゃない。
自分にとって最良の選択ではないなら、選ばないことは悪ではない。ただ、勘違いはしたくない。正しさに変えて、逃げてはいけない。


父は、病気になってから自分で選択をすることが容易ではなくなった。だから私たちは、『父の選択をさがす』ことを自然と意識するようになった。

入院してからは特にそうだ。
父は“生きること”を常に望んでいた。いつも「いつ帰れるの?」と聞いてきた。でも、苦しいことはいやだった。病気を理解できない父に、我慢を求めることはしなかった。そうやって一つずつ、父の残りの人生を、父と一緒に選択していったんだ。

母は清々しかった、「やれるだけのことはやった」と。やってあげた、じゃない。夫婦、手をとってやってきた。家族みんなで選択してきた。


みんなが傷を抱えながらでいいじゃないか。
ウルトラハッピーなんてそれぞれが決める。
家族一緒にいることだけが正解なわけじゃないと思うんだ。

父のいなくなった我が家は今だって、おのおのに望む将来が食い違っている。しょうがないんだ。一生に一度の人生だもの。生まれ変わったら今度は自分が好きなように、なんて心広くなれる人は少ない。



“折り合いをつけながら”生きる。

それぞれがそれぞれの幸せをちゃんと大切にしたから、私たちは「ウルトラハッピーラブファミリー」になれたんだと思う。




大切な人を、父に直接紹介することは叶わなかった。
ずっとどこかに引っ掛かっていた。父は、結婚をよろこんでくれているだろうか。おめでとうと言ってくれるだろうか。


夫婦っていいもんだね、と締めくくったキナリ杯の投稿。
思いもかけない受賞に、父が祝福してくれなような気がした。



「娘よ、幸せになるんだぞ」

夫よ、私たちも幸せになるんだぞ。
心残りのないように、存分にウルトラハッピーラブしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?