見出し画像

『内なる崑崙を訪ねて』 全章 まとめ読み


『内なる崑崙を訪ねて』

インド・ヒマラヤ巡礼と遊行

田上 一彦


はじめに

 崑崙の名は、古代中国人が神々の世界と人間世界を結ぶ通路として描いた山です。その山は、聖なる黄河の源流、世界の中心に位置し、最も高貴で崇高な場として理想化され、西方の神々や仏たちの住まう世界と信じられてきました。古代インドでも同様の山が存在します。
 一九七五年に個人的な理由で日本を出て以来、世界各地の聖地を巡礼し遺跡を訪れる旅は、内なる崑崙を訪ねる旅であったような気がします。それは、深い意識の底に焼きついた桃源郷の記憶を現実に捜す奇妙な旅でもありました。崑崙が何処にあるのかも知らずに、各地をさまよっていた頃の記憶とメモ類の一部を並べてみました。辿った道筋を挙げるだけでも大変ですし、それを限られた量の中にまとめるには、少々文才が不足しているようです。小説や紀行文のような面白さや滑らかさはないかもしれません。また、当時の自分の若さばかりが気にかかりますが、それはどうも訂正しようのない部分です。なにも知らない若者の体験でしたから。
 これはまた、三重県の崑崙舍にいたった巡礼路でもあります。ヒマラヤ経由の大変な回り道でした。それでも辿った道の全貌を入れることができず、中南米や中近東、アフリカなど多くの部分をカットすることになりました。それも仕方のないことでしょう。終わりのない巡礼の途上ですから。
 巡礼途上で多くの物を収集、調査してきました。驚くべき質と量です。それをいれる容器はお粗末ですが、誰かが言った「山奥の超空間」という名に恥じないものになっています。

田上 一彦

〈 おことわり 〉
文章は原作のまま改訂せずに投稿しております。
ご理解の程よろしくお願いします。


ここから先は

125,634字

¥ 1,500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?