崑崙舍 Konronsha
ジャイナ教聖者座像 15世紀 ジャイナ教には、ティルタンカラと呼ばれる覚者の系譜があり、始祖マハーヴィラ以降 、極端な物質界を拒む修行を行い、断食による餓死を最高の状態へ至る入口とする。彫像 は、ムーラバンダーサナ(根本印座)と呼ばれる古典的なヨーガの姿勢で、下腹を上げる 特殊な呼吸法を行う。信者は裕福な商人が多く寺院は大理石を刻み豪華なものが多い。
古代中東では地表に住む人間よりは獣に似た存在としてジン、ジンニーヤと呼ばれる精霊を認めていた。『旧約』イザヤ書にも動物と交わる毛深きものとして記されている。それらの存在は神出鬼没で姿を変え人間に化けることもでき、人間と同じ場所に住みうっかりジンを怒らせると、彼らの呪いを受けることになってしまう。それを避けるための呪文や呪物が多く残されている。それらのジンたちは広くアラビア半島全域に拡がっていて、回教時代にも生き残り、古典『アラビアンナイト』にも登場してくる。彼らの嫌うものは
古代の豊穰の女神の姿は、人類文化の発祥の地とされるメソポタミアから中東を経て、西へ伝わってアフロディーテ、ヴィーナスそしてマリアと数々の女神に化身し、東に伝わっては破壊神シヴァの妃としてドゥルガー、パールヴァティ、恐怖の黒い女神カーリーとして姿を表した。旧石器時代の狩猟の女神は、次第にその姿を農耕の女神、豊穰の大地母神と変貌してゆくが、根源は大地の神であった。人々の営みが変化する毎に、女神の姿も変貌していったのである。農耕の発見は、自然のサイクルの発見であった。周期的に現れ
ヒマラヤの地形は言葉に尽くし難い。尾根の深く切れ込んだ山襞は目も眩む。 険しい断崖に阻まれた孤島の如き閉鎖的な地理的条件の中に暮らす素朴な人々が、かくも多様な表現を生み出す想像力の源泉はいったい何なのか。現代のアーティストの度胆を抜くような自由奔放な造形と表現を生み出すものはいったい何なのか。山に暮らす人々の単純な生活とはあまりに隔たりのあるこの原因を知りたいと考え、ヒマラヤの峡谷を歩き回り収集し始めたのですが、新しい仮面に出会う毎に分類の項目が一つ増えてゆくばかりで、苦
『内なる崑崙を訪ねて』インド・ヒマラヤ巡礼と遊行 田上 一彦 はじめに 崑崙の名は、古代中国人が神々の世界と人間世界を結ぶ通路として描いた山です。その山は、聖なる黄河の源流、世界の中心に位置し、最も高貴で崇高な場として理想化され、西方の神々や仏たちの住まう世界と信じられてきました。古代インドでも同様の山が存在します。 一九七五年に個人的な理由で日本を出て以来、世界各地の聖地を巡礼し遺跡を訪れる旅は、内なる崑崙を訪ねる旅であったような気がします。それは、深い意識の底に
崑崙舍を創った田上一彦の著書や各種執筆の有料公開を開始します。 まずは1996年に出版した『内なる崑崙を訪ねて』をアップロードします。 第一章、前衛ジャズのバンドマンだった著者が日本を飛び出でインドの土を踏むまでの約4000字が無料で読めますのでぜひ読んでみてください☺️ 随時更新してまいりますので、ぜひフォローをよろしくお願いします。 『内なる崑崙を訪ねて』全章 一冊 まとめ読み 1500円 ↑ クリックで一冊まとめ読みページへ。 『内なる崑崙を訪ねて』インド・ヒマ