仮面収集の所感

 ヒマラヤの地形は言葉に尽くし難い。尾根の深く切れ込んだ山襞は目も眩む。
 険しい断崖に阻まれた孤島の如き閉鎖的な地理的条件の中に暮らす素朴な人々が、かくも多様な表現を生み出す想像力の源泉はいったい何なのか。現代のアーティストの度胆を抜くような自由奔放な造形と表現を生み出すものはいったい何なのか。山に暮らす人々の単純な生活とはあまりに隔たりのあるこの原因を知りたいと考え、ヒマラヤの峡谷を歩き回り収集し始めたのですが、新しい仮面に出会う毎に分類の項目が一つ増えてゆくばかりで、苦行の如き終わりのない収集と整理作業が続き、途方もない世界に足を踏み入れた恐怖にも似た実感ばかりが、重くのしかかって仮面を入れたザックを背負い、茫然とヒマラヤを眺めることもしばしばでありました。
 雄大な渓谷の渓谷に咲く花々にも譬えられようこれらの仮面を手にし、蜜に魅せられた蝶の如く、それらを摘み取りつつ山野を歩き、次第に珍しい花を得る為に僻地へと足をのばすことになり、20年が過ぎ去ってしまいました。ヒマラヤにおける輸送手段は未だに人の足と肩に頼っており、一人の人間が背負う重さと一日の歩ける距離を考えると、面白いことに、その輸送コストは世界一高いものになってしまいます。おまけに5月から9月の雨期には道は川となり寸断され、血を吸うヒルや毒虫が徘徊し山岳地帯の村々は文字どうり陸の孤島と化してしまいます。
 山岳部においても、無計画な森林伐採による自然環境の変化によって、いままでの生活習慣の維持が不可能となり、住み慣れた村を捨てる者が増加しています。急激な人口増加が絶妙なバランスを崩してしまいました。極端な過疎化によって、受け継がれてきた自然と共存する儀式も執行できず、こうした貴重な民族の遺産も朽ちるに任せ、個々に散逸し、その意味や仮面の下に流れている民族、風土の水脈を表に現すことなく塵芥に帰そうとしています。
 単に興味と対象として始めた収集作業でありましたが、次第にそれぞれの仮面の持つ膨大な情報、つまり仮面を生み出した民族の精神文化の豊かさと、それを育てたヒマラヤの風土という舞台のなかで織りなす民族の交流の微かな痕跡を感じるようになり、消滅の危機感を持って、取り憑かれたかのように仮面収集を続けることになったのです。個々の仮面の中には凝縮されたそれぞれの部族の歴史と宗教が刻みこまれ、それらが群れを作り一枚の大きな綴れ錦を成し、ヒマラヤという風土と重なっています。
 これらの仮面は儀式に用いられたものです。個々の仮面のキャラクターは、村の周辺の山野に徘徊する目に見えない霊的な存在を、人間世界に出現させるための道具として用いられます。その儀式は一年を無事に過ごすために、人々は眼前に神々を招き、五穀豊穣や無病息災の祈願をし、精霊たちをなだめ、悪魔たちを追い払うのです。目に見えない神に願うよりも眼前の神々に直接願うほうが確実だからです。その儀式には観客を考慮した表現は一切なく、過剰な演出もなく、ストーリーもありません。神や精霊、悪魔が降りるかどうか、憑依した霊たちにお願いをすることが全てであり、仮面を用いた儀式は一年を無事に過ごすための必要欠くべからざる行為であったのです。仮面の神々たちはヒンドゥ文化やチベット密教の影響をうけたものもありますがほとんどはローカルな存在で、隣の村では通じない霊的存在たちです。
 通りがかった村はずれの崩れた土蔵の壁の中から転がり出た、朽ちはて崩れた木塊との出会いが仮面収集の発端でした。仮面はその力を人間社会に放たないように、儀式後すぐに人目に触れない、日の当たらない部屋に閉じ込められます。その力は私たちがコントロールできない危険なものなのです。したがってこうした儀式が途絶えると、仮面は閉じ込められたまま外気に触れることなく塵となってしまうのです。途絶えた儀式を掘り起こすことは至難な作業です。連綿と続いた伝統もいとも簡単に失われてしまいます。
 これらの仮面の背後にある膨大な情報を読み取ることの難しさは、収集のために辿った険しい山道にたとえられるかもしれません。氷河が刻んだ雄大な峡谷に、細々とそして延々と続く蜘蛛の糸のような道。尾根を越えればもう言葉も違う異界が点在する世界。また、かげろうが揺らぎ地表を焦がすような褐色の世界。強風だけ吹きすさぶ荒涼とした谷間。干からびた地表も、雨期には泥沼と姿を変え、孤島となる村々。ヒマラヤ世界の多様性は、気候風土のみならず、人種、言語、宗教にしても1枚の平面図では表すことのできないものです。この世界の縮図という表現が当てはまる、簡単に捉えることの出来ない混沌世界。あらゆる尺度が違う世界の重なり合う、重層的世界。それを端的に表し、我々の前に見せてくれるものが仮面なのです。異界との境界に、城壁のごとく外を向く仮面は、城内世界の情報を自らの表情の中に刻み込んでいるのです。仮面から城内の世界を悉く知ることは不可能ですが、仮面の豊かな表情の間から垣間見ることは出来ることでしょう。
 ヒマラヤ仮面の驚くべき分類不可能とも思える多様性と、豊か過ぎるとも言える奔放な変化に富んだ表情、穿たれた眼窩の見つめるもの。それら醜悪とも不気味とも見える仮面がいったいどういう世界を表しているのかを想像も出来ませんが、我々は自分たちの尺度とは全く違う、想像と理解の範疇を超えた異世界の存在を知ることができます。その時私たちは人間の精神の歴史と、その文化の多様性に感動し、感嘆の声を上げるのです。また、他文化に直接触れることは、自文化を認識する契機となり、翻訳不能な自らの民族意識に目覚めることになることでしょう。個々の民族、独特の風土に育つ人間が世代の流れのなかで受け継ぎ、伝えてきたもの。それらは翻訳不能な深い意識のなかに組み込まれたものです。驚きによる日々の日常性からの覚醒は、日常の価値を再認識させてくれます。漠然と暮らしていた自らの国土の豊かさと恵みを、ヒマラヤの自然を通して知ることは快い快感を与えてくれるに違いありません。仮面を通してヒマラヤの雄大な風を感じ、人類の多様性と多岐にわたる文化の根底に流れるものを感じてください。太古の豊穰の世界に暮らしていた自然の中に神々や霊的存在を見た豊かな想像力を、仮面を通じて深い意識の底から浮かばせて下さい。


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