書くことが生きること

昔から「書く」ことが好きだった。
嬉しいこと、楽しいことと言ったプラスの感情ではなく
辛い、苦しい、悲しいマイナスの感情のときにいつも私を救ってくれるのが文章だった。

小学2年生の春、クラスの中で物語を作るということが流行った。
誰からともなく始まり、流行に乗ることが好きだった私は鬼ごっことかかくれんぼが流行ったときと同じ感じで波に乗った。
1番初めに書いた物語は、
タイトルこそ忘れてしまったが
不思議なダイヤモンドがあり、それに触れると人格が変わるというSFものだった。
昔から、妄想や空想が大好きで授業中もしょっちゅう違う世界へ飛んでしまっていた私らしい作品だったと思う。
起承転結もめちゃくちゃだったし、
伏線も張るだけ張って回収はしないという読者の気持ちをフル無視した内容だったけど
小学2年生のわりには上手い、ということで友達にも担任の先生にも両親にも褒めてもらった記憶がある。

そのとき、私の生きる道はこれなんだと子供心に悟った。
運動もイマイチ、勉強もそこそこ、
絵は好きだけど下手の横好き感が否めない。
顔もスタイルもすごい良いわけではない私にとって、それが全てに思えた。

そこから物語を作るということにのめり込んでいった。
もっとああなったらいいのに、
こんな世界だったらいいのにという
現実世界ではあり得ないことが紙の上では現実になることが楽しかった。
そして何よりそれを面白いと読んでくれる友達の存在が嬉しかった。

小学五年生になり、なんとなく地に足ついた物語を作ってみたいと思うようになった。
そこで、自分が通っていた小学校をモデルにした。主人公はもちろん自分だ。
いわゆる『ちびまる子ちゃん』の世界である。

それぞれの友達に偽名をつけて、
自分の身の回りに起こった面白おかしい出来事を方角ノート5ページで1巻くらいのペースで仕上げていった。
挿絵が欲しくなり、絵が上手い友達に頼んで絵も入れてもらった。
これまでにない大作だった。
途中で、挿絵を担当してくれていた友達が転校することになり
かっこよく言えば打ち切りになってしまったが
いまでも鮮明に覚えているくらい楽しい出来事だった。

中学生に入ってからは、
ツールが携帯電話のメモ機能に変わり
メールで友達と文章を送り合い評価し合った。
高校生では、ブログを立ち上げて
より多くの人の目に触れる場に公開するようになった。

大学は当たり前のように文学部に入った。
そして将来は出版社に入ると決めていた。

しかし、現実はそう甘くなく
大手出版社は中途採用がほとんどで
新卒採用はやっているものの1-2人など狭き門もいいところだった。
ぼちぼちの私大に通っていた私は、大学名だけで振り落とされることも多く
結局出版社へ就職という道は断念せざるおえなかった。

結局いまは全く別の職業ながら
ぼちぼち楽しくやっているという状況で
でも心のどこかで出版社で働くという思いが諦めきれていない。

こうやってただ書いているだけでも十分なのだが、せっかくならという自分もいる。

だんだん何が正解かわからなくなってきつつあるが、まだ止まれない。

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