【戯言独言】自ら命を絶ったライダー、彼は何を思ったのか

お疲れ様です。思うことがあり、久しぶりに文章を書くことにしました。自分の思うことをできるだけそのまま文章に落とし込んでいますので、配慮に欠ける表現があるかもしれませんがご容赦ください。

先日、バイクで日本一周に挑戦していた一人の男性が栃木県のダムで投身自殺をしたという大変痛ましい出来事が起こりました。彼はTwitterでダムに身を投げる直前と見られる画像と、注意欠陥多動性障害(ADHD)の診断書の画像とともに、「ここで僕の旅は終わり。もう苦しみたく無いし悩みたくも無い」と投稿し、その後下流で彼の遺体が発見されました。彼は2000年生まれの22歳、私より6歳も年下なのです。自分よりも若い人の訃報に接すると当然悲しい気持ちになるのですが、それ以上に悲しくなるのが「発達障害であることを悲観しての自殺」という点です。彼のツイートをさかのぼると、「彼女いないけど同棲を決めました」など、筋道を立てて行動するのが苦手という一面も垣間見えました。これはADHDの特徴を表すものの一つとして挙げられるものです。

なぜ私は彼が発達障害であることを悲観して自殺したことに対して悲しんでいるのでしょうか。自分も先月メンタル不調(不注意・焦りによるミスが続き、憂鬱な状態が1ヶ月ほど続いていた)で心療内科に行ったところ、「ADHDの傾向がある」という診断を受けました。すなわち、「発達障害のグレーゾーン」を宣告されたということになります。

冒頭でも出ました、ADHDとは「注意欠陥多動性障害」と言われるもので、私のように不注意が原因のミスを繰り返したり、落ち着きがなかったり、整理整頓が苦手という特徴があります。さらに、私は小さい頃から癇癪を起こすことが多々あり、それもADHDの特徴の一つに挙げられます。この癇癪で人間関係にどれだけヒビを入れてきたことか。

私は今まで自分のことを「普通の人間」と思って生きてきました。しかし、どこに行っても人との会話がイマイチ噛み合わないし、友達にはからかわれ理不尽に罵倒されることもしばしば。感情の赴くままに行動することが原因だとは思うのですが、そのような行動によって知らず知らずのうちに色んな方に迷惑をかけてきました。

自分が「普通の人間ではない」と気づいたのは社会人4年目の時、世間がコロナで混乱している頃でした。この時、人に会うことが難しくなってしまったことにより、自分と向き合う時間が増えました。自分の行動を振り返ってみると、SNSでネガティブなことばかり呟いて仲間からの反発を招いたり、仲間で集まったときはその真面目さゆえに「コミュ障だけど自分が一番目立たないといけない」という謎の義務感に駆られて浮いてしまったり。思い出すだけで顔から火が出そうになりました。そして今、私は「生きづらさ」という大きくて深い沼の中から抜け出せずにもがいている状況です。

自分の話ばかりですみません。一旦自ら命を絶ったライダーの話に戻します。このニュースを受け、ネットでは様々な反応が見られました。大多数を占めていたのが、「未来ある若者が命を絶つとは悲しい…」という意見でした。一方で「あなたより苦しんでいる人はたくさんいる」という意見もありました。後者の意見には否定的な意見もありましたが、私個人としては「それも事実だけどな…」と納得してしまいました。その方が指す「苦しんでいる人」というのは発達障害を持った方に限ったことではないかもしれませんし、それを前提に考えると体の一部を失った人の方が苦しい思いをしているかもしれません。彼は自分の障害を受け入れることができなかったがゆえに自ら命を絶つという悲しい結末を選んでしまったのではないかと私は考えています。体の一部を失った人でもそれを「個性」として受け入れて前向きに生きる人もいます。今更タラレバの話は通用しないことは承知の上ですが、彼も自身の障害をポジティブに受け入れることができていれば結果は違ったかもしれません。

また、「発達障害は甘え」と意見される方も多いですが、100%否定はできません。発達障害という免罪符を掲げ、「あれもできない、これもできない」と何事からも逃げようとする方は「甘え」と言われても仕方がないと思います。私も仕事でしんどいことが続いたりしたことなどからストレスを感じたとき、「発達障害」「グレーゾーン」を言い訳に逃げたくなります。実際に世の中には「発達障害」と聞くと反射的に、かつ十把一絡げ的に「甘えだ」と非難する人もいます。確かに、私を含め自分の無能さを「発達障害」という盾を使って逃げようとする人がいるのも事実ですが、何も知らずに「甘えるな」と非難するような方は少なくとも人の上に立つ資格はありません。非難する前に「当事者が自身の障害とどう向き合っているか」をじっくり見ていただきたいです。「発達障害なので何も出来ましぇ~んwww」と抜かすような輩がいない限り、「甘えるな」と叱責するのはナンセンスだと思います。

私としては、「発達障害だからあれもこれもできない」という考えではなく、これを個性として共存していくしか術はないと考えています。私は今、事務職としてある職場で働かせていただいていますが、仕事をしている中で生きづらさを感じない日はありません。この状況を打破するために、「自分はどんなことが得意で、どうすればそれを仕事にできるか」ということをここ一年ずっと考えています。「転職活動」という名の「悪あがき」とでも言わせていただきましょう。ポケモンのゲームで技を出せなくなると出るアレです。

最後に、私がある方からいただいた言葉を紹介してこの記事を締めようかと思います。「大吉の人生よりも、凶を引かない人生を目指せ」。「死」という「大凶」をおみくじの中から無理やり引っ張り出す決断をしてしまった彼にこの言葉をかけてあげたいです。私自身、「凶を引いてしまった」と感じる出来事は星の数ほどありますが、一度や二度「凶」を引いたからといってあまり落ち込まないようにしています。職場では同期や後輩に三度も昇進を先越されたり、プライベートでも異性との交際経験がないので「大吉」はおろか、「吉」すら引けていない状況かもしれません。30歳を目の前にした今が人生の「底」ともいえる時期ですが、生きてりゃどうにかなると信じていますので、道だけ踏み外さないように一日一日を過ごしていきたいと思います。

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