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誰かを崇めることは、誰かを蔑むことではないよね。

役割でひとを見てしまうことはよくある。「この会社のひと」「営業のひと」「○○ちゃんのママ」など。

その点、デンマークにいると「ひとを、ひととして」扱っているひとが多い気がする。もちろん、それぞれが役割を持っていて、その配役を演じている部分はある。

でも、あくまでも配役が違うだけで、関係性に上下があるわけではない。デンマーク人はそこに上下ができることを恐れるようにさえ、見える。ときに、おおげさすぎるほど。

なんでそうなんだろう?と考えてみたら、小さいときから、親が子をひとりの人間としてみているからじゃないかと思った。「子供だから」なんて言わずに、「あなたはどうしたいの?」と、ときに辛辣なまでに、問われつづけて育ったひとたちだ。

敬語という概念がないのも大きいと思う。誰としゃべっても同じ。敬称もない。わたしの働いている学校でも、先生のことも生徒のことも、誰が誰に対しても下の名前呼び捨てである。生徒のこと老人ホームのおじいさんでさえ、職員は下の名前で呼び捨てする。

対等さが大切だから、相手を大切なひとりのひととして尊重・敬意を表している。

と思ったときに、「敬語って敬意を表す最上のものなのではないか?」と気づいた。つまり、日本もデンマークも「ひとへの敬意は大事だよね」という考え方は同じなのかもしれない。

たしかに、デンマーク人の若者は「最近、平等が叫ばれすぎて、逆に年長者への配慮が足りない。だから日本みたいに謙虚さを持たなきゃいけない。」とよく言っている。

絶妙な違いだけど、誰かを崇めることは、誰かを蔑むことではない。誰かを大切におもうことは、大切じゃないひとがいるというわけではない。難しいのだけれど、徐々に手に入れたい感覚だと思った。


お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!