どうか言い訳をせずに、幸せでいてくれ。
8月はたくさんのことを諦めた月だった。
たとえば、noteでデンマーク生活の情報発信をしないと諦めた。
デンマークの生活の情報や、ハウトゥー系は、簡単にスキがつくし、フォロワーも増えやすいのだけれど、得意じゃない。わたしは気持ちとか、日常とかの気づきとかを書く方が好き。情報を求めているひとは、それを書くと簡単に離れていくのだけれど、それは全然大事なことではないときづいた。わたしがnoteを書く理由は、デンマークに多くの人を呼び込みたいからではない。そう思うと、情報系は他の人に任せた方がいいと思って諦めている。
たとえば、人間関係で全員を救えなくていいんだと諦めた。
そもそも考え方がわたしと違う人たち。なんでそうなっちゃうの?と勝手にモヤモヤしていたのだけれど、よく考えたらわたしが救う必要はない。というか救えない。救おうなんて図々しい。救われたいと思っている可能性も低い。彼らは勝手に救われる。好きな人たちに時間を使いたいから、ごめんねと思いながら諦めている。
たとえば、ずっとデンマーク語を話すことも諦めた。
わたしのことを覚えていないのか、わたしの語学力が足りないからストレスなのか、無意識なのかわからないが、頑なに英語で話しかけてくる人がいる。それって失礼じゃない?とムカついていたのだけれど、むしろ、デンマーク語で話してやんないからねと諦めている。
たとえば、成長してから記事を書くことも諦めた。
悩んでいることがあっても、ひと段落するまでは言葉にできない日々が続いてた。でも答えが出ていなくても、悩みの正体がよくわかっていなくても、今の気持ちを書いてもいいのかもしれないと思った。中途半端なわたし、これが現実なんだもの。大きく見せる必要はないんだと諦めている。
そういえば、未来のことを考えるのも諦めた。
未来のことを考える代わりに「今の幸せを感じる」。その難しさ、チョモランマ。目の前の幸せを感じることは得意で、できていたつもりだったけれど、表層レベルでしかしてなかったと気づいた。「内側が満たされたら、外側の世界が変わる」を体現するための、期末テスト期間なのだと思う。今、将来に不安を感じたとしても、「未来を信じて、今幸せでいます」(=幸せであることを選択します)というつよさ。未来を考えるのは諦めている。
何かを諦めることは、決断だ。決断とは、断つものを決めること。断つことを決めると、選ぶものが絞られる。選ぶものが自然と決まってくると、言い訳ができなくなる。わたしがそれを、やらない言い訳ができない。あなたの言い訳も通用しない。言い訳をせずに、幸せでいよう。
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