45歳剣道5段 ふたりのヒロシを思い出す
我が家は最近、断捨離をしています。
もう使わないものを処分し、自宅内のスペース確保に努めています。
押入れの奥にあった段ボールを整理していると、今では聴かなくなったCDが
ぞろぞろと出てきました。
その中に藤原ヒロシのCDを見つけました。
このCDを購入するまでの経緯が、
すーーーと蘇ってきました。
高校3年の秋、無事に文化祭を終えた日の学級内の打ち上げ
(今ではNGな打ち上げ内容なのでここでは省くことにします)
が1次会、2次会、3次会(←この言葉が適当かどうかはさておき)へと続いていきました。
もう夜が明けた時、一緒にいた友人が
「わのうぢさこいって(俺の家に来たらいい)」
というので甘えることにしました。
秋口の肌寒さを感じながら友人宅にお邪魔することになります。
部屋に案内され、毛布を渡され
「適当に寝でけ」と言われたので
仮眠させてもらいました。
目覚めたのは朝7時くらいだったでしょうか、友人は1階のキッチンに行き、
即席で炒飯を作ってくれて
フライパンをそのまま自室に持ってきました。
スプーンを2つ用意し、「食ってけじゃ」と勧めてくれました。
お腹の空いていた私は、
遠慮なく貪るように食べました。
少し薄味だったと記憶しています(笑)
炒飯を作ってくれた その友人の名をヒロシ君と言います。
背が高く、スタイルも良く、顔もイケてるので、非常に女子生徒からモテました。
私から見れば一軍男子です。
普段そこまで、親密な付き合いはしていなかったのですが、なぜかその夜は
自宅にまで招待してくれました。
「こんな自分を家に呼んでくれるなんて、何だか申し訳ないなあ」
と思っていました。
私も何を喋っていいかわからず、
これと言って会話が進まないので、
ヒロシ君も自分も近くにあった漫画を読みだします。
自分は「美味しんぼ」を読みだしました。
山岡さんと栗田さんの生末が気になりだし、
読み耽ってしまいました。
今思えば、気を使わせるぐらいなら
お礼一つ言って帰宅すればよかったのに、と思います(笑)
二人の漫画時間が続きます。
ヒロシ君はふと音楽を流しました。
アンビエントな調べに自分は
「なんか、いいなこれ」と言いました。
「あ、それ 藤原ヒロシ…」とヒロシ君が言いました。
私にはいったい誰の事なのか、当時は見当がつきませんでした。
話は私の大学時代に飛びます。
当時、UKロックにハマっていた私は足繁く、仙台のHMVに通っていました。
住んでいた船岡から東北本線で30分程北上するので、今思うとよく通ったなぁと(笑)
ロッキンオン、BUZZ、
ミュージックマガジン等、
色々と音楽情報誌を読み漁り、
俺は大学で一番のロック通な奴だと
一人息巻いておりました。
「素敵な勘違い時代」です。
店内を見まわしていると、「あれ、どっかで見覚えのあるジャケだ」
と目に留まったのがTOP画像の
「HIROSHI FUJIWARA in DUB CONFERENCE」です。
「あ、ヒロシ君の家で聞いたやつだ」と一気に記憶が呼び起されました。
この音楽センスを高校の頃のヒロシ君はもう、知っていたのか、と思いました。
そういえば、着る服も洒落ていたし、裏原宿のストリート情報にも精通していました。
(打ち上げにAPEのシャツを着ていた)
時代を先取りしていたヒロシ君と取り残されていた自分の対比は
悲しくなるばかりです。
ヒロシ君はその後、ひたすら英語を勉強し、神戸の大学へ進学しました。
勉強のやり方もスマートだし、
自分の根幹を持っていました。
それに対し 自分はふわふわ、と漂う毎日。
何がしたいのか、どこへ行きたいのか…。
当時の、厭世的な思いに逆戻りするのは確実なのに、
なぜか私はこのCDを買うことにしました。
案の定、メランコリックで寂しげなダブサウンドに、何度も翻弄され心を持っていかれるのですが、なんとか不屈の力に変換しよう、と決意します。
大切なのは、「今」だ。
いつか、今に、
いつか、今に、
そして、私は東京へ来ました。
45歳の朝、久しぶりに、藤原ヒロシを聴いています。
息子はパソコン見過ぎ、と妻に大声で注意されています。
娘は友人と遊園地に行くのにお金足りない、と騒いでいます。
妻は味噌汁に味噌を入れすぎたと後悔しています。
私はあの日の不屈の思いに間違いはなかったと思っています。
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