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かのぐみ絵日記《出会い編》ep.1

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かのことぐみ、薄めと濃いめのサバトラ猫の彼女たちが我が家に来て、かれこれ三年目になる。
ひえーマジかあれからもう三年!?というのが正直な感想で、もはやもろもろかなりうろ覚えだったりするのだけど。
それでも第一印象は今でもなかなか鮮烈なので、《出会い編》と銘打って振り返ってみたいと思う。

猫と暮らしたい。でもはたして今の自分にその資格があるのか? 
三年前、私は諸事情によりそんなジレンマに陥っていた。
もはや人生も折り返し、この先何がどうなるかわからない。なのに寂しいから、などという私情で生き物を手にいれるのは単なるエゴなのでは?
ナチュラルボーン楽天家な私にしてはごく珍しくも超ネガティブモードなループに入っていた。
このネガティヴループを突き破るには、運命の出会いが必要だ。当時の私はそう思った。
運命とは、例えば……そう、雨の中、不良がダンボールに捨てられた子猫を拾う的な。
それくらいベタな出会い。
とはいえ、私は実際に昔このシチュエーションで子猫を見つけて保護したことがあったりする。
これだから現実は侮れない。なんといっても小説より奇なりなのだ。

思い返せば物心ついた頃から、いつも何かしらの動物と一緒に暮らしていた。
インコ(セキセイ、オカメ)に始まり、金魚、ハムスター、ハツカネズミ、そして猫……
ただし、そのことごとくが拾ったりもらったり飛んで来たのを保護したりの結果だった(どういうわけか昔住んでいたマンションのベランダにはやたらとインコが飛んで来たのだ。昭和だったから? 令和でもあるのかな?)
ペットショップやブリーダーから入手したことは一度もない。
だから、この時も「買う」という選択肢はまったく頭になかった。
かと言って、積極的に猫を探し歩く気にもなれなかった。

私に猫を手にする資格があるなら、神がきっと背中を押してくれるはず。
そんな根拠のない思い込みで、ベタな出会いを待ち望んでいたのだけど……。
もはや昭和は遠くなりにけりなせいかそんな出会いはさっぱりなく(私がベタな出会いをしたのは平成だったけど)、やっぱり神は私を見捨てたもうた、猫との暮らしなどおまえには分不相応なのだという思し召しか……と諦めかけた時。
天の啓示があらわれたのだ。
それは一枚のチラシの形をしていた。私の地元の町で保護猫の譲渡会があるよ、というお知らせだった。
後から知ったのだけど、ちょうどその頃わが町初の保護猫団体が誕生していたのだという(どおりで野良にゃんこ滅多に見かけなかったはずだよ、この方たちが片っ端から保護してたのでは?)。

だらだら書いてたら猫との出会いまでたどりつかなかった……また来週〜!

取材、執筆のためにつかわせていただきます。