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笑顔の魅力・笑顔の威力

私は時々自分の生い立ちや、病気の経験について話すことがある。
話す時というのは、大体そういった経験を共有したりする場であって、それは同時に相手の経験も聴くということだ。

最近とても貴重な経験をさせてもらった事もあり、今までの人生でほとんど出会わなかった考えを持つ人たちと出会えた。

私は自分が経験したことのほとんどは、今の自分をつくっているという一点でトータルで良い経験だと思っている。これは、意識するしないという階層よりもっと心のベースがそうだからとしか形容しようがない。

しかし、20年、30年前の事を今でも恨んだり、それがあったから今の自分はダメなんだと、そしてそれを当たり前のように受容している人たち‥私には衝撃だった。

善し悪しの話ではない。きっと医療的な観点から見るとむしろ良いことなのかもしれない。

そして私はよく言われる。

へべれけさんは運がいいよ、良い親に、いい友達に、周りにいい人がいたから、私とは違うから、あなたは運が良いのだと。

運は偶然なのか

私は大体そのようなときに謙遜も否定もしない。私の周りには私よりはるかに多くの経験や傷や人としてのバリエーションをもった人たちが沢山いる。それは紛れもない事実であり、そこに謙遜しようとは思わない。

しかし、なぜ良き人、辛い時は励ましあい、道を外れそうな時は怒鳴ってくれる。そして共に共感して、笑ってくれる そんな人たちと出会えたのか、少し思う事はある。それは

私は大体いつでも笑顔だということ

おそらくこれだと思う。

昔、劇団に所属していた時、表情筋を鍛えるトレーニングを毎日していた。
その結果口角が上がり、普通の状態が笑顔のようになった。そのおかげで表情筋を限界まで動かす顔芸まで習得してしまったが、それは横に置くとして、大切なのは

笑顔は気持ちの問題以外でも作れるということだ。
そして笑顔でいるというただそれだけで、自然と人の輪の中にいたり、道を聞かれたり、話しかけられたり、よく名前と顔を覚えられていたりする。
もちろん、それで万事良しというわけではない。だが困難や心に傷を負ったとしても、なぜかいつも傍らの誰かが手を目一杯伸ばしてくれる。
こんなに有り難いことがあるだろうか。

そうして人の手を借りて何度でも立ち、何度もコケる。生きている上で出会う困難も、時間が経つと華へと変わる。

笑顔でいる。ただそれだけ。ほんとうに。

©心瑠華へべれけ


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