今日2023/04/07あらためて結婚育児向いてない自分でごめんと思った日
息子に言われたことがある。
「お母さんは家事が嫌いなのに、なんで結婚したの?」
言われたその時は、なにおー!と思ったけど、よく考えると、いや、よく考えなくても的を獲すぎていて、おっしゃる通り、と納得した。
私は「温かい家庭」とか「大切にし合える家族」が欲しいと夢見ていたし、結婚したら家事と育児くらいはちゃんとできるのだろうと、たかを括っていた。
ところがどっこい、結婚してすぐに、毎日の夕飯のメニューを考えるだけでしんどかったし、同業で共働きだったからなるべく帰りは夫と待ち合わせをして、外食で済ませていた。
それでも、子どもができれば、まあ育児くらいできるだろう、みんなやっているんだし、と思っていたら半年後妊娠し、退職して出産。
出産した病院から家に帰ってきてからもう、何が何だか、お風呂も自分や夫のご飯も、時間の管理なんか全然できず、娘の泣き声に追われるように対処するだけの毎日だった。
家はごちゃごちゃ、晩御飯は適当、夫に買ってきてもらう、とかもよくやっていたし、娘がアレルギーだったこともあって、ご飯を作るのにも外食にも制約があって、食事はいつもおっかなびっくり。プレッシャーでしかなくなっていた。
それでも、娘がかわいすぎて、ご近所さんにも手伝ってもらいながら、三年後に下の子も出産。男の子で、一姫二太郎よかったねーなんていわれて、へー、いいんだ、なんて呑気にわらっていた。
でも、二人になって慣れるどころか、やっぱり大変。夫は文句は言わないが家事育児、全く手を出さない。私も専業主婦なら自分で全部やるもんだと思い込んでいたから、今で言うワンオペ家事を文句も言わずやっていたら、、、
めちゃめちゃ家事が嫌いなのに気がついた。
嫌いというか苦手?食事なんか子供たちが成長するにつれ好みが出てきて、頑張っても四人家族全員が満足するものなんて作れないのに、努力に見合わない文句とか言われた日には、モチベーションダダ下がりで、台所に立つのが憂鬱になった。
洗濯物も溜まる一方、洗ってもしまう場所がない。掃除も家族の分と居住年数に比例してどんどん物が増えるから、掃除しにくくなり、おっくうになっていく。
住まいはザ団地。うさぎ小屋万歳だ。
六畳二間と3畳一間、台所三畳分と風呂トイレは別。どんどん成長する子供2人と、成長はしないが疲れてくる大人2人とで、部屋はぎゅうぎゅう。
片付けても積み上がり増殖する未解決なゾーン。
片付かないし、優先順位も混乱するしで、だんだん真綿で首を絞められるように、身体中に家事育児という圧がのしかかってくる。
毎日子供が寝てから、現実逃避のために、二次創作の小説を書くのにのめり込みはじめたのは、娘が小学校に上がった頃。
その当時は、どこにこんな力が眠っていたんだろうと思うくらい、頭の中に展開する物語をパソコンに向かって書きまくり、ぎっしり二段に文字を詰め200ページにまとめて同人誌にしてみたり、創作用のホームページを作ってそこにどんどん載せて、長編は連載したりしていた。
2人目がイヤイヤ期で育児が一番カオスだった時期と、一番妄想を二次創作で描きまくっていた時期と、丸かぶりしていたことに、今日になってふと気がついた。
多分、子どもの頃から住み慣れた、自分で構築できる物語の世界に身体半分も逃げ込むことで、全く自分の思うままにならない現実世界を、なんとかやり過ごしていたのだろう。
さっき皿洗いしながら、
「ああ、私は、本当に結婚にも育児にも向いていない人間だったのだなぁ。」
とハタと腑に落ちたのだった。
娘と息子、そして夫には申し訳ないことをしたのでごめんなのだが、でもそれは、やってみないとわからないことだったんだよなぁ、と思った。
まあ、それでもなんとか2人とも、二十歳超えて成人できたのだから、もうこれで良しとして諦めてもらおう。
君たちの母ちゃんはこんなもんだ。これ以上でも以下でもない。家庭向きではなかったが、これはこれで精一杯だったみたいだから仕方がない、と諦めてくれ、と。
私はもともと、お布団でゴロゴロすることと、鉄散歩すること、想像すること、美味しい物を食べたり、本を読んだり、映画やドラマを観て感動したり、ブログやノートを書いたりと、そういう事が大好きで、これらはいくらでも、時間を忘れて取り組める。
だけど、どんなに理想の家族を求めても、家事に費やす時間は、私にとっては労働そのもので、評価も対価も、労力に見合ったものとかんじられないし、苦手だからやっつけ仕事になるし、よって達成感もないままだ。
書き出してみればみるほど、主婦業務の仕事には本当に向いてない人間だった。
たまたま数ヶ月前に、子どもの頃の自分に会いにいくという、怪しげなワークをしたことがあった。
その時に見つけた幼い頃の私は、家で一人で留守番しながら1人遊びをしていて、その時間が一番幸せそうだった。
確かに私は、母親が離婚して再婚するまでの間、数年間、いわゆる鍵っ子で、一人で家にいる時間が長く、それを存分に楽しんでいた!と、ありありとその時の感覚を思い出した。
本当は一人が好きな人間だったのか!これは驚きだった。ならば、本当は家族だって、どうしてもいなくてはならないものではなかったかもしれない。
それでも、自分が実家でうまくいかなかった家庭というものを、リベンジして自分なりに家族を作ってみたかったので、結婚願望は強かったのだ。この辺が矛盾している。
まあ、よくわからなくなってきたので、
もうそろそろ家族にこだわるのはやめて、
「母ちゃんもつらいよ、フーセンのコノハナ」
と題して、糸の切れたフーセンか、はたまた憧れの寅さんみたいに、放浪の旅に出るのもいいかもしれない、なんて夢見ている中年女です。はい。
と、言っているそばから、大学生の息子が帰ってきて、明日から節約したいから、お弁当を毎朝作ってくれないかと交渉してきた。(あくまでも交渉、と捉えている)
高校時代に私のお弁当は甚だ不評だったので、大学生になってからは、美味しくないからいらない、と言われて、内心ホッとしていたのに、今更どうしたことだろう。
「えーっと、考えさせて」とだけ答えておいた。
お弁当つくるなら、自分や娘の分も3人分作ってしまうことが私にできるなら、時短にはなるし、少しは規則正しい昼食、が自分も食べられていいかもしれない、と、
夫用の夕飯のパスタを茹でながら、あくまで自分のメリットデメリットだけ考えている母ちゃんなのでありました。まる。