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珈琲屋は夢を作る



前回のストーリー
https://note.com/konomihiyoko/n/n1d04038cb7b6


階段を降りるにつれて、
香ばしい珈琲の香りがだんだんと強まってきた。


扉などの仕切りはなく、
そのまま店になっている為
既に客が居ないことまで
把握出来てしまった。


このままでは、
あの男と1対1になってしまう。


時間帯と建物の雰囲気から
おじいちゃんが新聞を読んでいたり、
マダムの井戸端会議がされているような
庶民的なお店だと思っていた。

予想外の状況に
階段を全て降りる少し前で
思わずペースを落としてしまった。


しかし、後の祭りだった。

カウンターを拭きに出てきた男が
私の存在に気付いた。

「どうぞ」

愛想はあまり無いが、
落ち着いた雰囲気が全面的に出ている。

私は鞄を肩にかけ直して、
店の敷地へ足を踏み入れた。


基本的に少人数での来店を意識して
カウンターがメインの茶系な店だった。

1つだけ4人掛け用のテーブルが置いてある。

満員になっても10人が限度というところだった。


メニュー表は珈琲だけで
2ページ分丸々とってあったが、

詳しく無い私は
眉をひそめるくらいしか出来なかった。


「ブレンドもありますけど。
本日のおすすめの」

あ、じゃあそれで。

軽く会釈をして
メニュー表を置いた。

豆を挽く音が聞こえる。


豆から挽く店は本物だ。

私の為だけに
一杯を注いでくれる。

彼はずっと無言で、
初めて会った時より
余所余所しく感じた。

しかし合点はいく。

私からすればこの店1つ覚えていただけで
店員からすれば客はもっと沢山いる。

私だったら、イチイチ覚えない。

「あの」

男はラフな無地シャツの上に
名札を付けている。

佐本と書いてあった。

また見透かされたかと思い、
ドキッとした。

「食事はもう、取りました?」

男はメニュー表を再び開きながら
食事のページを淡々と説明した。

「ここからここまでなら、
今すぐ作れますけど」

私は文字の上から下に目線を落として、
じゃあこれで。
と、指をさした。

ハムとレタスのサンドイッチ。

シンプルだったが、
とっても珈琲屋さんっぽい。


それからは、
商品が揃うまで終始無言だった。

私は仕事の資料を完成させるべく
ノートパソコンを開いて
パチパチとやっていた。


この資料だって、
本来私の仕事ではなかった。

私は毎日スケジュールを組み立てて
仕事をしているのに、
突然増やされると大いなるストレスだ。

それだって、一度や二度の話では無い。

理由は明白である。

私が断らないから。

それだけの話だ。


珈琲とサンドイッチが出てきた。


パソコンを閉じて、
スマホで写真を撮った。

素朴な感じが私にぴったりだ。


香ばしい匂いが鼻いっぱいに広がる。

ミルクと砂糖も付いてきたが、
珈琲屋のマナーが分からないので
一口目はそのまま飲んだ。


酸味が少なく苦いが、
フルーツのような風味がほんのりと感じられた。

「ブラジル珈琲をベースに
エチオピアモカを足してるんです。
良かったらミルクも入れてみてください」


茶色い店にはミスマッチな
若くて爽やかな青年。

彼の言う通りに、
ミルクを混ぜて飲んでみた。


ブラックとは違う良さを感じる。

まろやかで、先程よりも随分と飲みやすい。

私はサンドイッチを頬張りながら、
店内を見回した。


「仕事、まだ続けてるんですか」


右の壁に飾ってある絵画を見ながら
思わず咽せそうになった。

「覚えてたんですか、私のこと」

「そりゃあそうでしょう。
最初に会った時の印象が大きすぎます」

佐本は透明のコップを無表情で拭きながら
指紋が付いていないか
念入りにチェックしていた。

「仕事、なんで辞めないんですか。
凄く辛そうですけど」

的を得すぎていて一瞬怯んでしまった。


「仕事辞めたら、
生きていけなくなると思って。
私他に居場所無いし」


珈琲を、少し音を立てながら飲んだ。

「この店、隠れ家みたいでしょう?
気に入ってるんですけどね」

佐本以外、店員が見当たらない。

この若い青年は店長なのだろうか。


「この店は、僕の本当の隠れ家なんです」


この店は1階の古着屋を必ず通る必要があって

青年は1人で店をやっていて

若いのに、
人生を私よりも知っているような気がする。


隠れ家という表現に
妙に納得してしまった。


「今の家賃、幾らですか」

カウンターの向こうから、
青年が片肘をついて乗り出してきた。

「7万円…猫飼ってるから、ペット可のとこ」

「例えば、このビルのアパートの家賃
3万5千円でペット可と言えば、住みます?」

聞き慣れない単語で頭がショートしかけた。

そんな破格なアパートなら、
多少ボロ家でも2つ返事だ。

「私、ここに来る前沢山探したけど、
そんな部屋1つも無かったもん」

「それは、ここの管理人が
古着屋のおばさんだから、会員制なんですよ」

紹介してあげますけど。

佐本青年は縦に1つ伸びをした。


家賃が半額になれば、
会社を辞めてもアルバイトで充分
食べていけるかもしれない。

そうすれば、もしかして。

一瞬で、忘れかけていたものが
駆け巡った。


「でもなんで私に?」


突如現れた疑問が、
そのまま口に出た。

この人は何故、
そこまで私を気に掛けるのか。


「何故って、同志でしょう。
僕と貴女は」


私は、サンドイッチの欠片を
口の中に放り込んだ。


お会計の時、
レシートとは別に1枚の紙切れが渡された。

「気に入った物があれば」

紙切れは、1階の古着屋で使える
千円引きクーポンだった。


私はその足で、
黄緑のドレスを買った。


古着屋の店員は、
特に洒落っ気のない袋に
ドレスを突っ込んで、
お札を2枚受け取った。


「あの、このドレス
なんでこんなに安いんですか」


生地といい、
色味といい、
とてもこの値段で手を出せるような
質の低い服では無い。


店員は
溜息混じりに一呼吸置いて、
返事をした。


「何故って、あんたしか
買わないからだよ」


納得は出来なかったが、
なんとなく腑に落ちた。


踵を返して店を出ようとした時
店員は私の背中に言葉を投げた。


「良かったらビルの屋上でも
覗いておいで。
気に入ればここに住めばいい」

「部屋の内見とかは」

「そんなの最後だ」

紫髪のおばさんは、
レジの椅子に腰掛けて
もう何も話さなかった。


外の天気は相変わらず良かった。


私は鉄製の階段を、
音を立てながら上った。


2階と3階はアパートで
4階は空きテナントだった。

変な建物だ。

少し息を荒げながら
5階まで上ると、

思わず小さな吐息が漏れた。


屋上は古びた階段からは
想像もつかない、
緑で全面が整備された広い芝生になっていた。

所々花も咲いていて、
真ん中に小さなベンチがあった。


そっと、真ん中のベンチに座って、
空を見上げた。


ここに住もう。


それから、仕事を辞めて
もう一度夢を追いかけてみるのも
良いかもしれない。


さっき買ったドレスに
装飾を付けて、
思い切り踊りたい。


目を瞑って、
舞台の上で踊る自分をイメージしてみた。

知恵の輪が解けたように
気分が良い。


私はぽかぽかとした
天気に負けそうになりながら、
いろんな夢に想いを馳せた。



挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=5ulcnn16tp6t

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