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そんな関係性の人なので

数十年と人生を歩んでいると、
「いっとき大変仲が良かったのに関わらず、急に連絡が途絶えた人」
「もっと仲良くしたかったけど、結局仲良くできずに会わなくなってしまった人」など、
様々な理由で疎遠になっていく人がいる。

それはほんの少しタイミングを逃すと、抗えない別れとなる。
私自身も少なからずこの経験で疎遠になった友人がいる。

しかし私の人生には「この人は自分から手を伸ばしてでも縁が切れたく無いなあ」と思う人物がいる。

もちろん、ずっと仲良くしたい人なんて沢山いるのだが、今回フォーカスを当てたその人は「よく会う友人」という類ではない。
年齢も異なれば住む場所もかなり遠く、「気を抜いてしまえば疎遠になってしまう関係性の人」である。
しかしこの人と疎遠になるのはなんとも勿体無い。
ガサツな言い方をすると、その人のような人は簡単に転がっていないのだ。

ところで私は森見登美彦の小説が大好きである。
彼の作品はローファンタジーというべきか、現実世界の話の筈なのに、そこに非現実が混ざり、しかしあたかも当たり前のように話が進んでいくのが最大の魅力といっても過言では無いはずだ。
私の語るその人はまるで、森見登美彦作品の中に出てきそうなキャラクター性を持っている。
実際に身近にいそうな存在であるが、探してみても周りに居ない、どこか奇天烈な人間、といえば表現が近しいと思う。

私が大学生の頃、その人はかなり破天荒であった。
「借金をすることは面白いこと成!」という考えを持っていて、敢えて借金を作っていた。
家賃も払えないので大家にポテチを持って直談判して許して貰ったという話を聞くし、まあ言える話や言えない話、どこまでが本当か分からないが、いろんな噂を聞いていた。
どれだけ道を間違えても流石に踏まないようなドロドロな道に、敢えて足を踏み込むような人だった。
だがしかし、一見生きるのが下手そうな自堕落なその人は、周りのみんなからもれなく愛されて生きていた。
『命短し歩けよ乙女』に出ていたのではないかと錯覚するが、無論いる筈もない。

兎に角そんな私と真反対にいるその人が、私の心をいたくくすぐった。
毎日をこんなにもヘンテコに歩む人がいるのか、と。

その人は年上で学年も上だったが、何故だか同時に卒業した。
何故だか、と濁す理由も無く当然留年していたのだが、大学で躓いていたように見えるその人は、社会人でエリートコースを歩んでいる。
周りから愛される力なのか、コミュニケーション能力か、それとも大学という場がたまたまその人に合わなかっただけなのか。
その人曰く「大学3年生の壁は厚かった」らしい。

社会人になってその人と久々に話す機会があった時、その人は
「年末年始が暇すぎて除夜の鐘を5回も付いた」という話をしていた。
この年、煩悩108個のうち5個はその人の煩悩だ。さぞかし浄化されたに違いない。
私はその話が好きすぎて、「この人とは絶対縁が切れたくないなあ」と思った。

その人は先日、私の結婚式に来てくれた。
住む場所が遠くなって、さすがに難しいかしら?と思ったが、二つ返事で「行くよ」と言ってくれた。

もう借金も無くて社会人をバリバリやっているその人は常識を身に付けた大人になっていたが、生き方は自由でやっぱり別の生き方だった。

友情というよりは少し距離があって、恋愛感情は勿論無くて、きっとファンという言葉が1番腑に落ちる。

「石橋を叩いて渡らない」と言われる私の性格からすれば、遠回りしていそうでぴょんぴょん飛び越えていくその人の人生がとても面白い。
その人のような人物は、私の周りに他と居ないのだ。
私はその人と縁を切りたくないけれど、同時に絶対に交わらない人生を歩んでいるなと思う。
平行線とも少し違う。それよりはもう少し近い気がする。
その人は人生の中にも大きく関わっている訳ではなくて、でもいつも端っこの方に存在するのだ。
不思議な距離感で保たれている関係性はとても脆いが、願わくば続いていけば良いなと思う。

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