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おばあちゃんの聞き取れなかった本音


今日投稿した小説は、
2年前の冬に書いたものをアレンジしたものである。


小説に興味がなくても
伝わる記事になっているので、
以下文章はハードルを下げて
読んでいただきたい。



さて、2年前の冬。

父方の祖母が亡くなった。

祖母は生前、
不死身なのではないかというくらい
心身共に強かった。

よく外出するアクティブなタイプだったし
私が何歳になっても
口がよく回る元気なおばあちゃんだった。


でも死んだ。

“誤嚥性肺炎”
というお年寄りには多い肺炎が原因だった。


祖母はとても負けず嫌いで
特に母への当たりは強かった記憶がある。

同居していなかった為
目の当たりにする回数は
そこまで多く無かったが、
よくある母姑問題というやつであった。

そんな祖母が認知症になった。

最初はよくホームから脱走を図る
"問題おばあちゃん"であり、
幾度と無くトラブルを抱えたものだが、

祖母は静かになる種類のものだったようで、
だんだんと大人しくなっていった。
母がお見舞いに行っても
大人しく貼り絵をしていた。

あんなに威嚇していた母も、
素直で可愛くなったと言っていたくらいだ。

しかし、母はお見舞いに行くと
父から聞く話と随分様子が違うらしく、

「凄くしっかりしてるのよね、
私がお見舞いに行くと。」

と不思議がっていた。

祖母は、
母に弱い姿を見せたくなかったのだ。

私は、人間の真理を見た気がした。



肺炎になって入院したと聞いた時、
いよいよかと思った。


しかし祖母は峠を越えた。


私の記憶を辿れば、
祖母は2回肺炎を乗り越えた。


それくらい祖母は生命力があった。


そして驚くべきことは
その間、趣味のテニスにしか身を削らない父が、
かつて見たことのないくらい
懸命に看病をしていた。


正直私は父を侮っていた。


毎日通って、
認知症の方が集まった相部屋で
ずっと大声で誰かを呼んでいる人がいて、
看護師の代わりに
その人の相手もしながら何時間も居たようだ。


超楽観主義な父だからこそ為せる技であり、
これには話を聞いて感心したものである。


ある夜、
もう駄目かもしれないと電話が来た。

私と母と、父で病院に向かった。


もう祖母は下顎呼吸になっていて、
数分に1回は知らない機械が音を鳴らした。

私はもう大人だったので、
今がその時なんだと思った。


「おばあちゃん、お見舞いに来たよ。分かる?」


私は祖母に声を掛けた。
分からないと思って掛けたのだ。

そしたら祖母は大きく頷いて、
私の名前を微かに呼んだ。

祖母の、おばあちゃんとしての
最後の威厳を保ったのだ。

人は亡くなる前、
そういうことが出来るんだと、
もっとずっと前、
母方の祖父が亡くなった時に知っていた。

そのときと同じだった。


翌日、
祖母が亡くなったとメールが入った。


大学生だった私は家に帰ると
母だけが家で何やら準備をしていた。


「お父さん、ずっと看病してたんだけどね、
お昼ご飯を食べに一瞬外出たとき
急に息を引き取ったんだって。
ついてないよね…」


違う、そうじゃない。


祖母はとても見栄っ張りで
強い人だった。

母が強く当たられたところも見てきたし
凄く負けず嫌いだった面も周知していた。

自分の子どもに死ぬ瞬間を見せたくなかった。

寧ろ誰にも見られたくなかったと思う。


そうに決まっている。


勿論、本心なんて聞けないけれど。


祖母がそういう人だったということは
みんな分かっていた。

「たしかに、そうかもね」

父と母も納得していた。


だから私は、
そのときに小説を書いたのだ。


小説は、読んだ人の見解を聞くのが
楽しみの1つであるけれど
この話だけは話しておきたい。

死ぬ人のフィクションで無く、
遺された人の気持ちを表現していることを
伝えたい。

死に目に会えなかったと後悔している人へ
少しでも救いになれるよう。


貴方にとって、
その人との思い出が笑顔の瞬間なら、
それが1番素敵なことじゃないかい?




ちなみに小説の方ですが、
こちら無料で完結まで致しますので
有料と書いてあって腰が引けた方も
ご安心くださいませ。






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