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君のポケットの中のキャンディ

生まれて初めて一目惚れしたのは、
大学近くの古びた本屋だった。

そこには皆参考書や
授業に必要な教科書を買いに行くのだが、
一人暮らしを初めて間も無い俺は
暇を持て余して文庫本コーナーへ寄った。

実家の近くにあった本屋は
一目で出版社や著者名が分かるように、
まるで運動会の行進のように
ピッシリと整列していた。

この店は、文庫本コーナーに
需要が無いことが分かっているようだ。

とりあえず知名度の高そうな名前や
アイドルとコラボした表紙の本が目立つよう、
あとは全て同じ種族だというように
雑多に置かれていた。

そのせいで、
よく読む作家の本を探すのも一苦労だった。

積み本になっている方の棚には
いくつか宣伝用のポップが飾られていた。

カラーペンを豊富に使って
丸っこい文字で書かれたそれには、
必ず同じクマが描かれていた。


『この本に2度、泣かされました』
水色のマーカーで描かれたポップには、
涙を1粒流したクマ。

『油断しないで、最後まで読んで…』
少々驚かしてくる文面の隅には、
怯えたクマが描かれていた。


俺は、このポップを見て
心臓が撃ち抜かれるような衝撃を得た。


顔も名前も知らないが、
この文字と、イラストに恋をした。


古びた書店で、
やる気のなさそうな文庫本コーナーで

『この主人公に、私も恋に落ちかけました』


頬を染めたクマが添えられたポップが、
ひときわ輝いて見えた。

俺はその本を手に取って、
レジに向かった。

レジには、パン屋が似合いそうな
ふっくらとしたおばさんが立っていた。

俺は一抹の不安を感じたので、
何も聞かずに店を出た。

あのポップを描いたのは、
きっと俺より1つか2つ年上で、
本屋で働いているということは
きっと黒髪でメガネを掛けた
大人しそうな女の子だろう。

その子が顔を赤くして
微笑む姿が見たいと思った。


『君のポケットの中のキャンディ』


なんとなく買ってしまった本を見つめる。

少々接続詞の多いタイトルが気になった。


主人公は高校生で
文化祭に向けて
やる気のないクラスメイトを
一致団結させて
演劇を作り上げる物語だった。

俺は少しずつ本を読みながらも
別の小説を覗きに本屋へ通った。

ポップのイラストは相変わらず
クマのままだった。


大学が始まってからは、
参考書を買う名目で
何度にも分けて通った。

若い女の子を見かけたら、
きっとその子だ。

緑色のエプロンがよく似合う
ボブくらいの髪型を想像する。


しかし、どれだけ通っても
女の子の姿は見えなかった。

愛想の悪いおじさんと、
コミュニケーション能力の乏しそうな
若い青年。
それから何時ぞやのふっくらとしたおばさん。

どうやらこの本屋は3人で充分に
回しているようだった。

夢で終わらせた方が良いのだと
直感的に感じた。


本は、寝る前にチビチビと読み進めた。

『君のポケットの中のキャンディ』
を読み終える日、
最後から数えて10ページ目に
こんなシーンがあった。


放課後、
当日の進行に悩んでいる主人公へ
ヒロインがキャンディを渡す。

勿論ポケットから出したキャンディである。

レモン色なのに、
オレンジの味がするキャンディを食べる。

主人公はその意外性にハッとさせられ
ヒロインに話すのだ。

「当たり前のように
物事が進んだって面白くない。
そう思えば、
今みたいに行き詰まった方が楽しくなるよな」

2人は、見事ピンチをチャンスに変えて
文化祭を乗り切った。

ラストはヒロインが主人公の手を握る。

彼女が手を離すと、
主人公の手の中にはキャンディが入っていた。


「実に良い話だった」

俺は独り言を呟くと、
余韻に浸りながら歯を磨き、寝た。

この本を閉じた瞬間、
俺の根拠のない一目惚れは
終わりを告げたのだと悟った。


次の日。

授業に必要な教科書を買う為
例の本屋へ寄った。

もう文庫本コーナーを見るのは
やめようと思っていたが、
視界に入ったポップを見て
思わず二度見した。


あの可愛らしいポップが無くなっていた。


どれも汚い字で細く書かれたそれは、
とても販売意欲をそそるような
出来栄えでは無かった。


あの青年だな、きっと。
俺はこっそり彼を睨みつけた。

レジで教科書を差し出したとき、
どうしても聞きたくなって
思わず口を開いてしまった。

「ポップ…変わったんすね」

おばさんは理解するまで
「へ?」という顔をして、
それから「ああ」と言った。

「辞めた子が描いた最後の
ポップだったからね、
いい加減本も並べ替えなきゃいけないし、
今回から私が描くようになったの。
唯一の女子だからさ」


おばさんは笑っていた。

青年ごめん。
心の中で謝罪をして、
本屋を出た。

彼女は最初から幻想だったのだ。

でも、
これで良かった気もした。

儚いからこそ
美しい思い出に変わるのだ。


物思いに更けながら大学の門を入ると、
バタバタと足音が近づいて来て
そのまま左肩をドンと叩かれた。

「阪田!ちょうど良かった
購買付き合ってくんない?
授業までまだ時間あるだろ」

同じ学科の重元だった。

「2限、今日からノート必要なの
すっかり忘れてたんだよ。
朝電車で思い出してさ」

確かに、
その授業は少人数で成り立っている為
忘れ物をすると非常に目立ってしまう。

且つ、最後にノートを提出して
フィードバックを貰うことで
出席を誤魔化せないようにしている
古典的な先生であった。

購買は門から近い。

「良いけど、早くしろよ」

授業までは15分だった。


購買で重元がノートを探している間、
俺は暇を持て余して色ペンを見ていた。

赤色のペンは1本くらい
持っていた方が良いかもしれない。


5ミリの赤ペンを試し書きしようとしたとき
俺は目を疑った。


間違いなく、
例のクマだった。


冷や汗とも違う、
緊張の汗が流れた。


そっとクマの絵を触れると、
水性のペンは少しだけ滲んだ。

描いたばかりだ。


隣には、
女の子が違う青ペンの試し書きをしていた。


遠目からでも分かる。
クマの絵だった。


心臓がドキドキ鳴る。


こんなチャンスに重元は大声で
俺の近くにやってきた。


「やべえよ。
方眼ノートしか売ってない。
どうしたら良いと思う?!」

女の子の顔は、
髪が掛かってよく見えなかった。

メガネはしていないようだった。

気付いたら、
呟くようにあのセリフを言っていた。


「当たり前のように
物事が進んだって面白くない。
そう思えば、
今みたいに行き詰まった方が楽しくなるよな」


重元が、何呑気なこと言ってるんだよ!と
焦りを俺に向けた時、

彼女はパッと振り返っていた。


彼女は目を丸くしていて、
それから微笑んだ。


「良かったら、ノート1冊余ってるけど」

彼女が鞄からノートを出した。

これもう使わないから、あげる。

そう言って重元に手渡した。

黒髪で長くて
それから背が高い切れ目の彼女。

見たいと思っていた微笑みが
想像以上に美しくて、
彼女から目が離せなかった。


彼女は青ペンを持って
レジへと向かった。

「あの…!」

今しか無いと思い
彼女を呼び止めた。


「キャンディ、今日持ってないの」

彼女は振り返って、
俺を試しているように笑った。

サラサラのストレートヘアがなびいた。

俺はただ、
その後ろ姿を見つめ続けた。






挿絵協力:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=w6zjxers9ruy

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