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コーヒーが飲めない私は今日も笑っている

私が『HSP』という単語を知ったのは数年前になるが、
あの時感じた衝撃は今でもはっきりと覚えている。

まるで持っていたフォークを床に落としてしまうような
口を開けたままパクパクとしてしまうような、
そういった類の衝撃だった。

人生で感じていた生きづらさやしんどさに名前が付いているなんて、
今まで微塵も思っていなかったからである。


ところで最近、その『HSP』というワードが、
メディアで話題になりつつあるようだ。
Youtubeで中田敦彦さんがテーマにして話しているのを見て、
今はこんなにも有名なんだな、とぼんやり思った。
その上、繊細さんというまろやかな名前まで付いているとは。

だけど、正直、それを特別嬉しいだとか、
もっといろんな人に知って貰いたいとか、
そういう前向きな考えには至らずにいる。

それは心のどこかで、
病気では無く気質である以上、
理解して貰うことに期待するのは難しいのでは無いかと思っているからである。

人間の5人に1人はその気質を持っているらしく、
自然私の周りにもウヨウヨと仲間は居る筈だ。
だけどこの気質は厄介なことに、
様々な該当項目があるとして、
全て当てはまるからそうだ、というわけでは無い。
同じ気質を持っていても、
全く性格やタイプが違う人は山といる訳である。

私は1つのサイトで見た結果、27項目中15項目と言ったところなので、
恐らくもっと当てはまる人もいるだろうし、
普段あまり大きな声で宣言していない。

だけど、第三者が怒鳴られたり怒られたりしてることろが辛いとか、
他にも苦手な音があったり(騒音全てとかでは無い)苦手な場所があったり、
仕事で頼まれごとを断れないとか、
挙句一説によると、カフェインに敏感だったり空腹時体調が悪くなるのも
HSPの気質だというサイトもあって、笑ってしまった。
私を観察してるのかというくらい、私では無いか。
コーヒーを飲むと頭が痛くなるという仲間は、私の周りでは1人しか知らない。
もっと特殊な何かだと思っていた。


いわゆるHSPあるあるは、言い出すとキリが無いのだけれど
私が生きていて大きく影響した苦痛をひとつ挙げるとすれば、
信じられないくらい打たれ弱い、と言ったところである。
これは社会に出た頃からずっとずっと悩んでいたことで、
バイトを始めた時から苦戦し続けた。

まず、人に監視されるのが滅茶苦茶苦手である。
仕事を始めた当初、先輩たちは良かれと思って行動を見る。
何か気になることがあれば指導する。
社会としては当たり前の事象なのだけれど、
これが苦痛で仕方が無かった。

簡単に言えば本領発揮出来なくなるというか、
酷い時には動けなくなる。
厄介なのは、「本当は分かっているのに、思うように出来なくなる」のだ。
これで私は「仕事ができない奴」と認定されて、
バイトをクビになったことがある。

この件は、社会人になって一通り仕事を覚えた今、ようやく解放されつつある。
入社当初は辛い時間も多かったが、
幸い人間関係に助けられて乗り切ったと言っても過言では無い。


もうひとつ声を大にして言いたいことは、
常日頃から、ミスが怖い。
みんなそうだよ、と思う人もいるだろうけど
並大抵のものでは無い。
新入社員の頃は、朝礼の時間をミスして間に合わなかったことに
自分が許せず泣いてしまったこともある。
そんなことで泣かんでいいのに、という人もいるし、
もっと強くなれという人もいる。
たけど私からすれば、そんな簡単なものではない。

自分が許せない、という感情はミソで、
失敗すると絶望感が伴い、すぐに泣いてしまう。
会社に慣れて少しずつ、
「このミスは大丈夫なやつだ」というラインが分かって来て、
頻度こそ減って来たものの、未だに予期せぬミスには泣いてしまう。
厄介なことに、私の涙はなかなか引っ込まない。
気持ちを同じ温度で引きずるからである。
挙句「こんなことで泣いてしまうのが申し訳ない」という気持ちが相まって、
ひどい時には半日くらい、
泣いたり泣きやんだりを繰り返してしまうこともある。
(安心してほしいが私は泣きながらでも仕事はしている)

上記の通り大体の理由は「そんなミスをする自分を許せなくて」泣いているのだが、
社会人にもなって、と思う人は絶対にいる筈だ。
それも分かった上だから、なお辛い。

バイト時代から必死に泣かない努力はして来た。
数字を数えれば良いと書いていたネット情報を鵜呑みにし、
必死に素数を数えたこともあったし、
上を向けば涙が引っ込む。
口を半開きにしておけば…
半信半疑なものまで全部試したが、
やっぱり治らなかった。

だから、これがHSPに当てはまると知った時、
私の気持ちは随分と楽になったのである。
変えなければいけない弱さでは無くて、生まれながらの気質なのだと。

一度落ち込むと本当に長い間落ち込み続ける。
冗談かと思われるかもしれないけど、
私は帰宅して家の隅で三角座りをすることもある。

社会人になる時には、絶対に2ヶ月も続かないと思っていた。
バイトでさえ上手く出来なかったし、
まあまあシビアな仕事に就くことになったからだ。

だけど、なんとかやれている。
ひとつは人間関係の良さに恵まれた点。
私が泣いていることも、皆慣れてくれているし
私も元気な時「すぐ泣きますけど、気にしないでください」って言える。
そういう環境下にあるから、気持ちは少し楽である。

もうひとつは、
会社を辞めることがしんどい、という点。
「辞めたいです」と言えなくて辞めそびれた機会は幾度とある。
だけどよく考えたら、今までの人生もそうだった。
部活動だったり、2年続けた方のバイトだったり、
辞めると表明することもまた、1つのストレスなのである。

私自身HSPについては、今初めて語っているわけだけれど、
冒頭にも書いた通り、強い気持ちで「理解して!」とは言えないでいる。

私がこの気質を持っていると言った時、
「えー、そんなこと無いでしょ」と言われるのが怖いのもある。
普段心の内に隠して気にしていないフリをしたり、
笑ってやり過ごすことが沢山あるからだ。
気にしていない人からすれば、私はきっと悩みのなさそうな気楽な人間だし、
そう思われたいのは誰よりも私自身の筈である。

それから多分同じタイプの人には頷いて貰えるかもしれないけれど、
そもそもそういう部分をアピールすることが苦手だ。
何を思われているか、考えるのが怖いから。

貴方は損してる。
そんなの、20数年自分をやって来た自分が一番分かってる。

だけど、なんだろう。
私は確かに生き辛いけれど、
生きてて楽しく無いわけでは無い。
この性格で救われた経験は、確かにあった。
それにこれまた一説によると、
芸術性が高い人にはこういうタイプが多いという。それは少し嬉しいので、鵜呑みにした。

私にとって、名前が付くことによって
「仕方ないんだよ」と思えることが一種の救いで、
他者が理解出来ないというならば、
無理に押し付けたいとも思えない。

だけど理解してくれようとしている人がいるならば、
それはとっても嬉しいことで、
多分人類の5人に1人が、
私と一緒に喜んでいることだろう。

自分の悩みを明かすのは少なからず勇気が必要なことだけれど、
このワードが流行りつつある今、
書かなければ!と半ば義務感に駆られて文字を走らせた次第である。

この文章に共感し、救われる人がいればそれだけで本望だ。
文章で誰かの心を揺らすことは、
私の生きる楽しみだから。



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