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古びた自転車は夢を壊す

ずっと不思議に思っていた。

私の身体より細い二輪の自転車が
何故私を支え、前に進むことが出来るのか。

こんな筈じゃ無かった。

18000円の自転車を買って、
雨の日も電車代をケチって
カッパを着ながら出勤して。

こんな筈じゃ無かった。

私はスーツなんて、
一生着ないと思っていたのに。

朝。

どんよりとした曇り空。

私はほんの小さな段差で躓いて

自転車ごと転けた。

人工的に植えた木の根が視界に入った。

根元には、
誰も抜こうとしない雑草が
生まれてきた義務を問うように
幾つかだらしなく生えていた。

このまま立ち上がらなければ、

私は今日会社に行かなくても
良いのかもしれない。

「あの、大丈夫ですか?」

声がする方を見ると、
若い青年がこちらを覗き込んでいた。

「…大丈夫です」

青年は、こちらに手を伸ばした。

私は断ることも出来ず、
ほんの少し血の出た掌を
遠慮しながら差し出した。

転んでも、誰かが手を差し伸べる。

無理に立ち上がらせようとしてくる。

もう少し休ませてくれたって良いのに。

手をぱんぱんと叩いてお礼を言うと、
青年は少し困った顔で足元を見つめた。

「スーツ、擦り切れちゃってますね」

見るとパンツタイプの膝辺りが
少しだけ擦り切れていた。

「大丈夫です。
そんなに高かったわけじゃないし」

仕方なく買ったスーツ。

私は何年か前の春、
店頭で1番最初に見つけた
スーツセットを買った。

「いや…これはマズイですね」

青年は私の全身をくまなく眺めていた。

私は時計を眺めていた。

これ以上、彼に話すことは無かった。

「それじゃ」

次に私が言う筈のセリフだった。

彼は、手をポンと叩いて、
途端に笑顔になった。

名案でも思いついたような笑顔で
言葉を続けた。

「それじゃ、会社休みますか」

私は思わず天を仰いだ。

「そんな急に
休めるようなもんじゃ無いんです。
社会人って」

助けてくれてありがとうございました。

軽く会釈をして、
再び自転車に跨った。

「貴方が1日会社を休んでも、
社会って回るんですよ」

ピタッと動きを止めてしまった。
振り返ると、
眉を潜めた青年がその場で立っていた。

「1人消えたって、
その会社が倒産するわけでもない」

黒髪眼鏡に深緑のエプロン。
私より若そうだし、
そんなセリフが出るなんて思ってもいなかった。

あなたに何が、
なんて、怒ることは出来なかった。

彼に悪意が無いことは、
その言い方からして気付いていたのだ。
なにか苦いものを飲み込むような言い方。

それに。

そんなことはみんな知っていて、
知らないフリをしながら
毎日働いていることだって
みんな知っているのだ。

だから、そんな常識を
改めて言葉にされたことを
非常に驚いた。

私のヨレヨレのメイクや
テキトウに結んだ髪が、
きっとその言葉を引き出したのだろう。

「ま、僕いつもここに居るんで、
いつか遊びに来てください」

彼が指差したのは古びたビルの1階。

古着屋だった。

私はその奇妙な組み合わせに
鼻で笑うしか無かった。

「あの店で珈琲でも挽いてるの?」

「ええ」

「じゃあランチもやってるの?」

「夜はbarもやってます」

私は
ふぅーん、まぁそのうち。
と言って、
土埃のついたスーツのまま
自転車を漕ぎ始めた。

もう、埃なんてどうでも良かった。

今日が晴れていたら良かったのに。

そうすれば私は自転車を止めて
そのまま青年の店に足を運んでいたのに。

沢山の言い訳を並べて、
私は会社へと向かった。


挿絵協力:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=i0v87vaucdlm

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