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失くし物の見つけ方


見つからない。

滑り台の下も、土管の中までも見た。

だけど見つからなかった。


昨日確かに私の指輪は

丸を描いて
自宅の目の前にある公園へ飛んで行ったのだ。


昨日の夜。

私は康介に別れを告げられた。

突然のことで、私はただ
「え、なんで?」

とただ真っ直ぐに
見つめることしか出来なかった。

康介はそっと机の上に合鍵を置いた。

「お互い気付いてただろ。
ただ失うのが怖くて口にしなかっただけだ」

それからは黙って荷物をまとめ始めた。


2年付き合った最後が、これである。


「好きな人が出来たんでしょ」

「他に女がいるんでしょ」


そんな曖昧な理由で
納得する筈がない。

私は彼が家を出る直前まで
彼の動きに合わせて攻め続けた。

康介は肯定も否定もせず、
黙ったままだった。

最後にサヨナラと言ったきり
康介は本当に帰って来なかった。


その晩は状況が把握出来なくて、
閉められた扉を何分も見続けた。

それから、何度連絡しても
彼の電話は繋がらなかった。


「そうかそうか」
と呟いた。


私の脳みそに
振られたという事実を叩き込むのには
あまりにも唐突で処理するのが難しかった。


「そうかそうか」
と呟きながら、

部屋にある彼との思い出を全部
ゴミ袋に突っ込んでやった。

時折フッと流れそうになる涙は
誤魔化しながら、
最後に右手の薬指に付けていた
指輪を外して
窓から思い切り投げた。


これは康介に対する復讐だ。

康介は今頃私が泣いているのを
想像しているだろう。

自分を失ったことの大きさに
気付いて後悔していると思っているだろう。


でも私は泣かなかった。

ただその日
寝付くことが出来ずぼーっと
ベットの上で壁を見続けていた。

視点を変えると脳みそが動いて
今日あったことを思い出してしまうからだ。


翌日、
一睡もしなかった私は
髪の毛もボサボサで最高にブサイクだった。

連絡は繋がらない。


残ったのは捨てられなかったゴミ袋と
捨てられた私と、
結局認めざるを得ない
後悔の気持ちだけだった。

私はいつもの癖で
すぐ手の届く棚の上を探って
指輪を付けようとした。

毎朝付けていた、右手薬指の指輪。

それが無いことに気が付いて、
突然不安が押し寄せて来た。

気付いてしまった、
波のような不安。

背中が突然冷たくなって、
冷や汗が出た。


それから、髪の毛も梳かさずに
指輪を探しに出た。

指輪が無くなっただけで
生きていく上で必要な
全てを失ったような気がして
昨日はあんなに平気だったのに
周りが見えないくらいに
取り乱していた。


本当は、土管の中にある筈が無いことを
私は気付いていた。

夜に投げた指輪が、
そんなすぐに見つかる筈無いことも
分かっているのに
いつまでも、グルグルと四角に回って
銀色に反射した小さな指輪を探していた。


なくし物は、焦燥の後に
今度は絶望がやってくる。

絶望に押し寄せられ、
俯いたまま公園の片隅にある
椅子に腰掛けると、
近くにいた子どもたちは
静かに離れていった。

私が自然と涙を流していたからかもしれない。

子どもは、大人の涙を恐れる。

膝と肘をくっ付けて、
手に顎を乗せてボンヤリしていると
足元に鳩が寄って来た。


鳩は、小さくちぎられた
食パンの耳を食べている。


隣の椅子に座ったサラリーマンが
鳩に餌を与えていた。


サラリーマンは私と目が合うと
驚いたように一度目を逸らした。


私は涙を拭こうともせず、
ただボンヤリと食パンを摘む鳩を見ていた。


「僕の今抱えてる悩み、
聞いてくれません?」


隣の椅子に座ったまま、
あろうことかサラリーマンは
私に話しかけて来た。

返事もせずに鳩を見続けた。


鳩は何もしていないのに
与えられてばかりで羨ましい。


食べても食べても次のパン屑を拾いに
サラリーマンの元へ駆け寄って行く。


「僕ね、仕事辞めたんです。
リストラじゃ無いんですけど、
しんどくて辞めたんです。

それがね、次の給料日には
家族にバレるんですよ」


私は横目でサラリーマンを見た。

男は私より随分と年上で、
恰幅が良い。

少なくても私よりは幸せそうだった。

「言えば良いじゃ無いですか、家族に」

「それでダメだったら、
全部を失うでしょう」

男はこちらを見ない。


私は、失うものが康介しか無かった。

男は失うものがそれだけ沢山ある。

大事なものの手数が多い。


「私よりおじさんの方が幸せそうですけど」

「突然全部を失うことがどれだけ怖いか」


男は透明の袋をひっくり返して、
そのままゴミ袋を鉄製の箱に捨てた。


鳩は足元で、
最後の一粒も逃さないよう駆け寄って来た。


私はどうして、
1つしかない大事なものを
失わないと決め付けていたのだろう。

大事なものを守れなかった私は、
パンの耳程の細やかな愛でも
康介に与えられていたのだろうか。


相変わらず、
私は肘に顎を乗せたままだった。


「じゃ、これから面接なんで」

男は腰を持ち上げて、
漸く私の方を見た。


「僕は時間を掛けて
ここまで大事な物を
増やすことが出来たんですよ。

それでもやっぱり失くしたりする。
そういう時は、やっぱり時間を掛けて
増やすしか無いんです」

男は鞄を持って、
そのまま去っていった。

鞄のあったそこに、
銀色の丸い物が反射した。

失くし物はいつも、
探すのを辞めた時に見つかる。


「あ!」

涙はもういつの間にか乾いていた。

指輪をはめる気にはなれなかったが
ポケットに入れて家に帰った。


自宅はスッキリしていて、
それがやけに虚しかった。

私は指輪をいつもの棚に戻して、
それからリビングの椅子に腰掛けた。

スマホを開いて、パスワードを変えた。

記念日だった数字から、
自分の誕生日に。

まずはここから。

次の大切な物を見つけるまで、
ゆっくりと失くしていけば良いと思った。



挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=5yegq3777ljx

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